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真に日本的なものとは(2) 雲南

質問の続きです。 稲作文化のルーツは中国にあったようです。 そのへんの事を通して探っていきたいと思います。 以前に中国へ旅行に行った時でしたが ガイドさんが 北京や上海より、雲南あたりの方が、心が落ち着く と言っていました。 印象に残る言葉でしたが 中国の田園地帯も、のんびりした感じでいいのだろう ぐらいに思っていました。 その事もあってか 前回の質問で Pさんから頂いた答えに、ピンとくるものがありました。 雲南に 何があるのかを知りたい のです。 日本的なもののルーツがあるのかどうか? それは、今も残っているのかどうか? 実際に、雲南に行かれた方がいましたらお願いします。 また、関係する情報でも結構ですので、よろしくお願いします。

みんなの回答

noname#180711
noname#180711
回答No.7

 米の話ではありませんが、補足投稿。 >せっかく皆さんがいろんな事を言ってくれても否定ばかりしているから、かなり嫌われてきたようです(笑)  さあ、嫌われたかどうかは知りませんが、投稿してくる人のメンツは少なくなっていますね。結局、Aさんの話は、いつも主観的なんですよ。自分の感受性や琴線に触れてこないものは嫌だと言うけれど、じゃあ、それはなんなんだ?と言うと、質問文に書いていない。妙に情調的な文章ではぐらかされる。気付くと、質問が締められている。BAがないってことは不満なんだろう。さりとて、文句もちゃんと書いてくれない。言ってくれればいいのにさ。だからいらっとくる。まあ、私はこういう不満がありますね。 >まあ漠然と・・玉ねぎの皮を剥いていって、最後は何もなかった、残らなかったっていう事にもなりかねない  結局、こりゃ、Aさん次第かね。楽しいことは自分で見つけろと言いましたが、実際、受け止め方次第なんだと思います。凡庸なものにも、感動できる人っているでしょう。あれは嘘をついているんじゃなくて、受け止め方がうまいんだと思います。Aさんは別の意味でうまい。コンフリクトをそらすのがうまい。しかし、これが自分に嘘をつくことにもなっているんだろうなあ。 >それよりも ですが大きな答えを出そうとするよりも、小さく確かな答えを出そうとするか・・或いは、漠然としたままでいいから煮詰めてみようとか あるんでしょうね さてどうしますか 多くの人が感じる心という主観に絞ったほうが いいんでしょうかね その方が答えやすいし、今までにも沢山いただいています  このカテで客観的な回答は無理でしょう。論文みたいなものを投稿できる人は、ほとんどいません。実際、字数も半端だし、論文ってもんは本当に書いたら、お金と時間がかかるんです。学者が一年やって一本程度のペースだから、最低でも三百万円くらいかかっているんです。まあ、無理でしょう。だからある程度、相手の都合も考えないとならないんです。それに問いを投げる方も、なかなか大変だ。予習しないとなりませんからね。  かといって悲観するべきものでもないと思いますよ。大体、大学なんかで講義を受けたら、一回の授業料で私立なら5000円を支払うことになる。ここだとクオリティはまちまちだが、ただで、いろいろ気がつくことができる。たまーに、院生とか、学者に行き当たる。あるいはよく考えている市井の知識人に当たる。TPOってやつでしょうかね。しかしそれには一期一会を大切にしないとならない。いや、上から目線で言うのはおこがましい。ご愛嬌ということで(笑)。  当分、忙しくなるので去りますが、また機会があったら、お相手してください。ではまた。

noname#189751
質問者

お礼

ありがとうございます。 この質問の続きを 日本人的主観の世界に絞ってみたいと思っています 渡来文化が、なぜ、和様というものに変わっていったのか そのへんを、日本人的感性という面から見てみたい気がします 機会があったら、またお願いします。

