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電子書籍についてどう思われますか
日本語を勉強中の中国人です。皆様は電子書籍をお読みになりますか。電子書籍についてどう思われますか。 もし紙製の本と電子書籍を両方お読みになっている方なら、どんな本なら紙製で読む、どんな本なら電子化のを読む、教えていただけないでしょうか。 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
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私は電子書籍を利用したことがありません。その上で回答します。 私が考えている「紙媒体」でずっと残っていくであろう書籍は二つあります。 まず一つが絵本です。誰もが一度はお読みになったことがあるかと思いますが、絵本の装丁というのはとても分厚く頑丈なのです。 この理由は幼児が本来の使用目的で絵本を利用しない場合、例えばかじったり投げたりすることを想定して作ってあるからです。 電子書籍では、この役割を果たすことは困難となります。 もう一つは辞書や辞典、特に百科事典です。意外に思われたかもしれませんが、これには理由が二つあります。 一つは装丁のインテリア性です。百科事典の中には思わず飾りたくなるような、美しいデザインのものがあります。その重厚感も作用して、部屋のインテリアとして機能するのです。 もう一つは個人的な想い出によるものですが、子どもの頃私は暇なときに目的もなくただ百科事典や国語辞典を読み物として読んで知らない世界、言葉を学ぶのが好きでした。 調べたいことを調べるという本来の使用目的から外れたこの行為を実践したことがある人は案外多いのではないかと思います。 電子辞書やネット辞書では読み物として使用することは難しいでしょう。 電子書籍は本来の使用目的のみに特化した形態です。しかし案外本というものは多元的な意味を持つものだと感じます。新書やマンガなどは今後電子化が進んでいくと思いますが、だからといって全ての書籍が実体を無くし電子化するとは私は思えないのです。 日本語がお上手ですね。今後の精進を期待します。
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- TANUHACHI
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こんばんは。夜分に失礼します。僕にとっての「本」つまり「書物」はどうしても紙の本になってしまいます。たとえば、子どもの絵本なら本文に使われる材質が画用紙などの場合には、この本を読んだ子どもさんがそこに自らで絵を書き足すことで、別の物語を創ることのできる「余白」をわざわざと持たせている様な印象も受けます。 芭蕉や西行の俳句そして和歌を集め、作品として味わうための書物なら本文を雲母刷りなどの少し値の張る材質を選んでもよいかもしれません。 書物とは文字どおり「書く」と「物」が組み合わさった言葉です。書かれた言葉や絵を記し、読者に伝えるための手掛かりであると同時に、そこでなければ読者と出会うことのできない場所でもあろうと僕は勝手に考えています。辞書を作るには辞書に相応しい素材を選び、ちょっとした読み物ならば発色の良い洋紙がよいかもしれません。 個人的に電子書籍は好きではありません。活字中毒、本の虫などと揶揄されますが、紙の本には顔がある。作り手の顔がある。作品の著者であり、その本を担当した編集者であり、さらにはブックデザイナーや印刷会社でその種類や内容に適した文字フォントを選ぶ人の感性も加わって、初めて一つの作品が完成する。次から次へとつながっていくサッカーやラグビーのパス、あるいは音楽作品の『ボレロ』の様に最初は一つの楽器で演奏が始まりながら、最後はフルオーケストラでの演奏になっていき音楽としての広がりを魅せることで「ひとつの作品「を閉じる形にも似ています。だから言葉を仇や疎かにしたくはない。マンガだって『今日の猫村さん』が紙の本だから、自分の声で読んで声色やイントネーションそして言葉の強弱などのメリハリをつけることで、あそこに出てくる人物達に思わず自らを重ね合わせてもしまうことができます。仮にあれが電子書籍だったなら、コンピュータでデジタル合成された無機質な音が飛びだしてくるだけかもしれません。それでは言葉の広がりを鎖に繋いでしまうことにもなりかねない。 残念ながら、電子書籍には紙の本と違ってそうした「顔」がない。文字どおりノッペラ坊にも似ています。これ以上買ってくるなと家人に非難されますが、それでも僕は本を買い、言葉の海に漕ぎ出す楽しみに浸る毎日です。 本題から外れてしまってごめんなさい。
お礼
ご親切に教えていただきありがとうございます。お気持ちはよくわかります。本は触感があり、温度を感じられますね。大変参考になりました。
お礼
ご丁寧に教えていただきありがとうございます。いろいろ大変参考になりました。