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虐殺の神々
神様がいるとします。 1)神様はなぜ、ユダヤ人大虐殺をそのまま見過ごしたのでしょうか? 2)人殺しや自殺、虐殺は、神様の意志の現れでしょうか? 3)奇蹟を信じますか? 4)虐殺中に奇蹟は起こりましたか? 5)あなたの信じる神は、他の神を認めますか?それとも、嫌いですか? 6)もし誰かが虐殺を望むなら、あなたはその自由意志を認めますか?
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No13 welovekobeです。 >なるほど、人間は神様の愛玩動物として創造された。 誤解されていらっしゃいます。 愛玩動物ではなくて、「子女」として創造されたのです。 つまり、子供です。動物ではありませんよ。 人間は、真美善の「価値」を追求する欲望、 すなわち、知・情・意がありますが、動物には それがありません。知的なポチ、情的なミケはいません。 或るTV番組で見ましたが、ある子供が、「犬の目は笑っ ていない」と言ったそうです。(笑) 確かにそうですね。動物には、笑うということが ありません。価値観が無いのですね。 だから、文化を創造することは出来ないのです。 人間だけが、神様に100%似せて創造されています。 だから、人間にだけ、創造性が与えられているのです。 善を指向する本心も当然にあります。 しかし、人間は、後天的に堕落したので、 悪なる欲望を持ち合わせてしまったのです。 これが「矛盾」です。本来の状態から外れているので、 「矛盾」です。本来の状態に帰ること・・・ これが宗教に使命でしたが、終末時代には、既存の 宗教も皆廃れていくのです。 末法の時代なのですね。今は・・・ 末法とは、お釈迦様の教えが効かなくなる時代を 意味します。 既存の宗教が皆人間の自己中心性という堕落の産物 により退廃しています。終末時代なのです。 メシアが来られる時代には、全ての既存の価値観が 崩壊していきます。そして、何が善で何が悪か 分からなくなっていきます。善悪交叉の時代です。 それがまさに現世であり、終末時代なのです。 ですから、万民が納得出来る新しい真理を持って 再臨主が現れなければなりません。 人間のエゴと、間違った神観により、宗教が全て 歴史を掛けて、バラバラになってきてしまいました。 しかし、儒教では真人、仏教で弥勒、イスラム教では マホメットの再来、キリスト教では再臨主、メシア 皆それぞれ呼び方は違いますが、高等宗教であれば あるほど、世の終わりには、救世主が現れると説いています。 しかし、呼び名は違っても、同一人物なのです。 同じ人を指しているのですね。 一人のアダムの堕落から、アダムとエバの家庭が崩壊し 氏族、民族、国家、世界、歴史が全てサタンの自己中心の 愛の血統で、染まってしまいましたので、救いも、 一人の真のアダムから始まるのです。 故に、聖書では、イエスのことを第二のアダムと言いました。 今度来られる方が第三アダムです。すなわち、再臨主です。 あなたは、それを信じますか? それはあなたの自由です。神様は干渉出来ないのです。 しかし、自由意志を与えられている以上、「責任」が 伴うのです。 人間にのみ、自由意志(目的をもって行動する意志) を与えられたので、人間にのみ、「責任」があるのです。 それだけは、信じて下さいよ。 では、神様がいないということを信じる責任でしょうか? それとも、神様がいらっしゃるということを信じる責任 でしょうか? 神様がいるかいないか、多数決で決めましょうかっ? 堕落により、霊的無知に陥った我々は、神様の存在すら 分からなくなってしまいました。 しかし、我々が信じる信じないの前に、神様が いるかいないかなのです。2つに1つなのです。 どっちが得でしょうか?? あなたにとってではなくて、人類全体にとってです・・・ あなたに、本心・良心があるのなら・・・ もう分かりましたね。 良心を否定することは出来ないのです。 なぜなら、誰しも皆神様の本来子女だからです・・・ それでは、失礼します。
