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「世界で一つだけの花」の考え方って誰かが言ってないですか?
SMAPの「世界で一つだけの花」って、なんだか理屈っぽい歌だなあ、と思いながら(^^;も、こういう考え方を人々が支持している理由を私もよく理解できます。 ところで、歌の内容としては、人間を優劣で価値付けることを否定し、違いがあることでもって意味づけすること。そして個々の才能の伸長すること。…といったところでしょうか(違う見方があったら教えて下さい)。 こういうのって、なんだかよく聞く考え方のような気がするんです。部分的にでも、誰か思想家や宗教家、教育関係者などが言っていることなんでしょうか。 また、興味として、最初に言った人っているのでしょうか。 ご存じの方がおられましたらよろしくお願い致します。
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その歌詞を知らないものですから推量なのですが、質問者氏のまとめられた内容にあてはまるものとして、私には「華厳経」がイメージされます。 華厳経は大変長大で内容も幅があるのですが、そこで説かれる重要な思想のひとつに、世界の全ての存在はそのままの形で仏性が現れたものだ、というものがあります。この世の全ては、存在も現象も一切が仏性の現れである、つまり仏の命が姿をとったもので、根本的には価値の優劣は全くないのだ、ということです。 例えば花を見ても、我々の目に映る現象面としては華麗であったり地味であったり、長短、大小、美醜、さまざまな差が感じとられるのが普通です。しかし華厳経では、それらは全て本質的には同じ仏性が仮に異なる姿をとったに過ぎず、根底では仏性のあらわれという意味でつながった存在である、と説くのです。 この意味で、仏の立場から見れば全ての存在はそのままの形で絶対の存在、肯定されるべき存在なのであって、美しい華麗な花ばかりでなく、小さな花、名もなき花もそのままに絶対の価値を持つ存在である、と説くわけです。こういう見方に立てば全てがそれぞれに個性だということになり、わざわざ個性と言うことすら必要でなくなるのですが、あえて言えば「そのようであること」そのままが肯定される、ということになります。 また、よく「一即多、多即一」と言われるのですが、ひとつの存在は世界全体と関係しあって存在するという広がりを本質としては持っているものだし、また逆に世界全体があるひとつの存在のありように投影されて存在するのだ、という風に華厳経では考えていきます。名もなき路傍の一つの花という存在には、実は背後で世界全てが関わっているのであって、それだけを取り出して価値を云々することは本来できるはずがないのです。 そもそも「華厳経」の華厳とは、雑華厳飾(ぞうけごんしき)の略だと言われます。厳飾というのは飾ること、雑華というのはいろいろな華、ありとあらゆる華という意味です。要するに良い・悪いという相対的な価値を論ずることなく、全ての華で飾られている世界をありのままに見ようとするのが「華厳」なのです。 普通にいわれるきれいな華、そうでない華という区別を超越して、つまり私たちの狭い価値判断を超えて、全ての華の個性をそのままに認める世界のありようが説かれるわけです。もちろんこの華というのは単なる比喩で、実は人間存在の価値について説いていることは言うまでもありません。
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jiveさんは、世間一般的な尺度での評価で満足しているということでしょうか? そういう事で自分を評価しないでくれって思われたことはありませんか? 勉強が出来なくて、スポーツ万能だったら、どうでしょうか。 スポーツする時間があるなら、勉強しろとスポーツを取り上げるでしょうか? 子供が理系が万能で、でも親は文系方面に進んでほしかったら、無理やり文系よりの勉強をさせるのはどうでしょうか? 間違いが起こっても、むやみやたらに叱るのではなく、なぜ問題が起こるのか、なぜしてはいけないのかを教えないといけないと思います。 ある時期、私はアルバイトさんたちの教育、仕事中の流れの把握等していました。 1シーズン約8名ほど見ました。 私にとって初シーズンは、その個々のアルバイトさんを知る前に、自分の尺度でこの人はだめだ、この人はいいと判断してしまい、自分がいいと思った人間をリーダーにおきました。 