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学校の校則について質問させていただきます。

私の学校では男子は肩に髪がかからない。 女子は肩から20cmまでokという校則があります。 この校則に対して私は男女差別だと思います。 なぜなら、男女で変えることに対する理由や根拠がないからです。私は差別だと思っています。 なので私は男女平等にしようという相談をしてみました、が結局無理だという結果になりました。 私はなぜ、このように思う人がいるのにもかかわらず平等にならないのだろう、と考えてみましたが未だになぜなのかわかりません。 よく、伝統だからとか、常識だからとかいう人がいますが、私みたいに差別だと思う人がでてしまっているので私は校則を変える必要があると思います。 一体なぜ平等にしようと思わないのでしょうか?理由や根拠がないのに差別だと思っている人がいるのになぜ平等にしようと思わないのでしょうか? たとえ、昔からの感覚できているとしても、なくしていかなくては平等にならないと思います。 みなさんの意見をお願いします。 長文失礼しました。

みんなの回答

noname#227653
noname#227653
回答No.11

No.7です。補足質問をいただいたので、ちょっとだけ。 校則だけでなく、大人の世界でも男女の区別はものすごくたくさんあります。 例えば男性は一般にスカートをはきませんが、これは法律や規則で禁止されているわけではないにも関わらずそうなっていますよね。、男性に「スカートをはいて外出しろ」と言われたらかなりいやがるでしょうし、逆にスカートをはきたい男性がいてもスカート姿で会社には行けないでしょう。社会の中に「男はスカートをはいてはいけない」という規則のようなものができているのとほとんど同じです。一方女性はスカートでもパンツでも好きな方を選んで出社できます。 これを「男女差別」というかどうかはものすごく難しいところで、厳密にいえば差別に当たると思いますが特に問題にはなりません。それは男はスカートをはかないことを当たり前だと思い、男がスカートをはくことを変だと思う人が大部分を占めているからです。「スカートをはきたい。これは男女差別ではないか」と思う男性がいてもこれはあまりに少数なので無視されます。 あなたの校則にも制服があるかもしれませんが、あるとしたら男子と女子では全然違うでしょう。「これは差別だから男子も女子も同じ制服にするべきだ」とあなたは思うかもしれませんが、そう思う高校生はさすがにほとんどいませんよね。社会の中で大部分の人が男女で服装が違うことを当たり前だと思っているからです。 ただ、髪の長さについてはちょっと違うかもしれません。それは、大人の男性でも髪を長く伸ばしている人はいるからです。だから高校生の中にも「俺だって髪を伸ばしたい。校則で男子だけ短くしろと決められてるのはおかしいんじゃないか」と思う人が出てくることになるでしょうし、現に伸ばしている男子高校生を見かけることもよくあります。 ただ考えてみると、髪を伸ばしている大人の男性もいるとはいえ、男性と女性の髪型って明らかに違いますよね。ほとんどの人は髪型だけで男性か女性かわかります。男性の「ロン毛」は女性の髪形とはどこか違いますし、しかも一般的な企業などに勤めれば男性は「男性らしい」髪型、女性は「女性らしい髪形」にすることが求められます。これも目に見えない規則のようなものが社会にあるのです。 こういう、目に見えない規則のようなものを「常識」というのかもしれません。 そして小学校、中学校、高校というのは、勉強だけでなく、社会的な常識を教えるところ、と一般には考えられているので、だから大部分の高校では髪型についての規則を作り、「大人になったらこういう社会的な規則があるんだからそれを今から身につけなさいよ」と生徒を教育するわけです。 そういう教育がいいものかどうかは私にはよくわかりません。また程度の問題もあるので、あまり厳しい校則を設けるのはどうかと思います。個人的には男子の髪が肩にかかってもいいと思うし、女子の髪が20センチを超えたってかまわないと私は思っています。 ただ、髪型ひとつをとっても今述べたような社会的な規則、常識のようなものがあり、それが校則に反映するのもある程度はやむを得ないことなのかもしれません。だから、「男と女で校則に違いがあるのは男女差別だ」と一概には言いきれないところもあるのです。 あなたは、髪型も服装も、その他いかなることでも男女で違いがあるのはおかしい、と思っていらっしゃるのかもしれません。しかし考えてみると、どんな地域でもどんな時代でも、人間は男性と女性にさまざまな違いを設けてきました。 例えば熱帯のジャングルの中で昔と同じような生活をしている(私たちから見ると「原始的な生活」に見えるような)人たちでも男性と女性の身につけているものは違います。またそういう人たちの生活の中には「男性は○○をしてはいけない」「女性は○○をしてはいけない」といった規則のようなものも数多くあるようです。 つまり大昔から今まで、人間は男と女に様々な違いを設けてきたのです。ということは、人間という生き物の心の中には、男と女に様々な違いを設けたくなるような何かがあるのでしょう(そうでなければ男女の違いをまったく作らない社会が地球のどこかにあってもいいと思うのですが、どうやらそれはなさそうです)。 だから、あまり単純に「男女で違いを設けるのは差別であり間違っている」と決めてしまうより、どうして男と女にはこういう違いがあるんだろう、なぜ人間はそういう区別をつけたがるんだろう、と考えてみた方がずっと面白いし、いいことだと思いますよ。 それと、男女間の髪型や服装の違いというのは、それが差別だとしてもあまりたいしたことではありません。あなたは「個性があってもいいとは思いませんか」と書いていらっしゃいますね。私も「あってもいい」とは思いますが、髪型や服装で表現する個性なんてたいしたものではないとも思っています。そんなものより心の中の個性の方がずっと大事でしょう。 だから、あなたが差別と戦う気持ちを持っているなら、もっと大きな差別と戦ってほしいと私は思います。女性の社会的な地位について世界の約130か国を調査した中で日本は100位以下だった、というような結果を先日読みました。また出身国で人を差別する人はたくさんいますし、このサイトにもそういう内容の投稿が数多くあります。あなたのようなこれから社会に出ていく人たちが、広い視野と柔軟な思考力、人の気持ちを理解する感性を持ってそういう問題を解決していってくれればと願っています。