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こんにちは。私も考えてみました。 主に、ユダヤ教ということで・・・。 1)もともと「復讐の神」だからではないだろうか。 歴史的に見ても、虐殺や民族的迫害の上に 成り立つ宗教観のように思います。 2)神の意志による人殺しや自殺、虐殺は、経典の中に 数限りなく記されているように読みました。 3)完璧な論理からこぼれ落ちる部分が、 あってもいいかなぐいらいには信じています。 4)多神教ですが、何かいっぱい出てきますね。 5)認めるか、認めないかというより、 もう、おろおろするばかりです。
お礼
ありがとうございます。 1)復讐の神とは、何教のことでしょうか。 2)神の意志は到る所にあらわれるのですね。
- Columbo21
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>1)神様はなぜ、ユダヤ人大虐殺をそのまま見過ごしたのでしょうか? 人間自身が原因の、人間同士の問題だから。 新約では、「イエスを信じること」以外、神は人間に何も求めておられません。何をやろうと自由です。 >2)人殺しや自殺、虐殺は、神様の意志の現れでしょうか? 違います。人間界の出来事は、すべて人間自身の意思によるもの。神様は関係ありません。(当然でしょう!) >3)奇蹟を信じますか? イエスの『復活』以外、他の人智を超えた事象のどれが奇跡なのか、人間でしかない私は知る由もありません。しかし、私自身は奇跡を信じています。奇跡は神の御業です。人間に解ったらいかがわしいですよ。 >4)虐殺中に奇蹟は起こりましたか? 上記3)の答えそのままですが、私には、何が奇跡かの判別がつきません。 >5)あなたの信じる神は、他の神を認めますか?それとも、嫌いですか? 私の信ずる神は『創造主』です。当然、他の神々を認めておられます。ご自分の手になる『被造物』ですから当然です。 >6)もし誰かが虐殺を望むなら、あなたはその自由意志を認めますか? 質問の趣意が不明ですが、単純に YES/NO でお答えすれば NO!です。 少々図に乗って個人的願望を申しあげれば、その虐殺を望む誰かを消したいです。
お礼
ありがとうございます。 イエスの復活の奇跡と他の奇跡をどうやって判別しているのですか。 なぜ、復活の奇跡だけ特別に信じられるのですか。 いかがわしいとは思いませんでしたか。 あなたは自分の自由意志は尊重するが、他人の自由意志は認めたくないようですね。
- popesyu
- ベストアンサー率36% (1782/4883)
1.今のイスラエルあの在り方を見るに、ユダヤ人を全滅しきれなかったのは残念でなりませんが、きっとユダヤ人の信奉する悪魔の方が神様より強いのでしょう。 2.そうやって自己の意思決定をよそ様のせいにして自己責任を逃れようとする思想は好みではありません。 3.あまり信じません。 4.絶滅しきれなかったのはやはり奇蹟でしょうかねぇ。 5.八百万ぐらいまでは認めますがそれ以上になるとちょっと。 6.認めようが認めまいが、今現在進行形で行われている中国のチベットやイスラエルのアラブ民族に対する虐殺は止まりませんが、お互いに殺しあう分に関しては勝手にやって下さいという心境です。
お礼
ありがとうございます。 1.ユダヤ人の信棒する悪魔とは何ですか。 2.宗教には、自己の意思決定をある程度放棄することで、神様や他人に任せることで楽になるという考え方もあると思います。 6.実際、国際世論に無関心な大多数の日本人の心境は、勝手にしろなのかもしれませんね。
- Row
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私の個人的な創作的な考えなのですが、 宇宙や生命を創った、造物主的な意思は存在すると思いますが、 それが宗教が讃える「神」とは限らないのではないかと思います。 ある宗教で「神」と呼ばれるものが、隣接する宗教では 「悪魔」、「邪神」とされているケースがいくつもあるようです。 お供え物をしたり、いつでも従順に信じる信者になったりしなければ守らないという「神」も多々いらっしゃるようです。 つまり、この世界には沢山の神がいるけど、 それは同時に悪魔でもあるのではないかと思います。 たしか、「悪魔」も契約した(悪魔の力を信じた)者の 望みを叶えるんですよね。 信者になってお祈りして望みを叶えてもらう「神」と 違う点があまり見つかりませんね。 虐殺だとか、人殺しだとかというものは、別に神や悪魔と契約しなくてもできますが、 退屈な「魔神」が人を操ってさせているのかも知れませんね。 そんなものに操られないように、常に「自分を保って」行きたいですね。
