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日本の歴史を大まかに!
もし、あなたが外国人に日本の歴史を教えてくださいといわれたらなんと説明しますか!? 急いでいますヽ(´Д`;)ノ至急お願いします/(-_-)\
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- ithi
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s-yusaka さん、こんばんわ。 古代・・・天皇や貴族が中心になって政権を担っていた時代。 中世・近世・・・武士の台頭によって天皇や貴族は実権を奪われ、単なる象徴的権威的存在になる。また、近世には武士の中 で旧来の門閥にかわって新興の武士が勃興し、政権を握るようになる。 近代・・・明治維新によって、武士階級はなくなり、変わって天皇を中心とした民族国家が成立する。 現代・・・戦後、米国からの民主主義思想の流入により、天皇は象徴となり、新憲法での国民主権のもと、議会制民主主義国 家になった。
日本の国ができたのは今から千五百年くらい前です。 それからしばらくは天皇や貴族が中心になって国を動かしていました。 今から千年くらい前から武士(サムライです)が力を持つようになり、やがて政治を動かすようになりました。 今から百五十年くらい前に武士の時代は終わり、近代的な国家としての日本ができました。 第二次世界大戦のあとは民主主義国家として今に至っています。 ものすごく大まかに言えばこんなところでしょう。
- 戦艦みかさ(@mikasa1905)
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大雑把ですが、400年単位にするとわかりやすいです。 400年頃 大和朝廷が成立し、古墳がたくさんできる 800年頃 794うぐいす平安京、貴族の時代 1200年頃 1192年つくろう鎌倉幕府 武士の時代がはじまる 1600年頃 1600年関ヶ原の戦い 徳川幕府、江戸時代がはじまる そこからは、おおよそ80年周期で発展と破綻を繰り返します。 1716年 享保の改革 1787年 寛政の改革 1867年 大政奉還 明治時代 国民国家へ 1945年 太平洋戦争敗戦 平和国家へ 2025年 ???
- hideka0404
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黄金と銀と翡翠の国ジパングですww
- oignies
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わかりやすく説明するのなら、小学校の社会科の教科書に載っている程度の 内容を教えてあげればいいと思います。
- phj
- ベストアンサー率52% (2344/4489)
日本は王国であり、日本語では「天皇」英語では「エンペラー」と呼ばれること。 なぜ「エンペラー」なのかというと、1500年ほど続くひとつの王朝で、島国である日本の北海道を除く全土を最初に統一した王の中の王(King of kings)で、その後の侍の時代もバチカンの教皇のように日本の宗教的権威でありつづけ、日本の統一支配者として、侍政権に政治実権の許可を出し続けた、ということ。 最初の侍政権は、鎌倉に幕府を開いた源頼朝で、天皇は嫌々侍に政治の実権を渡したが、鎌倉は東日本にあり、天皇の居る京都は西日本にあるため、政治が分裂した。 鎌倉の時代は9代で終わり、次に京都にある室町に幕府が移った、このときの実権は足利氏にあった。 しかし、足利市は京都の有力者と近かったため、天皇にも近く、後醍醐天皇という実力のある天皇が「王朝に実権を取り戻す」と考え争ったために、一時王朝が南北に分裂し、その分裂は60年ほどで修まったが、その過程で各地の侍の支配のあり方が替わり、長い戦争の時代に入っていく。 この長い戦争の時代を「戦国時代」とよび、外人が知っている「サムライ」の活躍はこの時代のことをいう。