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エジプトのピラミッドは誰が創ったのか
いきなり難しい質問ですみません。日本の吉村作治教授が 色々と現地調査をしているようですが、ピラミッドの起源に ついては今だ謎です。 今まで分かっていることはピラミッドは王家の墓ではないと ということ。そして建造したのはエジプト人ではない。というこ とです。そしてピラミッドの内部には御影石が正確に縦に並 び、そこからある種の放射線受信装置らしきものがあると いうことです。 おそらく古代のピラミッドが創られた一万年以上も前に地球 外からの知的生命体がピラミッドを作ったと言われています。 そしてあの巨大な建造物を正確に東西南北を指し示すように 創った。 と科学者が説明していましたが、それ以上にピラミッドに詳し い方がおられましたら回答をお願いします。
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- gomadare75
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>その時代にロケットエンジンなど理解できる人がいたでしょうか。 >発見者も歴史に名を残すことはなかったのですね。 つまり、言いたいことは、発見当時ロケットエンジンとはわからなかったから、発見者の名前が残っていない、という事? にしても、ピラミッドや壁画の名前くらい分かるでしょう。 その様な主張をしている研究者の名前も。 >ちなみにヒレオグリフの壁画に似たようなものがありますが >これは戦車やジェット戦闘機、ヘリコプターなどが描かれていると言われています。 え~と、この『ヒレオグリフの壁画』ってのは、ロケットエンジンの設計図描かれているピラミッド内部の壁画とは別ものですよね。 話題を変えてきましたね。 ロケットエンジンの件は、根拠不明確定という事でよいでしょうか? では、そういう事にして、次ですが、 『ヒレオグリフの壁画』ってそもそも何? 検索しても出てこないんですよ、これが1件も。 もしかしてヒエログリフですか? ヒエログリフってのは古代エジプトの聖刻文字のことです。 そういうわけで『ヒレオグリフの壁画』なんて言ったら、これは「漢字の掛け軸」と言ってるに等しいわけで、いかに適当な事を言ってるかという事ですね。 以上の様に、奇説の信奉者は、曖昧模糊とした知識で大言壮語しているという事がさらに補強されたわけです。
- gomadare75
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だから~、ディテールを明確にしましょうよ。 >ピラミッド内部にある壁画にロケットエンジンの設計図が描かれているのです。 これは、たぶんアレの事だろうと思います。 あの話が伝言ゲームで捻じ曲がって理解されたのだろうとおもうけれど、憶測でものを言うのはやめといきましょうね。 そもそも、それがロケットなのか飛行機なのかすら曖昧で、どうしようもない話ですが、 とりあえず以下を明らかにしましょうよ。 それは何という名前のピラミッドの何という壁画なの? 発見年度と発見者名は? それがロケットエンジンであると主張した研究者名と発表誌名と発表年度は? 言えないでしょ、どうせ。こまけェ事はいいんだよ、とでも? と、この様に奇説の信奉者は、曖昧な知識理解のままそれを支持しているという好例になるわけです。
お礼
ちゃんと私のお礼を読めば分かります。飛行機さえ夢物語 だった時代、日本ならら江戸時代です。その時代にロケット エンジンなど理解できる人がいたでしょうか。 あなたならどうです。その時代にロケットエンジンなど見ても 「なんだこれは、イタズラ書きか。古代人もこんなものを書く のか」ということになり世紀の発見も記録に残らず、発見者 も歴史に名を残すことはなかったのですね。 ちなみにヒレオグリフの壁画に似たようなものがありますが これは戦車やジェット戦闘機、ヘリコプターなどが描かれて いると言われています。 しかしオーパーツを信じない人間にとっては邪魔な物として 文字が重なりあってこうなったと屁理屈をつけて無駄なもの だとこじつけたのですが。