noname#180711
noname#180711
回答No.6

 雲南は行った事がありませんが、稲作については、昔、友達が何だか論文を書こうとしていました。稲作ナショナリズムだとか言っていました。  ・日本人=白米を食う民族、 と定義した上で、辺境の民は、稲作に参加することで「国民」として認められようとしたというのでした。東北のことです。その結果、東北は悲惨な搾取をされたという議論でした(これを真に受けたら、ブラック企業の話じゃないけれど、二度と米を食えないわ。食うものが無くなって行くなあ。泣。私が考え過ぎなのかな)。  この論文、どの程度の学術的に根拠があるのか分かりません。天皇が大嘗祭をやるように、現代に至るまで稲作は重要です。だから、無根拠とも言えない。国の中枢に稲作がある。しかし確実な根拠とも言えない。要するに、本人がどう思うかだけです。私は論文を書いていた人に、今日、飯を食ったけれど、そんなこと思わないわー、といいました。米が食えなくなるのが嫌だったからです。そこで会話は、終わりました(笑)。  ただ確かに日本人は白米にこだわりがありますね。今でこそ五穀米を食べてもいいって言う人は増えてきたし、グルメだとか言われるけれど、昔は白米以外食ってはならないという考えの人も一定数いました。だから先の、  ・日本人=白米を食う民族、 という定義は、あながち間違っていないのかもしれません。  さて、ここらが本題ですが、だからこれをひっくり返して、 ・米を食う民族=日本的 という発想もありなんだろうなと思います。米の起源が雲南だったかどうかは知りませんが(別の説もあるんじゃないかな)、そういう風に探求をしてみてもいいと思うのですよ。その方がアジア全体に目線が広がって、心が広く持てると思うのです。  いや、方法論で揉めているようでしたので、一言、横槍を入れて去って行こうと思います。繰り返しますが、雲南のことは知りません。植物展を眺めたことがあるだけです。植生が似ているとかなんとか言われていましたが、どの程度かは分かりませんでした。きっとアメリカのテキサス州よりは似ているだろうな、中東の砂漠よりは似ているんだろうな、霧のロンドンよりは似ているのかもしれない。そんな感じでした。適合率をパーセント化するのは不可能だろうと思います。  こういう問題は日本全国を行脚して、古き良き日本を感得した人が、雲南に住んで3年くらい経たないと結論が出ないことなんだろうと思います。そしてそれをやったとしても、学説としては、仮説の域を抜けないんでしょうね。だからもともと結論が出ない問題ですので、のんびりと、ゆるく、趣味として議論するべきことなのかと思います。似ていたら楽しいなとは、私は思いますね。  どうやっても仮説を抜けきらない話だから、趣味として話したいと言えば、Bさんもわかってくれるのじゃないかな。私の音楽の欄では、そういう風に接してくれましたよ。ただそれには、あらかじめ本人が「これは趣味の範囲の議論だ」と言わなくっちゃ。Aさんの質問文は、客観的真理を探究しているように読めるんですよね。だから、おまえ、そんな態度じゃならないよ、と噛み付かれたのでしょう。どの程度の精度のある議論を求めるか、という問題だと思うんですよ。最初から精度は度外視だと言われたら、何も言うことは無くなるでしょう。あとは持ちネタの範囲で、楽しく話すだけです。

noname#189751
質問者

お礼

ありがとうございます。 www.geocities.jp/ikoh12/‎ まあ 今こんなものを読んでいる状態なんですが これを読んでいて思ったのは 日本人とは 何から何まで混じりあったもの、人種だということです 人種としての日本人の形成や文化には、さまざまな証拠をもとに仮説を立てている 面白いといえば面白い 悪く言えば・・ 日本人とは ごっちゃまぜ なんですね 良く言えば 素晴らしい ごっちゃまぜ なんでしょう >どの程度の精度のある議論を求めるか まあ これは私にとって痛い点ですよ 漠然としたままでは、確かな答えは得られないというのは頷けますからね 質問の最初に 「ありますかね?」と尋ねたところから曖昧になっている 客観、主観含めて曖昧になっている せっかく皆さんがいろんな事を言ってくれても 否定ばかりしているから、かなり嫌われてきたようです(笑) まあ 漠然と・・玉ねぎの皮を剥いていって、最後は何もなかった、残らなかった っていう事にもなりかねない それよりも ですが 大きな答えを出そうとするよりも、小さく確かな答えを出そうとするか・・ 或いは、漠然としたままでいいから煮詰めてみよう とか あるんでしょうね さて どうしますか 多くの人が感じる心という主観に絞ったほうが いいんでしょうかね その方が答えやすいし、今までにも沢山いただいています 日本人の起源や稲作文化・・については あくまで一つの参考にしかならないのかもしれませんし 迷いますね 一つの重要な参考にはなっても、答えには結びつかないのかもしれません 米を食う人々・・というのは 仰るように、一つの定義にはなっても答えにはなりませんか・・ね(笑) 日本人である事と 日本的なものとを同時に尋ねては いけなかったんでしょう・・ね スタートミスだったとするならば やり直してみましょうか 誰でも ズバッと言えるような形で・・ その方がいいかもしれない ちょっと考えてみます。