回答No.10

ごもっともですが、 ここで論を展開しても進みませんので、 質問者さまの考えを 校則改定の原案に纏め上げて、 生徒会とPTAに提出してみませんか。 しかし、 自由・平等・博愛に燃えるのは 尊いアクションで宜しいのですが かなりのエネルギーが必要になりますので、 細かな校則等がなくて、 常識の範囲であれば許される、 通信制高校に転じるのも 1つの方法ではないでしょうか。 で、自身の才能を伸ばすことに 集中する方が賢明なスタンスのように感じます。 ある通信制の高校に、髪の毛を染めて、 濃く化粧をした女性が入学したのですが、 スクーリングの際に、誰も気に留めないことに 気づいた彼女は、次の登校の際には、 黒髪でノーメイクになっていたそうです。 Good Luck!

noname#180516
noname#180516
回答No.9

【差別】 1 あるものと別のあるものとの間に認められる違い。また、それに従って区別すること 2 取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。 【区別】 あるものと他のものとが違っていると判断して分けること。また、その違い。 と書いてあります。これを見ると一目瞭然だと思いますがまず【差別】1と【区別】はほぼ同じ意味です。 逆に【差別】を2の意味で受け取った場合でもその校則は不当扱いになります。説明すれば「男子は肩に髪がかからない。女子は肩から20cmまでokという校則」が正当な根拠がない限り不当という事になります。例えば髪の毛を縛ってなにかの器具に絡まって事故を起こす可能性があるとなれば男女共にその事故が起こらないだろう長さを均等に決めるべきです。もしそれが肩までなら男女とも肩までの長さにすべきだろうし肩から20cmまでなら男女共肩から20cmまでにすべきでしょう。そういう指向が広まっていかなければ性差別が横行する嵌めになります。ついでに言えば学校自体無くした方が良いと思います。社会訓練場とか言っておきながら結果は学生の馴合い場と化してるだけです。そんな学校即刻消えて欲しいですね。チンピラを増殖させるだけです

yuukiyazima
質問者

補足

正式な根拠がない限り差別だと私も思います。

noname#180516
noname#180516
回答No.8

 まったくもってごもっとも。あなたの仰る通りです。 ご自身みたいな考え方を主体としたの自由平等主義社会というものです。 確かアドラー派の意見ですと共同体感覚の質の問題だということらしいです。詳しくは良く分かりませんが 簡単に言うと男も女も自分と同じ人間であり、同じ社会に生きているのだという感覚の薄い人ほどそのような差別的価値観を当然とか思い込むそうです。ただの部活動でリーダーというだけでボコボコにするという変な教師が居る位ですから、そのような共同体感覚が薄い教師が居ても変ではないですね。まったくこの世の中どうなんってるんだか・・・ >昔からの感覚できているとしても、なくしていかなくては平等にならないと思います。> まったくその通りです。決してそのような大人になってはいけませんよ。あなたのような人が増えることを祈っています。