自分の判断は間違っていました。 時間が経ち、アルバイトさん自身を知っていくと、私が下した最初の判断とは全く逆の現象が起こっていました。 この人はあまり使えないと判断した人は、お客様の状況を瞬時に判断でき、気が利き、無駄な動きが無く、周りのアルバイトさん、厨房内での信頼を得ていました。 掃除が上手な人もいました。 私がリーダーに選んだ人は、他人におかまいない状況で、口ばかり。 いかにサボって楽できるかっていうのが手に取るのが見えました。 私が見えないところでの他のアルバイトさんへのいじめもありました。 人を知る前に、人を見た目、言動、履歴書で判断してはいけないと痛感しました。 自分がこうできるから、他人が当たり前と思っていると間違いで、米の研ぎ方から缶キリを使って缶を開けられない女の子、掃除の仕方がわからない女の子がいてすごいびっくりしました。 サービス業が初めてで、お客様に対する言葉遣い、お皿の出し方がまったくわからず、不快感を与えるようなこともありました。 叱ったり、クビにするのは簡単です。 誰だって初めてなものはわからないのが当たり前、きちんと1から教えていけばわかってくれるんです。 教えたとしてもミスをするのは当たり前。 そこで、声を荒立てて叱ればいいのでしょうか? なぜミスをしたか、なぜそれがミスなのか教えると、間違いは減っていきます。 ある時期まで、いい学校を出て、いい会社に入ってというのが良いっていう風潮がありましたね。 勉強勉強で人間形成が未熟だというのが問題視されることもありました。 今はいい学校をでれば、いい人間という判断はしなくなりましたよね。 子供個人の個性を伸ばそうと考える人が増えてるような気がします。
お礼
まず、質問の書き方が不備であったことを深くお詫びします。私の短い文章から読みとった、私の内面の未だ自分で気づかない未熟な部分への鋭い洞察が含まれているであろうご返信に敬意を払いつつも、幾分、質問文がいささか誤解を招く書き方であったため、その点、弁解じみた補足とお礼を書かせてください。 私はこの歌詞の内容を馬鹿にしているわけではありません。逆に、このような普遍的内容をポップス曲として日本中に広め、人々に勇気を与えた制作陣は大変な功績と考えており、賞賛したい気持ちがあります。個人的に、大好きとはいかないまでも、大変好感の持てる曲と感じています。 ですから、歌詞内容に関して共感していますし、おっしゃる事例によって、さらにその歌詞の意味の深さを感じ取っている次第です。 取り上げられた事例で、勝手に人をある側面で見て、優劣を決めることの無意味さを書いておられるのだと思います。 私も、学校の基準で「いい子」と言われても「わかってないくせに」と思いましたし、「悪い子」といわれても「全部悪いみたいに言うな」と思いました。勝手に優劣をつけられてはいやです。 社会一般的な尺度、というのは誰が見てもわかりやすい価値に他なりません。逆に言えば、自分が外にどう見られているかと考えたとき、真っ先に見て取られる部分という事になるでしょう。でも、人間ってそんなわかりやすいもんじゃないよ、と当たり前のように思っていますので、私の場合、気にしていない(つもり^^;)です。 学歴社会と呼ばれた社会における人間観、人生観はおっしゃるとおり、過去のものになりつつあります。しかし、子供達にとってみると、かつての価値は否定され、じゃあ他にどんな価値があるんだ、と考えたときに、結局他の価値を見いだすことができず、とりあえず塾に行っているという子達が多くなっているように思います。学歴社会よりはましですが、もっと人生を明るく感じて楽しく生きられるように、大人が人生を楽しんでいるところをもっと見せてやりたい、そんな気がしています。 どうもありがとうございました。重ねて、不備をお詫びいたします。
そんなことより、花も虫も、海の兄弟も人間も、みんな、同じ世界に住んでいるんだ、という歌詞のほうが、いいと、私は思います。人間の中だけで、価値観を動かしていると、より大きな世界、人社会のおかれている世界が動いたときに、対応がきかなくなります。 そういうことを、たまには歌って欲しいと思います。 違ってよいも何も、現実に違うんだし、花の種子だって、それぞれ、自分の生きれない土地では芽吹きません。 自分の咲ける土を見つけるのは、その人にしかできないのでは?