回答No.5

 いちゃもんをつけてるみたいだけれど。  ★★(趣旨説明欄) Pさんから頂いた答えに、ピンとくるものがありました。  ☆ というとき それは  ★★ 真に日本的なもの  ☆ という主題のことで言ってるのなら 考えものですよという意味です。  ★ 言語から見て それを生みだした文化の歴史を どうこうと言うのは狭いと思う  ☆ って言ったって その本人が 言語の類似性を言っているぢゃん。だから そうではないですよと言ったまで。  韓国語と日本語とは 数詞について 互いに対応していて あたかも同じ家族としての言語であるみたいだけれど 固有の数は 別にあって 互いに異なっている。こう言ったまでです。  《狭い》とわたしが言っているのです。よ。  あと 主題から派生して 副次的な小主題をあつかってもいいのでしょうけれど 《日本的なもの》の探究と 稲作なりその環境なりなど個々の事柄についての探究とは やはり違いますから そこは区別してすすめるのがよいと考えます。  《雲南》という小主題は 日本的なものとのつながりでは 最後には落とされると思う。微妙なところもあり 惜しいのだけれど そこは区別する必要があると思われます。  むかし鳥越憲三郎という学者がいて 古代日本について見識があるのですが 途中から 日本のルーツとしてこの雲南に集中して行きました。むろんそれについての著書も出ています。  雲南の少数民族は 探究としておもしろいのですが いかんせん 日本人論としては 傍系と言いますか ほとんど取り上げられていないと思います。(ずっと日本古代史の研究者の発表などを きちんと追って来たわけではないので 最近のことは知らないと言えば知らないのですが)。  あるいは 稲の渡来にかんしてはルートがいくつかあるというのが いまでは定説ですし。  あるいは 例の中世史が専門の網野善彦が言うには 日本は決して農耕民族だけの社会ないし文化ではないのだと。山村での狩猟民や海辺での漁労民もいたことを忘れてはいけないと言います。  あるいは同じ網野は 東日本と西日本との違いに注目しています。《日本的なもの》というとき 二分されるのではないかというまでの見方です。東では 縄文時代・縄文文化が根づいていると思わせるところがある。アイヌの問題もあり 西なら西は アイヌをもふくめて東(あづま)をことむけさせる(平定する)対象としてしか見ていないかも知れないとか。  農業は何とか再生させなきゃいかんでしょうね。

noname#189751
質問者

お礼

ん  まあ ありがとう 方法論うんぬんと ケチをつけられても困るのだが 真に日本的なものとは 日本的なものに限らないという 見方もできるんじゃないだろうか 気候風土という環境と生活文化の関わりは、切り離せないと思うし 伝来した外来文化の中にそうしたものを見出す事は可能だし、辿る事も可能だと思う 稲作にこだわるのは、自分が実際に携わった経験もあるからだ たぶん、そのへんがBさんとの立場の大きな違いのような気がする 主観面で部分的に知る、日本的なものは誰でも持っている 知識も感覚もあると思う でも まだまだ 何かあると思うよ 真に日本的なものを尋ねる という事が まだ知らない日本的なものを尋ねる という事になってしまうのか それで終わるのか それはまだ分からない 結果はまだ先だ ケチはいくらつけても いいんだけど すこし余裕を持たせてくれ 農業再生 っていう言葉 もう終わった言葉だ 過去にこだわった、日本の農家の生活形態はすでに壊滅している 農家崩壊の事実から、農家再生は有り得ない 農業再生っていう言葉を、農家再生っていう言葉に誤解させて、政治家が票集めに利用してきただけのことだ 目先の政策をコロコロ変えながら票を集めてきただけのことだ これからは、農業という言葉はあっても、法人事業としての農業になっていくと思う 農家による農業はもう終わりの時代を迎えている 農家による農業の再生も有り得ない 政治家も農家における集票の必要性がなくなってきたから、農家を保護する必要もなくなってきて、法人化優遇を打ち出してきたまでだ 農家保護の時代は完全に終わったと見ていい つまり、再生ではなく 新たに始まる農業の時代に入りつつあるということだ 日本の新しい農業の姿は、まだ確定してはいない でも方向付けは決まりつつあると思う 再生ではなく、新生なのだと思う それしかないし、それで またいいのかもしれない 年寄には、ちと寂しいんだが・・・