- gomadare75
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こらこら、都合の悪いことをスルーしないの。 誰が、何処で、どんな根拠でそんな事をいってるかと聞いている。 居ないのかね。 そんな事を言ってるのはあなただけ、 というのはあなたの説に対する充分な否定的根拠になる。
お礼
これはオーパーツに属する物なのだが、ピラミッド内部にある 壁画にロケットエンジンの設計図が描かれているのです。 これはかなり昔に発見されたもので、その時の人類は飛行機 さえ飛ばしていなかったのですね。 ですからその設計図が何を意味しているのかは当時の考古学 者には理解できなかったのでしょう。 ソ連の人類初のロケットはソ連の科学者が最初から設計した ということになっていますが、果たしてどうなのでしょう。 疑問に思いませんか。
- gomadare75
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この手の奇説を唱える人々の特徴のひとつは、主張の根拠が曖昧なことに無頓着である、という事です。 >ピラミッドは王家の墓ではないとということ。 >建造したのはエジプト人ではない OK! で、その根拠は? >一万年以上も前に地球外からの知的生命体がピラミッドを作ったと言われています。 へ~、誰がそんな事をいってるの?何時、なんと言う媒体でその見解を発表した? 査読付きの学術誌ではないと思うけれど、 どうして、その人は、学術誌に発表しないの? どうせ・・・学会は、頑固なので、斬新な学説を受け入れない、と言いたいんだろけれど、 世に受け入れられない言説は全て正しいの? だいたい、あなたの考える真理と妄想は、どんな手段で識別するの? と言ったことに、まともに答えられないんだよね。 この手の人々は。
お礼
回答ありがとうございます。ピラミッドを作ったのは古代エジ プト人だという根拠もないです。 なぜならそこに住んでいたというだけで、そこにある建造物 がその人達の先祖が作ったものだという根拠にはならないか らです。 現在のエジプト人にピラミッドが創れるかと言えば不可能で す。そんな技術は持っていません。それどころかエジプトにあ る現在の建造物は西洋に影響を受けたものばかりです。 もし回答者さんの言われるようにピラミッドを創った人たちが古代 エジプト人なら、いつその技術を失ったのでしょう。 それの解明も為されていないのに簡単に物事を決めすぎです。
- wy1
- ベストアンサー率23% (331/1391)
あなたが書かれている内容は”トンでも科学”? ですね。 ピラミッドを作ったのは、紛れも無く”エジプト”に居住した人々でしょう。ですから、彼らは”エジプト人”ですよ。 現代のアラブ系の人々では無いかも、あるいは血統的には繋がりがあるかもね。 また、古代エジプトの支配者は、ギリシャ系王朝が存在していたこともあるが。一万年以前は如何だったでしょうか? ”地球外の知的生命体” 誰か、現在までに、見た事があるのですか? あるはずが無いですよね。 もっと使用できる本を読まれることをお勧めします。
お礼
回答ありがとうございます。農耕民族の古代エジプト人がそんな だいそれた文明を築いていた。ということも科学的なことなのです か。 ピラミッドに使われた巨大な石はどうやって運んだか自体まだ明 らかにされていないのに、それをやった人間達が古代エジプト人 だと言い切れるのが信じられないです。 しかも砂が石を不安定にめり込ませる土台にあのような正確さで 建造する建築技術はどう説明がつくのでしょうか。 現代の技術でも不可能だそうですが、それを説明できる本など ありませんね。
- uen_sap
- ベストアンサー率16% (67/407)
