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感染病が日本を滅亡に追いやることはありましたか?
西洋ではペストやらチフスやら天然痘やらがあり、人口の三分の一が無くなったなど あるようですが日本では壊滅的な伝染病はあったのでしょうか? 補足としてなぜ壊滅規模の伝染病はなかったのか教えてください。 明治とそれ以前の日本、そして昭和からの日本と分けて回答ください。。
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- ssssan
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日本で香港風邪とか赤痢とか発生しても全国に伝播しないのは国の形デス、山.山脈が人の行き来を制限してた為です、昔は、で馬旅行も禁止されて歩きか駕籠位で大河に橋も掛けるのが禁止されてた位ですから明治以前は伝染病が伝って良きたくても出来ない状態でした。 現在は全く別です、世界何処の伝染病だろうと一日位の猶予で伝染して行きます、文明の利器飛行機が世界中に路線持ってますので。 ちなみにシナの諺でアツモノに懲りてナマスを吹くは漢民族が主に住む大平原では例えば黄河上流で伝染病発生したら遮る物が無いから下流.海側迄あっと云う間に伝染してしまいます、そういう時の戒めがこの諺に成ってると思います、生ものは食べるなと刺身とか生もの食べる習慣が廃れたのも伝染の速さからだと思います、遮るものが無ければ千キロ離れていようとアットと云う間ですから。
- PopoAmin
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日本が壊滅するほどだったのかどうか 分りませんが天平時代には政治の中枢にいた藤原氏の四兄弟が バタバタっと天然痘で全滅した事件があります。この時は日本の歴史が変わりました。 とはいえ人口が半減するような伝染病はヨーロッパに比べると少なかったようです。 その理由としては 1)ヨーロッパに比べて交通網が未発達であったこと(ヨーロッパにはローマ街道が残っていた) 2)長い封建制社会の下で地方毎の自給自足体制が整い人や物資の移動が少なかったこと。 (たとえば文政期に西日本で大流行したコレラは箱根の関でストップしている。) 3)都市の居住人口が少なく伝染病の拡大速度が遅かったこと。 (ヨーロッパの都市は重層化していましたから人口密度も高かったしスラムもあった) 4)日本人が清潔を好んだこと(宣教師が感心するくらい清潔であった) 5)排泄物リサイクルの仕組みが整っていたこと(ヨーロッパでは路上に捨てられていた) といったものです。 それでも天然痘(疱瘡)麻疹コレラやペストは繰り返し流行しました。 「疱瘡は器量定め、麻疹はいのち定め」と言われるほど身近な伝染病であったようです。 源実朝、豊臣秀頼、伊達政宗、吉田松陰、夏目漱石といった有名人も天然痘にかかっています。 日本の人口が大幅に減る程であったかどうかわかりませんが幕末には江戸だけで10万人程の 死者を出すようなコレラの大流行が何度も発生しました。 こうした伝染病は庶民の不安を掻き立て開国を進めた幕府への不信となって 間接的に明治維新を押し進める原動力になっています。 それとあまり話題にされないのですが、伝染病のは中で目立たないけれども日本人の平均寿命を 確実に縮めていたのが結核と梅毒です。結核で死んだ有名人は枚挙にいとまありませんが 梅毒の感染率はすごかったらしいです。遊郭へ行くのが当たり前の時代ですから 梅毒で脳がいかれて死んでしまうのもごく普通の死にかたみたいに思われていたらしいですね。 明治以降ではスペイン風邪です。日本の人口5500万人に対し2500万人が感染し40万人が死んでいます。