回答No.4

 ご説明:  数を表わす言葉として:  ・・・・・・・・・漢語・・・・・・・・・・・・・固有語  ______________________________  韓国語 イル・イー・サム・サー・・・ハナ・トゥール・セー・ネー  日本語 イチ・ニー・サン・シー・・・ひと・ふた・み・よ  つまり 外来語として漢語を採り入れていて その部分では 互いに対応しているということを言っています。  固有語としては 違っています。  これでわかった?  漢語の部分で《似ている》としても 本来の《ルーツ》とは別です。  さも貴重な議論であるように見えたのかも知れないけれど 考えものですよという助言です。  

noname#189751
質問者

お礼

そりゃ ちがうよ Bさん 言語から見て それを生みだした文化の歴史を どうこうと言うのは狭いと思う 主観面への こだわりが強すぎるんじゃないの 精神と環境は別物だと は言い切れない と思う 精神のみを尋ねる前に 環境と文化の歴史を客観的にたどってみる必要があると思うんだ そこから 精神的なものが自然と浮かび上がってくる可能性があるんじゃないだろうか だから 今聞いているところだ Bさんは 不毛の問いかけだと言いたいんだろう でも 自分は 農家に生れてきたせいか 稲作という 心の原風景が どこで生まれて どこから来たのか知りたいんだ 米を作る という事の中に 日本的なものがあるような気もする 自然の中で食べるものを作って生きる という姿は もう日本にはない と言ってもいい 農家という素朴な世界は無くなってしまった感じがする 今の農家は、規模が集約化され、高齢化が進み、就労人口は激減してしまった さらに数は減っていくばかりだと思う 法人化された農業だけが残っていく状況になりつつある 農業そのものが無くなる事はないと思うが、 いずれ、農家という暮らしの姿、生活形態は、日本から全く無くなってしまうと思う 自然の中で、主食である米を作って生きる という事の中に 日本的なものの源があるのかもしれない そんなふうにも思う 米だけは 日本の食糧生産の中でも特別なものだった事は確かだ 歴史的にもそれは明らかだと思う 近年、自主流通米という、自由な扱いを受けるまでは、そうだった感じがする 聖域という言葉さえ、今もってあるくらいだ 自然がもたらす貴重な恵みを 米に感じている人がどれほどいるだろう 現在の稲作農家でさえ、米は、お金と交換できる品物、商品としてしか見ていない気がする そういったところにも、失われていくものがあるような気がする 小さな米粒に感謝する心は、もう無くなってしまったのかもしれない 国の礎でありつづけた稲作は、これからも形を変えて続いていくと思うけど それが新しい文化を生みだす可能性は無いような気もする 農家という 自分の原風景が何であったのか 知らず知らずのうちに、それが日本的と言えるものだったのかどうか 自分は、日本的と呼べるものに包まれていたのかどうか きれい だとは言えない 受け継がれてきた農家の世界とは何だったのか・・ 今となっては、宝物になってしまった風景は何だったのだろう・・ 日本的と言えば きれいな文化、心と捉えられやすい でも それは表面ではないだろうか そんな感じもしてしまう・・ 疑問だらけ・・ 一生かかっても解けないかもしれない Bさん そんなところなんですよ。

回答No.3

 韓国では イル イー サム サー・・・と数を数えます。  むむ? 似ている?   ??????

noname#189751
質問者

お礼

そう 迷わすなよ・・ こんがらがってくるじゃないか 言語学って わっかんないん だよ~ おれを いじめないと 気が済まないのか・・ あ~ それも 日本的か ・ ・ ・

回答No.2

 こんばんは。  ★ 雲南に 何があるのかを知りたい のです。  ☆ 歌垣があります。ですが ここから 《ルーツ》や文化の系統を捉える議論をすすめるのは 考えものです。  人間は ほとんど来ていないであろうと思われること。  そして この稲作の弥生時代の前には 長い期間の縄文時代が 日本にはあります。  おおむね縄文人と〔おそらく朝鮮半島からやって来た〕弥生人とで《日本人》と呼べる人と社会が出来上がったと考えられています。  歌垣にしても 似ていますが 違うところもあります。  ▲ (ヰキぺ:歌垣) ~~~~  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%9E%A3     歌垣(うたがき)とは、特定の日時に若い男女が集まり、相互に求愛の歌謡を掛け合う呪的信仰に立つ習俗。  現代では主に中国南部からインドシナ半島北部の山岳地帯に分布しているほか、フィリピンやインドネシアなどでも類似の風習が見られる。  古代日本の常陸筑波山などおいて、歌垣の風習が存在したことが『万葉集』などによりうかがうことができる。  § 概要  現代の中国南部および東南アジア北部で見られる歌垣を概観すると、祝祭日(多くの場合、播種前の春先)の夜に10代半ばから20代の男女が集会し、互いに求愛歌を掛け合いながら、対になり恋愛関係になる、といった類型が多い。このように、歌垣は未婚男女の求婚の場という性格が強く、また、集団での成年式に起源すると考えられている。  § 日本  古代日本における歌垣は、特定の日時と場所に老若男女が集会し、共同飲食しながら歌を掛け合う呪的信仰に立つ行事であり、互いに求愛歌を掛け合いながら、対になり恋愛関係になるとされる。語源は「歌掛き(懸き)」であり、東国方言の「かがい(嬥歌)」も「懸け合い」に由来すると考えられている。時期としては春秋に行われ、生産の予祝・感謝としての性格を持っていたとされる。  ~~~~~~~~~~~  ★ 真に日本的なものとは  ☆ という問い求めですよね。  言語や習俗や文化などの系統論がわるいとは思いませんが それよりも――それらを参考にしつつも―― やはり日本人の考え方として背骨となっているものやいわゆるたましいと呼べるものを見つけ出すほうがよいと考えます。  ひとつに限ることもないでしょうし。  《似ている》 ゆえに 《ルーツ》だというような安易な問い求め方をしていませんか?