いったい誰がそんな無茶苦茶言っているんでしょう。 王家の墓であるかないか、諸説が混在しているのが今ではないでしょうか。 現在日本の高速道路建設と同様にエジプトに於ける公共事業だった、という説は、私はありうるな、と 思っています。
お礼
ウーン、そうですね。例えて言えば千年後の世界で 日本の第五福竜丸が水爆実験で被爆した事件を 検証したとしましょう。 この悲劇的な被爆体験の事故は誰がどうやって引き起 こしたのか。という検証です。 すると一部のの人たちは言います。 ビキニ諸島の民が水爆を作って実験した。という仮説を 建てます。 アメリカという国はすでになく、世界はそのアメリカだっ た国を中心とした世界政府となっています。 世界政府は自らの暗い過去を封印するために、その罪 をビキニ諸島の民に着せた。 ということになります。 似てますね。
>そして建造したのはエジプト人ではない。 この言葉が独り歩きしています。 正確には、現在エジプトで暮らしている人達とは違う古代民族ではないか?ということです。 ギリシャについても同じことが言われています。 古い時代の民族を特定するのは非常に難しい学問です。 気楽なのは、韓国の高校生の修学旅行では、奈良の古いお寺の前でこれは朝鮮人が作ったと先生は説明するそうです。 まぁ~あながち間違いだと言えないところがなんともはやです。 明治時代のお抱え外人教師に教わって作ったものはどうなるのですかネ >そしてピラミッドの内部には御影石が正確に縦に並び・・・と科学者が説明していましたが、 楽しいメルヘンです。 アメリカやヨーロッパの「科学者と呼ばれる人」には色々います。 日本で言えば郷土史家のような人もいれば、自称の人も沢山います。 日本人はなぜか、外国文字の名前の人が言い出すと有難がる癖があります。 有名なのが、 ピラミッドの底辺の長さを決めるのに古代エジプト人は車輪を使っていました。(今のマラソンコースの測定と同じです) 原理的には車輪の円周を単位としていますが、垂直方向の長さとピラミッドの周辺の長さとををいろいろ比較していくと円周率の影響が出てきます。不思議な比率として色々な学説と称するもが出回りました。 確か、車輪で測るのに気が付いたのは吉村先生だったはずです。(古代エジプト人が車輪の大きさ、つまり直径を呼称としていたのが誤解のもとのようです) >そこからある種の放射線受信装置らしきものがある。 いわゆる化学と呼ばれる技術というか知見は中近東が発祥の地です。 いまでも、恐らく蓄電池として使われたのではないのかと思われる土器が見つかっています。(目的、使用方法が良く解りません。海水の淡水化?塩の回収?etc) 欧米の科学マニアは、科学的な知見は自分たちが元祖だと信じて疑っていません。 (あまり韓国の人達の本家論争を笑えません) エジプトにヨーロッパよりも進んだ科学技術があったなどということはハナから信じません。 結局、宇宙人が出て来てしまいます。 バミューダトライアングルやアトランティック大陸、ノアの箱舟(ヒマラヤの山頂にある)、空飛ぶ円盤など、この手のお話は欧米特にアメリカには沢山あります。
ふと目にした回答者のご回答がとても面白かったので 立ち寄りました。 ふーん、公共事業、とは考えなかったな、確かに盲点だわ! ・・・私はピラミッドについて何も知りません。 この件について一言書き残すのは、回答を読んだついでの おまけのようなものですが、質問者さんが言われる方角を どうやって知ったのか?という点について、です。 あなたは広い野原で野宿をしたことがありますか? まだでしたら、そうですね、北海道の釧路湿原などがお勧めです。 真後ろから、前へと、ひたすら続く一本道の両側はもう、ひたすら 見晴らしの良い原っぱと地面です。 そこで一本の樹の下で野宿をすると、鮮やかに判って来ることが あります。 とても単純な事なんですが、樹の枝ごしに星空がゆっくり動いて 行く様子が判ります。 空に比べる物差しが無いと天空が動いている実感はありませんが、 枝に入りながら消える星、ゆっくりと枝の表面から現れる星。 肌寒いし、やや興奮気味だし、眠れないまま壮大な星空を見ていると 自然に天空の軸である「北」を意識するようになります。 