yuukiyazima
質問者

補足

私もそう思います。同じ人間、同じ社会に生きているとを考えると、平等にしなくてはいけないと思います。 ありがとうございます。

noname#227653
noname#227653
回答No.7

よくわからないのは「私のように差別だと思う人がでてしまっているので」「校則を変える必要がある」という理屈です。それは正しくないでしょう。だってそれが正しければ、、あなた以外の誰であっても、だれかひとりが「それは差別だ」と思ったらそれは変えられなければならない、ということになりますよね。 たとえばだれかひとりが「朝の通勤電車における女性専用車両は差別だ」と思ったら女性専用車両は廃止されなければならないし、だれかひとりが「男性にはネクタイ着用が義務づけられている企業で女性にはネクタイ着用の義務がないのは差別だ」と思ったら男女ともネクタイを着用しなければならない(またはネクタイを着用しなくていい)ということにしなければならないということになりますし、だれかひとりが「ユニクロで女性用のワンピースを売っているのに男性用のワンピースを売っていないのは差別だ」と思ったらユニクロは男性用のワンピースを販売しなければならない、ということになってしまいますよ。 差別をなくしていくのは正しいことですが、男女で髪の長さの制限が違うことも、女性専用車両があることも、服装が男女で異なっていることも、差別だと思う人もいれば思わない人もいます。どうしてあなたは、あなたが「差別だ」と思うことは「変える必要がある」と主張できるのでしょうか。あなたの文章を読む限り「私の考えはすべて正しいのだ」と主張しているだけのように感じられるのですが、何かお考えがあるならうかがってみたいところです。

yuukiyazima
質問者

補足

そうですね。私の質問が間違っていました。 すみません。 もし、伝統だから、昔からの感覚だからなどという理由で髪の長さを変えるのだとしたら、裏を返してみれば、男子はこの髪型がおかしい。女子はこの髪型がおかしいなどと言っているようなものだと思います。 そう考えると、男女共に個性があっていいのに、ひどいと思いませんか?

  • mojitto
  • ベストアンサー率21% (945/4353)
回答No.6

>男子は肩に髪がかからない はい、とても清潔に見えて、男子学生にふさわしいですね。 >女子は肩から20cmまで はい、とても清潔に見えて、女子学生にふさわしいですね。 どちらも清潔で学生にふさわしい髪形ですね。 結果は平等じゃないですか。 文面だけで食ってかかるからそうなる。 逆にしたら、女子はまだしも、男子は不衛生に見えてしょうがない。 よって結果は男女バラバラ。 これを平等だというのかい?

yuukiyazima
質問者

補足

不衛生に見えるというのは、男子にとって失礼だと思いませんか?

  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.5

差別と区別の違い。 それと区別の場合の必要性の問題が絡んでいますよね。 心理としては「なぜ差別と捉えてしまうのか」 感情に流されている結論であれば、校則は変えることができません。 今ある制度は過去からの継続ですが、その時代の必要性として作られています。 「時代が違う」と変化を望むなら、大多数が納得する論理的な正当性や妥当性が必要ですよね。 制度や規則は、時代に合わせて変えることは必要だと思います。 私の時代にもいくつかの校則を変えました。 頑張ってください。

  • ok-kaneto
  • ベストアンサー率39% (1798/4531)
回答No.4

もともと人は生まれもって不平等です。体つきや身長、体重も異なりますよね。ですから、平等である必要がないのです。持って生まれた性ではなく、社会的な性別を選ぶのは人間に備わった権利です。 しかし、未成年の内に未成熟な精神で判断をするのは危険です。ですから、もって生まれた性と社会的な性を一致させるしかない。社会的な性とは、ここでいう男女で髪の長さが異なる等です。 例えば男女が同じ長さにしなければならないようにして、それぞれに無理やりにあわさせたとします。どちらかに合わせる事で片方の性には苦痛が生じますが、これは不公平ではないでしょうか?ルールに合わせる事で苦痛が生じると仮定するならば、その苦痛が同じレベルになるように男女それぞれに設定するのが公平というものです。 くりかえしますが、もともと不平等であるがゆえに平等である必要はないです。ただ公平ではあるべきですね。

  • turupi-
  • ベストアンサー率28% (6/21)
回答No.3

世の中には常に、過去から現在までの大きい流れが存在します。 人は皆、大なり小なり、矛盾を抱えて生きています。 あなたはまだ若い。ただそれだけです。 時の流れに身をまかせ  byヒバリ ミソラ

回答No.2

それを差別と思う人もいれば、区別と思う人もいる。 思うにあなたの学校では、区別と認識している人が大多数である。 差別と思う人数が多数派になれば、力関係が変わりおのずと変更する。 “民主主義国家”の“多数決の原則”に即した結果、かもしれません。 もちろん、少数派を尊重してこその民主主義、平等が必要という議論はいつもありますが、現状でそれを打破するのは難しいと思われます。が、ぜひともやってみて欲しいと思ってしまう自分です。

yuukiyazima
質問者

補足

人数で決めつけるのではなく、一つの意見としてやっていかないといけないと私は思います。

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