お礼
ありがとうございます。 なるほど、宗教戦争があるのも、他の宗教の考えを邪教として扱い、尊重しないことが一因かもしれませんね。 一つのことを信じるために、他の考えに目を閉じるということは悲しいことですね。 神々の戦争に人間が巻き込まれないためには、宗教者や権力者のもつ支配欲をどう制御するかにかかっているのかもしれません。
> 神様がいるとします。 います。私のこころの中にも。 > 1)神様はなぜ、ユダヤ人大虐殺をそのまま見過ごしたのでしょうか? 電車の中で、若い女性にからむヤクザ風の酔っ払いを 見過ごすのと似ている心境だったのかも知れません。 私は見過ごしました。こころの中の神様は泣いていたかも。 > 2)人殺しや自殺、虐殺は、神様の意志の現れでしょうか? 憎悪(人殺し)、絶望(自殺)、キレまくり(虐殺)。 神様は試練を与えてくださいました。 私は自分を殺して、神様が望まれるであろう答案を提出するように がんばってきました。(追記:できる限り気付いた範囲で(^^;) > 3)奇蹟を信じますか? 自分が信じていた絶対的なものが失われたり、 また、あきらかになったときに、 人の心は大きくふるえます。 それを奇蹟と呼ぶ人もいると思います。 > 4)虐殺中に奇蹟は起こりましたか? それに接した人の数だけ、こころの数だけ、起こった「かも」しれません。 > 5)あなたの信じる神は、他の神を認めますか?それとも、嫌いですか? (「他の神」の意味するものがよくわからないのですが) 神様は、「~せよ」と教えを与えてくれています。 その教えと常に正反対なことをいう神様なら、 それは神様とは認められません。 > 6)もし誰かが虐殺を望むなら、あなたはその自由意志を認めますか? その行為の目的次第です。目的は手段を正当化する。 自分が犠牲になって地球を救う英雄の物語りや映画。 地球を救うために一部の人(もちろん極悪人)を虐殺 せざるを得ないケースもあるかと。 (某辞書より 虐殺=残虐な手段で殺すこと)
お礼
ありがとうございます。 大きな'試練'を人間に科したヒトラーやビン・ラディン、麻原は神の意思に従っただけなのでしょうか。 私には殺りくを行う人に免罪符を与えているようで違和感を覚えます。 ダンテの神曲には、「マホメットは神の名を騙った罪により地獄に落ちる」、という異端殺死の考えがあります。 あなたが、この人は極悪人だと思えば、手段を選ばずに虐殺することも許されるのですか。 ローマ法王がユダヤ人迫害を容認していたことや十字軍遠征、異端審問は正しかったと言いたいのでしょうか。 地球環境を破壊する人間は、地球にとっての癌細胞みたいなもの。 だから、地球を救うためならば、地球を破壊する極悪人である人間を絶滅することも許されるのでしょうか。 目的のためなら手段を選ばないとのことですが、テロリストと同じ考えのような気がします。 偉大な理想のためなら、多少の犠牲は仕方ないのでしょうか。 これまでに、虐殺を行った人が、地球を救うためにやったんだといえば免罪符になるのでしょうか。
- JACO1011
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quantamoonさんと同じようなことは昔考えたことがあります。 モルモン教の勧誘をやっている信者さんが、神様はこの世で人間に試練を与えているんだ、とおっしゃったので、唯一絶対神なら初めから良い人間だけを作ればいいじゃないのですか、と質問しましたが、回答はもらえませんでした。 個人的な結論としては、「全知全能の唯一絶対神」といった存在は、私にとっては、いてもいなくてもどっちでもいいと考えています。 そういう神様より、日本の八百万の神様とか、ヒンズー教の神々とか、ギリシャ神話の神々などの方が親しみやすいです。 