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松平容保はなぜ自らの命を引換にしなかったのですか?
大河ドラマ「八重の桜」を楽しんで観ています。 ドラマの松平容保は、家臣思いで、聡明な殿様として描かれています。 ドラマが真実だと思っているわけではありませんが・・・。 松平容保は、なぜ恭順和睦の条件に自らの命を代償にしなかったのでしょうか? 戦国時代の敗戦処理では、城主の切腹が和睦の条件だったりしますよね。 会津藩は重臣のひとりが城主の肩代わりで死んでいます。 容保の会津戦争後の行動を調べると、戦争責任は感じているように思えるのですが・・・。 どなたか教えていただけないでしょうか。 よろしくお願いいたします。
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>なお、江戸時代だと儒教の影響が強くなりすぎるので、大名クラスの対応は全く異なってきます。 (家臣に無駄な犠牲を出したくなったら、大名は絶対に自ら死んでは成らない。) なるほど。江戸自体の倫理感では容保公が切腹したら、主だった家臣も切腹しないと格好がつきません。 確かに無駄に犠牲を増やすだけです。儒教が普及したから戦国時代とは倫理観が異なるんですね。 赤穂浪士の事件にもそういう倫理観が背景にあったと考えると腑に落ちます。 私は吉良様をお気の毒に思っていました。吉良様は地元の殿様で地元では名君と言われています。 小学校で社会科の教科書とは別に「赤い馬」という読本が配られ、吉良様は赤い馬に乗って 領地を見回り、領民にも気さくに声をかけた心優しい殿様であると記されています。 かなり地元目線の内容ではありますが(笑) 解りやすいご回答、ありがとうございました。