またオランダ人などの宣教師が日本にやってきたのもこの時代ぐらいからになる。 戦国時代は、日本の歴史の中でも多くの英雄を作り出した時代で、有名なのは、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康になる。 織田信長は、天皇の許可を得て政治の実権を握る直前まで言ったが、明智光秀という部下に殺された(本能寺の変という)、明智を討った豊臣秀吉はその後をついで、天皇の許可を得て政治の実権を握るが、子供に継がせることに失敗し、一代で政治が終わった。 その後、豊臣秀吉の家来だった徳川家康が勢力を拡大し、豊臣秀吉の子供を中心とした軍隊と戦争し、それに勝って、政治の実権を握った。 徳川家康は江戸、現在の東京に政治の場所を開き、その政治体制は江戸幕府と呼ばれるようになった。 江戸幕府の時代(Edo era)は15代約260年続き、現代の日本の文化的・社会的な基礎を作った。 この江戸幕府は、外国との貿易を禁止したため鎖国時代ともよばれる。貿易ができたのは中国とオランダと朝鮮だけだった。 1853年になるとアメリカから軍隊がやって、鯨捕獲のための船の補給基地を作って欲しいと要請した。またロシアは日本と北海道の島をめぐって争いを始めた。 これらの外国勢力は中国まで来ていたため、日本を開国しようと圧力をかけ始めた。 結局、日本の中でも争いがおき、徳川幕府は天皇に政治の実権を返すことで騒乱を収め、1868年に天皇を元首にした大日本帝国が出来た。 この大日本帝国(日本)は、西洋の近代法を取り入れ、憲法を作り、天皇を元首とした立憲君主制の国として開国し、西洋や近隣諸国との貿易を開始した。 また日本は西洋列強の植民地にならないように、近代的な軍隊を整え、近代的な経済を作り、力をつけて独立を守ろうとした。 そのため、最初は西洋列強に後押しされた中国(当時は清)と戦争して勝ち、次に元々領土争いのあったロシアと戦争をして勝ち、日本は英国と同盟を結ぶことで、第一世界大戦の戦勝国となり、国際連盟では西洋以外の唯一の常任理事国になった。 しかし、日本の独立を守るための政策である大陸進出は、西洋列強の植民地との軋轢を生み、次第に西洋列強は日本に警戒するようになった。日本の軍部は、天皇が直接軍隊を指揮する「総帥権」を楯に、民主的な手続きを無視し、膨張主義をやめなかったため、アメリカを中心とする連合国と戦争になった。日本とアメリカが戦った戦争を太平洋戦争または大東亜戦争とよび、同じ頃ドイツを中心とした戦争を含めて第2次世界大戦と呼ぶ。 結果、日本は連合国に負け、GHQによる占領を受け入れ、暴走した軍部を戦犯裁判(東京裁判)にかけることを了承し、憲法を改正して、日本国として再出発することになった。 これが現在の日本である。憲法改正に伴い、軍隊を廃止、防衛部隊(自衛隊)だけに限定し、天皇と軍隊をむすぶ指揮権を廃止した。現在の自衛隊の最高指揮官は内閣総理大臣にあり、天皇にはない。 現代の日本の天皇の地位は、鎌倉幕府時代と同様で、サムライに変わって政治を行なう民主政権に許可をだし、任命することにある。 これにより、日本の伝統である天皇制は現在でも続いていながら、立憲君主制の民主国家として存在するのが現代の日本、ということになる。 補足 サムライが政治実権を握っていたことは、多くの外国人が知っていますが、天皇との関係性はあまり知りません。 幕府は今で言えば軍事政権であり、天皇は軍事政権に「お前らが政治をしてもいいよ。俺、見てるから」と勅許を出したのが征夷大将軍です。 鎌倉幕府は、かなり強引に武家政権を作り、東日本は武家政権に所属したものの西日本は朝廷に忠誠を誓うものも少なくありませんでした。そのため、鎌倉幕府は京都を監視することが重要で、鎌倉幕府が倒れると、室町幕府は幕府と朝廷の政治的な調整のために京都に開かれた、という理由もあります。 結局、この時代の朝廷はまだそれなりの実力があったため、後醍醐天皇の分裂を許してしまいます。それを収束し朝廷をひとつの形に戻す際に起きた騒乱は室町幕府の調整能力を超えてしまったために、各地の武士が蜂起し、戦国時代になっていきます。 