恐らく、ですが 遠い古代の人は旅をするために方角を知る必要が あった・・・道があり、建物があればそれを目印に旅が出来ます。 でも、砂漠のように、何もない場所で旅をするには? その心細さの中で・・・寝転がってみると判りますが・・・星空のなんと 温かく、美しいことか。 温かく、というのは「永遠に変わらない」という安心感に根差すのでしょう。 まあ、今は数万年の間の星座の変形は棚に上げときましょう。 ふるさとが温かいのと同じように、旅人は変わらない星座を友に 道なき道を歩いた・・・そうして、私が若い頃気づいたように、 寝転がって樹の枝を物差しに天空を観察して、いくつかの発見を 旅人誰しもがしたのだと、私は確信しています。 その位、皆、寝転がれば星空を見るものですから。 一つは、方角。 北、という概念は最初は無かったでしょう。 毎晩寝転がりながら、その天空の軸方向に動かない星を一つ、 発見するのに大した才能は必要なかったでしょう。 そうして、いつでもその星をすぐに見つけ出すために、 位置関係の動かない星々を結び付けて、その形を覚えるために 闘う男や、立ち上る犬や、琴を弾く乙女や・・・キャラクターとも 言える姿を与えて、それが物語を紡ぎ始めたのは、とても 自然なことに思えます。 何もない場所では、星さえも語り部に なるのでしょう。 二つ目は、大地が球体であること。 その動かぬ星を正面に見て、北半球では右手から 南半球では左手から、それぞれ夕暮れとともに星座が 登り、夜明けとともに反対側の地平線に沈んでいく。。。 キリスト教のせいで、長いこと天動説が世間を支配しましたが 旅人はすぐに気づいたはずです。 星空は変わらないんだから、回っているのは、地面の方だ。 ゆっくりと一日かけて回っているのだ、と。 最初は球体ではなく、円筒形のようなものをイメージしたかも 知れません。 でも、水平線に船が沈んでいくように見えることだって恐らく 一万年前の海人だって知っていたでしょうし、砂漠の遥か 地平線に町が見えて来る時に、下から登ってくるように見える ことから、自然に、大地はどの方向にも丸い、ということは 旅人なら自然に判ったことでしょう。 携帯やインターネットはおろか、テレビもラジオもマンガも そもそも本さえもない、娯楽のゴの字も無い、遠い古代の人々の 方が、有り余る時間と、見はるかす風景と、そして自分達の 足で体験する大地の変化、空の変化を敏感に感じ取って いたのは、余りに広い大地に立った旅人なら誰でもそうする、 とても当たり前の事だったに違いありません。 旅人が星空に教えられてできた、東西南北それぞれの 正確な方位を持った道も出来たでしょうし、何日、で測って いた距離も、暇つぶしに、或いは好奇心から、やがて 歩を数える、というより正確な情報も得られたでしょう。 何もない場所では、見つめることと数えることが、とても 面白いものなのです。 その距離から、時間から、季節から、およそ360日で 季節が一周することも、少しづつずれる星座の動きから 公転軌道に対して地軸が傾いていることも、恐らく古代の 旅人は自然に夢想することが出来たと思います。 視力も現代人より遥かに良かったでしょうし、数多くの 星座の物語を想像して語ることは、旅人の間で定番の 娯楽でもあったでしょう。 あなたが仰るように、想像力と言うものは人生を豊かにする 大切なものだと思います。 でも、現代は余りに理屈が多すぎて、却って誰かの論や説に 思考を乗っ取られてしまいがちです。 個人的な想いですけれど、想像力・・・というものはむしろ、 言葉や理屈、或いは想像・妄想などの頭の中のグルグルでは 無くて、この自然界を始めとする、様々な事象を見て、 不思議に思い、心奪われて見つめることこそが、本質では ないか、と思っているのです。 少し長くなってしまいましたが、通りすがりの旅人の落書きを 書き残させて頂きました。 では、そろそろ参ります。 あなたも、ごきげんよう。
お礼
