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「世界に一つだけの花」は日本の国力を衰退させたか。
一般的にJポップの名曲と認知されている「世界に一つだけの花」について、今更ながらと言うか、今だから気になる事があり投稿しました。 (少し長い文章になります。最も、3分もあれば読めるでしょうが...) この歌は、 『たとえ他者との競争に敗れ自分の価値を認められなくなっても、あなたはもともとかけがえの無い価値のある存在だ。くじける事があってもその価値を一生懸命磨こう』 というふうに、個人の価値を無条件に肯定した上での、頑張る人への応援歌だと僕は捉えています。 「どうしてこうも比べたがる?」 「No.1にならなくてもいい」 に対して 「世界に一つだけの花」 「もともと特別な Only one」 と言った印象的な言葉の対比が、相対的な価値より、絶対的な価値や個性を重視するこの歌の立場を鮮明にしています。 この歌が一つの薬なら、それは競争社会の中でヘトヘトになっている大人や学生に処方されたとき、最大の薬効を発揮するのでしょう。 現に、社会現象と呼べるくらいにこの曲を耳にしない日は無かった、と言う期間もあった様に思います。 それは音楽の力だと思うので、この事関してはまったく文句はありませんし、それだけならこんな質問もしていません。 問題はこの歌を子どもたちにも処方した事です。 大人たちは自分たちが得た薬効と同じ効果が、子どもたちにももたらされると信じた様に思います。 幼稚園や保育所では合唱させ、小学校の教科書にも載ったと聞きました。 この歌は非常に有効な薬ですが、それと同じだけの副作用もあると僕は考えています。 それは、 『自分はこの世界に存在している時点で、無条件に価値ある存在として認められる可能性がある』 と言う印象を、この歌は聴く人に与えている、と言う事です。 競争の中ですり切れている時にこの歌を聴けば、背中を押してもらえる様に気持ちが軽くなるでしょう。 しかし、すり切れるほどの競争の中で生きてはいない人間、すなわち子どもたちが聴けば、 「どうしてこうも比べたがる?」 「No.1にならなくてもいい」 「世界に一つだけの花」 「もともと特別な Only one」 と言う印象的な言葉は、一転、こちらに刃を向けてくる様に思われます。 つまり、 『自分にはもともと特別な価値があるのだから、苦しんで他者と競う必要は無い』 と言う、別の、言ってみれば本意にそぐわない印象を与え始める様に思うのです。 言うまでもありませんが、 「一人一人がかけがえの無い存在」 「一人の命は地球より重たい」 と言った、無条件肯定の言葉のみを頼って、自己の価値を証明する事は出来ません。 その点でこれらの言葉はすべて甘い幻想にすぎません。 努力し、戦い、負けても這い上がる事が、人間の価値のあり方の一つの真実だと、月並みな言い方ですが僕はそう思っています。 しかしこの歌は、好意的に解釈しない限り、これらの真実を熱心に肯定的する様子をうかがう事は出来ません。 十分な解説無しに、この歌を念仏の様に子どもたちに聞かせる、唱えさせる事は、彼らを成長させるどころか、反対に人間の持つべき底力を奪いはしないかと心配しています。 百歩譲って、この世界には日本人しかいないのなら、それでも別に構わないのかもしれません。 しかし、戦わなければ認められない、という空気の中で育っているであろう、自己主張の出足鋭い周辺諸国の人間と比べた時、どちらが人間としてタクマシイか、比べるまでもありません。 最近の種々の世論調査を見ていると、日本と諸外国の、特に若い世代の間にこのタクマシさの差を感じるのです。 ここまで話を大きくするとこの歌だけの問題ではないので、申し訳ない様な気もします。 それに個別に見れば、この歌によって実際にすくわれた人もいるでしょう。 しかし全体として、この歌が気付かぬうちにじわりじわりと日本人の、それも若者から牙を奪い、国益を損ねる事に加担しているのではないかという仮説は、まったく的外れとは言えない様な気がします。 この曲のヒットは、大理石で出来た堕落の階段を、大人が子どもの手を引いて、日本人みんながその先に正しいものがあると疑いもせず降りていった様な、不気味さと薄ら寒い恐怖を今更ながら感じさせます。 この歌が普通のポップスなら気にも留めませんが、ながく影響力のあるヒット曲だけに、聴く人が価値の意味をはき違えないか心配です。 皆さんはどう思われますか?
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- toshipee
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今時、親を見て、子ども達は努力のすべてが成就するわけでもないことを知ってる。ナンバーワンをめざすこともオンリーワンだし、ナンバーテンでも要は生きていける納得のいく人生を送れってのがこの歌のメッセージ。しかし、それだけ深く聞いてる子どもはどれだけ居るだろうか。 幻想しているのは親だ。大人だ。中高校時代に友達ぽっちもつくれなかったから、夫婦がつくれない。だから、それが子どもにうつって子どもはデジタルの幻想にのめり込む。ラインでグループに大勢で入り、既読に縛られ、悪口の掲示板と化す。そしてラインから消えていく。顔も合わせないで。 ヒトの基本は家庭で作られる。歌程度では、基本はつくられない。軌道修正が精一杯だ。心配ない。
お礼
ご意見ありがとうございます。 少し趣旨がそれますが、おかげさまで一つの過ちに気づきました。 それは僕が「子どもたち」とひとくくりにしてしまっていた事です。 日本に限って言えば、子どもたちの中には、思慮深い両親の元で伸び伸びと育つ者もいれば、 こんな親の元になら生まれない方がまだマシだ(厳しい言い方ですがこういう親は厳然と存在します。言うまでもなく、この場合責められるべきは子どもではありません。) と言う様な家庭環境で生きている者もいます。 後者の様な親に育てられ、自己肯定出来ずに苦しんでいる子どもたちにとっては、おっしゃる様に、良くも悪くもこの歌が一服の清涼剤程度にはなり得るのかもしれません。