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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:合理主義に偏る状態について)

合理主義に偏る状態とは?バランスを保つ必要性について

このQ&Aのポイント
  • 合理主義に偏りすぎるのはよくないです。何事もバランスだと思います。
  • 合理主義に偏らなければならない時もあるような気がします。受験勉強とか、利益追求とか。
  • 合理主義に偏ることは、一つの手段として見れば、必要なことでしょうか。経験者の意見を参考にし、迷わないようになりたいです。

質問者が選んだベストアンサー

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  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.3

まだ学生さんなのかな。学生さんなら、若者らしいなと思います。 でも社会人になると、そんな甘いこともいってはいられなくなります。プロならば合理的に仕事を遂行すべきだし、できないならまだプロではないということにもなりますよね。 例えば家を建てるとしても、いかにして短い工期でちゃんとした家を建てるかと考えたら、最も合理的に仕事を進めないといけないですよね。一週間で済む仕事が十日かかったら、3日分の工賃が無駄になります。 たぶん、質問者さんの中で合理主義と効率主義がちょっとごっちゃになっていると思います。効率至上主義が正しいとは思わないけど、合理的だけど効率主義じゃない仕事というのはできますよ。

mmmommo
質問者

お礼

まさにそうだと思います。とても的を射た意見でした。 目的は自然体で見つけ、手段はやるべきときは合理主義でいこうと思います。 ありがとうございました。

その他の回答 (2)

回答No.2

> それでも合理主義に(一時的に)偏ることは、一つの手段として見れば、必要なことでしょうか。 「目的のために何かを犠牲にするのは必要か」という問いだとしたら、犠牲にするものによると自分は答えます。 どういう時に自分を捨てているかというと、目的もわからない労働を強要されるときか、自分が譲れない何かを自ら蹂躙してまで何かをしている時ではないでしょうか。例えば、仲間を一番大事にする人にとっては、同僚の間で競争させられるというのは許せないことでしょうし、正義を重んじる人にとってはたとえ目的を達成するためであっても不法行為に手を染めさせられるのは許せないでしょう。 自分が譲れないところを削ってまで何かをするというのは、自分の生きる意味を削っているのと同じ事です。到底長続きしません。 自分の生きる意味を揺るがすような理由がなく、明確な目的があるのに単にやりたくないだけだったら、実はやるべきことをやらない口実を探しているだけかもしれません。やるべきことをやらずに楽をするというのは一時的にはいいのですが、長期的には信用を失ったり、仕事を失ったりと社会生活を送る基盤すら失うことにつながります。十思九徳の真逆の十八不徳な人なんて誰も相手にしません。 どちらかはあなたが一番良く理解しているでしょう。他人はごまかせても、自分はごまかせません。卑怯な選択は巡り巡って自分に返ってきますし、それを未来の自分が責め続けることになるでしょう。 > ですが、合理主義に偏らなければならない時もあるような気がします。 > 受験勉強とか、利益追求とか。 受験勉強については、やれる人がやるべきことをやるだけです。 受験勉強をすることを許されている人はそれを遂行する社会的義務があります。そして、多くの知識を身につけて、それをもとに働き、社会に貢献するという義務があります。noblesse obligeです。 世界には様々な理由であなたのようにゆったりと受験勉強ができるような環境にない人というのは多々います。偶然、受験勉強ができる環境に生まれついたあなたは、そういう環境に生まれつけなかった人々への義務を負います。 利益追求の前に、その組織の存在意義が何かをまず考えましょう。 組織というのは社会に何らかの貢献をするということの引き換えにその存在を許されています。そして、例えば会社などは社是やミッションなどの形でどんな社会貢献をするかを明示しているものです。 合理的な利益追求しか行えない組織というのは遅かれ早かれ社会的な支持を失い、存在できなくなるでしょう。 > 何かを遂行するときに、合理主義に偏りすぎるのは、自分を捨てているような感覚がして、 > これっておかしいのでは?という気持ちが生まれて、迷いが生じてしまうので・・・。 目的が定まっていないか、自分が納得していない目的を設定しているのではないでしょうか。 あるいは、自分が納得しない手段で目的を達成しようとしていませんか。 表面上"合理主義"というお題目を唱え続けてはいますが、悩みの本質はそこには無いように見えます。 「こんな仕事をするためにこの会社に入ったんじゃない!」と3日で辞める新入社員がいるとかいないとかいう話を聞きますが、どんなに優秀な人でも、いや、優秀であるからこそ、3日でやめる新入社員が嫌がるようなやるべき仕事というのをたくさんやってるものです。テレビなどでどんなに華やかに見える人でも、テレビで描かれない素顔は地味な仕事の積み重ねです。言い換えると、やりたくなかったり、ワクワクしなかったりする仕事の積み重ねの上に華やかで楽しい時間が乗っているとも言えるでしょう。 辺境生物学者の長沼毅さんが、かつてこんなことを言っていました。 > 人生は苦しい事よりも楽しい事の方が多いと思うという女の子に長沼さんは、 > 「お釈迦様は言っている。人生は苦しい事が9割、楽しことは一割にも満たない。 > けれども先輩達は楽しそうにしてるでしょ。苦しい事がたくさんあっても人は > 楽しく生きる事ができる。それを知恵っていうの。知恵というものは深い。」 http://adomirari.jugem.jp/?eid=176 やはり、それが大人と子供の違いですね。

mmmommo
質問者

お礼

たくさんの苦労の上に楽しさが待っている、というのは経験上分かります。あの楽しさは格別ですね。 レール上の人生を送ってきました。レールにしがみつくために自分の人格を変えるほどに合理主義になったりもしました。レールがどこに向かうのかは明確にわかっていません。インターンでもしたら分かるのでしょうか・・・。このレールの先の「目的」が分かれば人生は劇的に変わりそうですね。どうにかして知りたいです。 実はこの質問は渡辺美樹と北村弁護士(応援)の演説動画をみて書きました。渡辺美樹は「ありがとう」の数を最大限得るという信条があるようです。僕は「ありがとう」を定量的に扱っているとか、北村弁護士が彼の長所として「目標に向かって一直線」と言っていたところから、なんとなく僕と同じような合理主義な側面が臭いました。 おそらく僕は、目標に対して合理主義という不本意な過程で進んできたので、目標を自分で探す必要がある今、その過程に着眼したとき、自己否定感が押し寄せているのだと思います。かといって自然体の自分には徹底した合理性がない・・・うーん難しい。 >目的が定まっていないか、自分が納得していない目的を設定 >しているのではないでしょうか。 >あるいは、自分が納得しない手段で目的を達成しようとして>いませんか。 まさにこれでしょうね。 自然体の自分が合理主義な作られた自分よりすべての能力で上回るなら完璧なのですが、そううまくはいきませんね。 そのうちうまいこと止揚されるのでしょうか・・・。 つらつらと長文すみませんでした。 ご回答ありがとうございました。

  • BC81
  • ベストアンサー率25% (687/2673)
回答No.1

無理に肯定せずともよいでしょう。その結果を甘受しさえすれば。

mmmommo
質問者

お礼

結果主義になるべきときもあるということですかね。 ご回答ありがとうございました。

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