ウーン、ずいぶんとファンタジックな文脈に心打たれた気持ちに させられました。確かに古代人はキリスト教のような絶対的な 人物をカリスマにすることなく、山の神、海の神など全ての自然 に神が宿ると信じていました。それは人知の及ばないものは 神が世界を操っていて人間はその中で生かされている存在だと 思っていたのですね。 私も若い頃、川沿いの河原にテントを張って夜明けを待ったこと がありました。外灯もなく月明かりの中オリオン座が綺麗に天空 を回っていたのを覚えています。 北斗七星を見つけて北極星の位置も分かり、それだけでわくわく した気持ちにもなりましたね。 しかし北極星は元々海の航海に必要だったことから一般的にな ったもののようです。 それは近代のことで古代アステカ文明のころにも星座の動きで 暦を正確に作ったことも最近の研究で明らかになっています。 果たして古代エジプトの民がそういう星座の動きを見定めていた のかはまだ疑問です。 それはピラミッドに刻まれた文字にそういう記述がないところに あります。そこが残念ですね。ピラミッドにある高度な物理的に 構築された建築技術と、農耕民族たる所以を書いた文字の 羅列とは相容れないと思うのです。
- 441moe
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現在のエジプト人の前の王朝で、ミイラ、言葉からギリシャ系の人々と言われています 宇宙人云々は200%の馬鹿話です。 信じるなら、まず精神科に入院してください。
お礼
ギリシャ系のヨーロッパ人がピラミッドを作ったのですか。 それも仮説の域を出ませんね。 ギリシャ人にはピラミッドを作る文化はありません。 もし仮にあったとして、オリンポスの神々の伝承がピラミッ ドに刻まれているのであれば納得しますが、そんなものは 一つもありませんね。
- onbase koubou(@onbase)
- ベストアンサー率38% (1995/5206)
●想像力が全く欠如しているようです。 ○創作物であるならばともかく「歴史学」あるいは「科学」をしようとするならば証拠や証明が必要です。 ●遠い宇宙から発している電波は通常地球内で使われる電波ではない筈です。 ○そんなことでいいならば「地球や人類は宇宙人が作った」「ピラミッドは宇宙船そのもの」ということだって主張できてしまいます。「なんでもあり」ですね。 ●半永久的にエネルギーが期待できる御影石を使って地球の位置を確認できる灯台のような役割を成しているのではないでしょうか。 ○恒星間旅行が出来るほどの科学力があるならば地上のそんな部分にそんなものを必要としないでしょう。 第一そんなちいさいものより太陽を目印にした方が機能的です。 いずれにしてもこれ以上「質問者さんの妄想」にはお付き合いできませんのであしからず。
お礼
回答者さんの一人が離脱したようなので、もっと言えば 現在、地球上で使われているGPSはこの仕組みをその まま使っているのではと思うのです。 何百光年も離れた位置から地球を捉えるにはこの装置 は不可欠なものでしょう。 おそらく物質の瞬間移動を可能にしているので、正確な 位置を確認しなくては宇宙空間では危険ですね。 太陽系で言えば、太陽の重力圏に入ってしまうことが一 番危険でしょう。そうなれば地球の正確な位置を知ること が大切になってきます。それも赤道付近です。地球の 自転軸に近い所では意味がないのでしょう。 だからエジプトであり中米でありなのでしょうね。
お礼
オーパーツの一覧で検索してください。
補足
幕末の頃、幕府の使節団がエジプトを訪れ記念写真を 撮った記録が残っています。ピラミッドは半分以上、いや ほとんど砂に埋もれていて形が分からない程です。 現在のピラミッドはおそらく人海戦術で砂を排除して全容 が明らかになったもののようですね。 日本が江戸時代、鎖国をしていた頃ピラミッドは盗掘者で 溢れていました。警備をする者はいなかったのでしょう。 エジプト国としてもピラミッドが価値ある物とは思わなかった のではないでしょうか。 つまり「昔からあるものだが、知らない物だ」という当時のエ ジプト人の言葉がそれを表していると思いますよ。