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感染病が日本を滅亡ちに追いやることはありましたか?
西洋ではペストやらチフスやら天然痘やらがあり、人口の三分の一が無くなったなど あるようですが日本では壊滅的な伝染病はあったのでしょうか? 補足としてなぜ壊滅規模の伝染病はなかったのか教えてください。 明治とそれ以前の日本、そして昭和からの日本と分けて回答ください。
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- KappNets
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http://ja.wikipedia.org/wiki/感染症の歴史 に全体的な歴史が書かれていますので、一度ご覧になって下さい。 日本については江戸時代の庶民にとって、地震や火事とともに怖れられたのが感染症で、とくに疱瘡(天然痘)・麻疹(はしか)・水疱瘡(水痘)は「御役三病」と呼ばれて恐怖された、とあります。欧州で猛威を振るったペストはネズミ起因でそもそも中国から欧州にわたったようですが、何故ネズミが欧州まで行ったのかさまざま議論がされているようです。日本ではさほど有名ではないところを見ると、気候風土や衛生観念などが絡んで地域で異なるのかなとも思います。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1080002465 にその辺の議論がありますが、どこまで正しいかははっきりしません。
- bettybanana
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江戸時代以前の国内の人口は分かりませんが、現在の1億3千万人から比べると、驚くほど少なかった可能性はあります。1/100~1/1000程度以下です。 その原因は、主に領土をめぐる頻発する統治合戦ですげど、当時は、医学も進んでないですし、衛生的でもないでしょうし、感染症や伝染病などにより、自然に人口は制限されていたのだと思います。 スペイン風邪の猛威が伝えられたと年には、地球の人口は半分にまで激減したとありましたけど・・ 伝染病の特性からして、条件のあることですから、些細な違いで大きく結果が違ってくるということでしょうか。季節的に発生しても地域規模なのです。 事あるごとに学習もしていたと思いますし、ただ、明日をも知れぬ、戦乱の世の中は長く続いていますから、徳川家以外では、資料が残る可能性は低いですよね。 江戸時代には、一部の隔離社会では、疫病のような病は頻発していたと思います。それが社会に広まり、人口を激減させているなんて話も聞いてますけど、以前こちらで質問して聞いたことで、これ以上は詳しく分かりませんでしたm()m 昭和期以降は、WHOなど研究や活躍で大規模なものは発生してないはずです。特に日本は、医療面また、公共事業による水道の給水設備などの導入で衛生管理面が適切に整ってきたからだと思います。 少なくとも戦争以外では、町が消失するような事は聞いてませんですょ。でも最近は、ウイルス性のものが多そうで、纏め飼うされている家畜類は要注意ですよね。
- ryuzin
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>明治とそれ以前の日本、そして昭和からの日本と分けて回答ください。 >日本では壊滅的な伝染病はあったのでしょうか? 明治以前は日本全体での正式な記録としては私は知りませんが、村や町単位でなら昔話という形での記録や言い伝えが残っているようですし、日本でも無かった訳ではない様です。但し殆ど正式な記録としては残っていない場合の方が多いと思われます。その理由としては記録の封じ込め政策みたいなのが各地にあった事。 そもそも外国から病気としての知識を得る以前はひっくるめた意味での「流行り病」や「祟り」等の言い回しが使われていた事もあり、ペストやらチフスやら天然痘やらといった概念もないのですが、「流行り病」や「祟り」が発生した場合には徹底的に封じ込め作戦が展開された様です。昔話や伝承でいう所の村の焼き討ちやら皆殺し等がこれに該当してる場合もある様ですが、兎に角正式な記録が殆ど残されていないんですね。 家康統治以降の明治までの時代でも「流行り病」やら「祟り」やらの情報は改易やらに繋がりかねないので出来うる限り公儀には伏せられていた様です(今朝日新聞で連載されている時代小説も丁度この辺りの時代の設定と似たテーマみたいですしある程度参考になるでしょう)。 明治以降でも実体はそれ程かわってなくて、村や町単位での封じ込めや記録の抹消等が各地で行われていた様です。 今も各地に隔離施設やら隔離村等の跡地やら差別の後が残っている様ですが残っている方が少ないのではないのでしょうか