戦国時代を簡単に言うと、室町幕府の後、日本の実力者が各地の武士を押さえ込み、朝廷から「天下統一」の許可をもらう実力争いであったといえます。 織田信長については、天皇を廃止して自分が皇帝になろうとし、それがゆえに明智光秀の謀反を呼んだともいわれていますが、結局信長の死後、政治的な実権を握った秀吉も家康も朝廷から幕府を開く許可をもらって日本の支配者になっています。 日本の近代化は、幕府が十分な開国政策を取れなかったこと、近代国家にするには各地の藩政府(小さい国が一杯あるのと同じ)を廃止して、日本という国にする必要があったこと、が明治維新のきっかけになっていきます。 日本を再統一して、各地の藩を廃止するのですから、元々日本の支配者である天皇が「各地の藩は政治をやめて、明治政府に返してね」と宣言する必要がありました。これを廃藩置県というのですが、日本以外の国で各地の政治の実権者から「実権を返上せよ」と言っても返してくれず、内乱になるのが普通です。 いつの時代でも天皇が「じゃあ、○○君を征夷大将軍にして日本を任せるからよろしく」と言えば、各地の実力者が従い、「明治になって近代統一国家が必要だから、藩は解体してちょ、その代わり貴族として優遇するよ」と言えば、廃藩置県で跡形もなく藩が消えてしまうのも、天皇制をもつ日本の特徴でもあります。 戦前、軍部が「総帥権」を振りかざして、暴走したのもこの天皇の権威を誰も無視できなかったからで、この総帥権をもって、天皇に戦争責任があるとする説と、いや軍部が権威を利用しただけだから天皇に戦争責任は無いとする説があります。 戦後から70年近くたち、戦前の天皇のすごさが非常に分かりにくいのですが、最近であればタイの騒乱のときに、空港占拠までして対立した人々がタイ国王の「内乱になると多くの国民にも外国にも迷惑だから、話し合いで解決しなさい」と呼びかけると、おとなしく話し合いをして解決するのに、非常に良く似ているといえます。鶴の一声というのはこういうのをいうのでしょう。 こういうのを権威と呼ぶのですが、日本の天皇はエンペラーと呼ぶにふさわしい権威と歴史があります。 日本の歴史を語る際に、鎌倉ー室町ー戦国時代-織豊ー江戸と語るのは簡単ですが、世界から見て日本を特長つけるのは、天皇制に裏打ちされた各時代であり、天皇制がずっと続いていたからこそ、日本の歴史は独特であったということです。 また天皇制が継続した理由に、島国であり近代まで異民族・外国との戦争をほとんど経験してこなかった、ということも日本の大きな特徴になります。 あ、ちなみに「エンペラー」の呼称は現在では日本の天皇しか用いられません。
- ssssan
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偽書とか本物とかやたら騒がれて居ますが*ツガル外三郡誌*がお薦めです、今の津軽は当て字で古代のツガルは外河流と書いてた様です、青森の津軽地方はそこの旧家から出て来た古書です、偽物と云う学者もいますが私は本物派です、内容は宇宙創成から地球の成り立ちから日本の成り立ちから日本民族の成り立ちから段々近世に近づいて来るまでの内容です。 一回読んで見て下さい、ガッカリはしないと思うので。 ツガル外三郡の意味は現代の津軽地方が内三郡と外三郡に分かれてて六郡から自治機構が成ってた時の呼び名の様です、その時期は現天皇制とズレはソンナに無い様です、詰まり2.600年以上前からの記録を留めた書です、津軽の旧家和田家の蔵だか物置だかから発見された様です。
- tanuki4u
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その外国人がどこのひとなのかによって変わるかと。
- tiltilmitil
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「およそ1700年前からずっと天皇家を君主としてきた。伝説レベルまでさかのぼれば更に1000年」 途中で武家政権が実権握ってたけど、間違ってはないはず。