アインシュタインは「神はサイコロを振ることを好まない」と主張したそうですが、量子論の世界でハイゼンベルグが唱える不確定性理論といった考え、世界は予定調和に支配されているのではなく不確定な余地があるという考え方が、私の認識する世界と馴染みますし、そちらの方が楽しいのではないかと思います。(物理学者はそれでは困るのでしょうけど) ご質問への回答です。 唯一絶対神という概念を認めるなら、質問の1と2について、ドイツ人がユダヤ人を大虐殺したのもアメリカ人がインディアンを大虐殺したのも、日本人がアイヌ人を大虐殺したのも、数え切れないほどの生物種を人間が大虐殺して絶滅させているのも、行為自体が神の意思そのものということになります。唯一絶対神が見過ごしたのではなく、唯一絶対神がその意思において行った、ということになります。インシュ・アッラーというやつですね。 質問の3については、唯一絶対神という概念を信じるかどうかに関係なく、良い奇蹟も悪い奇蹟もあり得ると思います。 私たちは常識で理解できないことを奇蹟といいます。極大の世界や極小の世界について科学は驚くほど知恵の領域を広げましたが、どれだけ知っても、人間の認識の領域が世界全体のどこまで及んでいるのかさえわかりません。 然し、自分にとって都合のいい奇蹟が起こることを期待したりはしません。 質問4については、わかりません。質問の5も私自身は神様がいることを確信している立場ではありませんので回答不能です。 質問6については、私が虐殺される側であった場合は、その行為を認めません。本気で私を殺そうとしていると確信したら、先に私が殺しに行くかもしれません。相手の自由意志は認めるとか認めないとかいった問題ではありません。 そして私自身は、現在、いろいろな存在を虐殺する側に立っていて、それに与しているのだという認識があります。
お礼
ありがとうございます。 虐殺は、唯一絶対神である神の思し召しなのでしょうか。 物理学はデカルト以来の要素論から、確立統計であらわされる量子力学や複雑系に向かっています。 これまでの宇宙観は、太陽系のように見かけ上、調和的宇宙(ハーモニック・コスモス)と信じられてきました。 しかし、実際は、複雑系のように全体論(ホーリズム)であらわされるものです。 量子力学に代表される現代の物理学は、東洋哲学(易経などを含む)やヴェーダ哲学(インド哲学)の影響を受けています。 西欧キリスト教文明は、天界に特別な地位を与えるなど、天体力学の影響を受けています。 一方の、イスラム教では、天体は特に神の棲家とはされておらず、要素還元論的な調和的宇宙信仰の影響を余り受けてないようです。 ラプラスの決定論を最後まで信じていたのは、アインシュタインでした。要素論は、アインシュタインによって終焉を迎えたのだと思います。
- Ryu831
- ベストアンサー率38% (241/621)
まったく答えになっていなくてすみません。 >神様がいるとします。 と考えると訳が分からないので、神は最初からいないのです。 あるいは、ダニやミジンコと同じ営みとしてヒトを捉えているのか。 神の価値観と人間の価値観は異なっているので、人間の倫理感は神と相容れないのではないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 確かに、中国やロシアの共産主義などの無紳論者は、国内に大量の餓死者を生み出し、強制収容所をかまえていますね。 神話の時代の神々は、大昔の人間の世界観をうつしたものだと思います。古代人の考えた神々の倫理観は、今の神よりも人間臭いような気もします。
- apple-man
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>1)神様はなぜ、ユダヤ人大虐殺をそのまま見過ごしたのでしょうか? 神様のパワーは微調整が利かないからだと思いますよ。 旧約聖書の中で、荒廃した人間の街ソドムとゴモラを破壊しに行く 神とエイブラハムとの会話でも、 「その街に、仮に50人の良き人間がいても そこを焼き払うのか・・・」 と問われて、神は 「たとえ50人でも良き人間がいるのなら 焼き払うのをやめよう」 と言っています。 悪いやつだけやっつけるという小技が使えない。 創造と完全な破壊しかできないのが、神なんでしょう。 >2)人殺しや自殺、虐殺は、神様の意志の現れでしょうか? 神の創造する力の不完全さの現れです。 旧約聖書上、初の殺人事件となる アダムとエヴァの子、カインの弟 アベル殺しの説明(参考URL)など参考 になるでしょう。 神は「産めよ、増えよ、・・・」と 人間を祝福しているのに、それと反対のこと、 つまり殺人が起きてしまうわけですから。