noname#189751
質問者

お礼

まあ Bさん そう いじめなさんな・・ ちょっと追求中なんだから 「大和たましい」っていうやつも 忘れちゃいないよ せっかく 主観と客観を分けて 試しにみてみようとしているんだから それはルーツを訪ねてゆくところに、或いは明らかになってくる可能性だってあるんじゃないだろうか いじめるのが 早すぎるよ ちょっと 待ってくれ なっ

回答No.1

最古の稲作遺構は、中国の江南地方、揚子江下流から 中流にかけての地域で発掘された、約8千~1万年前の ものである。 ジャポニカ米の栽培方法である苗時には潅水させるという のは、梅雨になると揚子江が増水する、この地域の特性 に由来すると考えるのが自然である。 雲南でもジャポニカ米は栽培されているが、傾斜地の棚田 であって、ここで発生した作物だとは考えられない。 ジャポニカ米稲作農耕文化圏(温帯モンスーン地域=常緑 照葉樹林帯=納豆・漆器文化=A型地域)は、日本から中国 ・江南地方、雲南、ブータンまで広がっている(ブータンでは、 日本では古代米と呼ばれる赤米が主食)。 その向うの端のブータンでも、日本の着物と似たような民族 衣装「ゴ」を着ている。 私が「日本の民族衣装も呉服と呼ばれており、それは中国 ・江南地方に何度か興きた国『呉』が織物で有名(織姫伝説 の発祥地)で、そこから伝来したから」と言うと、ブータン人は、 「ゾンカ語は元来は表音文字だったが、歴史的経緯が付加 されて表意文字的になっている。服の『ゴ』はそうした表意性 がなく音を忠実に表しているから外来語だと思われ、日本と 同じく呉から伝わったと思われる」という答えだった。 (ちなみにゾンカ語で数字は「チィ、ニィ、スム、シ、ガ‥‥」と 数えるが、「シ」は「死」に通じ縁起が悪いので、口語の発音 では「ジ」と濁すという、類似っぷり) ちなみに、中国江南地方の国、呉は、北方の漢民族や 遊牧系の民族や、南方のベトナム(越南の発音)に攻められ (呉越同舟)、東西に逃れて、東の東シナ海に逃げた一派は 偏西風に乗って北九州に稲作を伝え、西に逃れた一派は、 揚子江沿いに逃げて雲南に至り、そこから同じ気候のヒマラヤ 南面沿いにブータンにまで至った、ていう。 離島や山奥に、遺存種として古い種が残る事はよくある事だ。 古代に一大文化圏を成していたA型王国(ジャポニカ米稲作 農耕文化圏)は、その中枢部が南北から挟撃されて滅び、 日本とブータンに、それぞれ離島のイリオモテヤマネコと 山奥の雷鳥として生き残っているのだ。

noname#189751
質問者

お礼

ありがとうございます。 非常に興味深いことばかりです。 時間をかけて、じっくりと味わってみたい。 だいぶ前に仏教関係の調査で、成田山の方が奥ヒマラヤのスピティ地区に入ったことがありました そこで会った現地の人々は、日本人以上に日本人らしいと感じたそうです。 ルーツは、やはりあるんですね 繋がっているんでしょう。 とりあえずはお礼です。

noname#189751
質問者

補足

いやはや・・ 調べてみると面白いですね 日本の稲作の始まりは、約6,000年前らしい 中国では、その倍の古さ、約12,000年前とは・・ 雲南ではなく、揚子江下流域が始まりらしいと・・ 稲作文化と、照葉樹林帯の関係について、何かお知りでしたらお聞きしたいと思います。 私見でも結構です。 ちなみに 日本では、宮脇さんという方が仰っていますが 本来の自然植生がほとんどないという状態のようです。 自然植生と、そこにおける生活・文化というものについてもできれば、お伺いしたいと思います。 よろしくお願いします。

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