お礼
ありがとうございます。 神様が少し気に食わないからと言って、悪いやつをいじめたり虐殺し、挙句の果てに良き人は誤差(誤爆)扱いされるとは。 神様は信じるものだけを救いになると良くききますが、良い人も悪いといわれる人のとばっちりを受けるようですね。悪い人を見捨てた良い人の力不足のせいになるのかな。 神様が不完全ならしょうがない、あきらめもつきます。
- ranx
- ベストアンサー率24% (357/1463)
ユダヤ教徒ではありませんが、 一応神様を信じている立場で言うと、 この質問はOK/gooの回答者ではなく、 直接神様にぶつけるべきものだと思います。 その方が質問者さんにとっても有益だと思います。 質問の方法は・・・ご自身で見つけて下さい。 ごめんなさい。
お礼
ありがとうございます。 直接ぶつけるべきものとそうでないものとの違いは、何ですか?また、なぜそう思ったのでしょうか。 貴方自身は神様からお答えを頂くことができましたか?
- anima-mundi
- ベストアンサー率37% (23/62)
多分、 「 1)神様はあえて自分の偉大さを証明するためにほっといた。 2)意志とかではない。超越しているから。 人間は、あらゆる塵が集まったもの。個は全体であり、全体は個でもある。他人が苦しめば、自分が苦しいのと同じ。しかし、他人に関心がないのは一番悲しいこと。 (カウボーイ・ビバップの何とかブルの言葉参照) 神様は人間を見放した。無関心な親に見放された子は、さらに虐待の連鎖を行う。 神は人間をネグレクトし、人間からの愛を失った。人間は神への深い愛ゆえに虐殺した。 」 と考えたが、やはり、最終的には、「分からない」が答えだと思う。
お礼
早速の回答、ありがとうございます。 神様は宇宙を作る意志はあったけど、それを育てる意志はなかったというような感じですね。 人間にとって、虐殺は災難だけど、自然にとっては環境に良い。人間の考える良し悪しは神にはとるに足らないものかしらん。
補足
このナンセンスな虐殺には、いったいどんな意味があるのであろうか?
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お礼
ありがとうございます。 犬は人間が思っている以上に知的で、情もあります。 最近の、猿学とかの研究でもいいのですが、人間はあまりにも他の動物について知らなすぎたと思います。 人間を助ける犬やチンパンジー、イルカの話は有名です。 動物に情がないという考えは、危険すぎると思いますし、悲しいことです。 自然や動物に対する感謝の気持ちがないことが、動物虐待や環境破壊に繋がっている様にも思います。 あなたの信じる高等宗教は、次に救世主が来るまでは、サタンに支配された悪魔の宗教なのですね。 インディオ虐殺やユダヤ人大量虐殺などは、世紀末が到来するまでは何度でも起こりうると。 終末やメシアの到来と言うものは、神の意思ですでに決まっていることなのでしょうか。 だとしたら、なぜ、虐殺をそのままほうっておく必要があったのですか。 終末を演出するためには、どうしても必要なことだったのでしょうか。 ユダヤ人大虐殺も、ええかっこしいがしたいためのメシアを引き立てるためだけのものになってしまう気がします。
補足
動物をロボットや機械か何かのように扱う貴方の神経についていくのは容易なことではありません。 時計仕掛けのオレンジのような、そんなユートピアを待望するものは、エゴ・ダンスを踊るソフト・バレーのごとく、泡沫の不安を覚えます。 人間は地球を破壊し世紀末を導くための礎として文明を築いた。 はたして、そんな世の中がほんたうに至福の千年となるのであろうか。 人間が全て天国に言ったのなら、動物たちにとっての楽園であることには間違いないせう。