お礼
おっしゃること、よく分かる気がします。 違いがあるも何も、自然界に目をやれば、あまりにも違っているもの同士が共存する世界に私たちはいるわけですね。人間同士の違い、それを優劣と呼ぼうと呼ぶまいと、もっと大きな土台に目をやれば大して意味のあることではない、ということでしょうか。 自分の咲ける土地を見つけるのはその人にしかできない、なるほど。自分について自分でよく認識して、自分の生き方を探る。人がどうこう言うこと、人をどうこう言うことは大して意味のあることではないように思えます。 どうもありがとうございました。
質問者さんはお若い方でしょうか? 「世界で一つだけの花」は一種のメッセージソングだと私は思います。この前も誰かがテレビでこの歌は「反戦歌」だと言っていましたが、「反戦歌」ではないでしょうね。 この曲のようにメッセージ性を持った曲は60年代後半から徐々にブームになりつつあった日本のフォークソングの中に多数見られます。70年代初頭にはいわゆる「プロテスト・ソング」として一つのジャンルを築いたようにさえ思います。私のような中年世代にとっては久々にメッセージ性を強く表現した曲だと感じていますが、質問者さんには少し違ったイメージに聞こえるのでしょうか? 最近の曲は私にはどうも無意味な曲が多いように思います。勿論、ラブソングにも良い曲はありますが、あまりにも「愛」「恋」をテーマにした曲が氾濫しているように思うのは私だけでしょうか? (モー娘。の曲なんてただわいわい騒いでるだけの曲のように聞こえます。←ファンの方、ゴメン。我が娘も大ファンですが、時々曲の事で言い争いになります。w) 今のお若い人にとってはプロテストソングやメッセージソングはナンセンスと感じるのかもしれませんが、この機会に昔のこれらのプロテストソング(フォークソング)を聞いてみて欲しいと思います。
お礼
私自身、この曲はとても素直で良い曲だと思っています。 質問文を読み返してみて、この曲が気に入っている方に失礼な感じがしました。大変失礼いたしました。 質問文にあるように、私自身もこの歌が嫌いなどというのではなく、逆にこういう歌が世に出て広く聴かれていることをとてもうれしく思っていますし、最近の曲の中でもとても貴重な存在だと思います。おっしゃるようにフォークのブームが終わってから生まれた人間ですが、詩のいい曲、またフォークも大好きですし、さだまさしの「戦友会」「道化師のソネット」などにも強く共感します。 私がお聞きしたかったのは、曲の良さを踏まえた上で、この考え方が結構良くある感じがした、ということなのです。 例えば、どこかの小学校の運動会でかけっこの順位をつけない、というのが話題になったように、優劣による価値付けを否定し、存在そのものを尊重する考え方は結構一般的かつ説得力があると思うんです。それが正しいかどうか、という風に考えると(ルサンチマン的じゃないかとか)いやなのですが、少なくとも、強いメッセージ性があります。 ただ、それはその考え方が意味を持つ、社会の状況、背景があって初めて、その考え方が重要視されるのではないか、と思うと、この考え方に最初に気づいて言葉にし、広めた人がいたりするかな、と思ったということなのです。 いたずらに曲を中傷しようという意図ではありません。大変失礼いたしました。
- ma_
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金子みすゞという有名詩人で、『私と小鳥とすずと』という詩の一節で、「みんなちがって、みんないい」というフレーズがあります。 よく、引用されている言葉のようです。
お礼
なるほど、私もその言葉を何かで見た気がします。金子みすずは好きな詩人の一人です。確かに同じ考え方ですね。気がつきませんでした。どうもありがとうございました。
- ma_
- ベストアンサー率23% (879/3732)
現在の受験社会のように、全員一律に同じ教科を学校で勉強し偏差値輪切・序列の世界ではなく、それぞれが個性をもちそれぞれの才能を伸ばすような教育を目指すといったのは、もともとある考え方でしょう。 特に、変わった思想ではないとおもいます。
お礼
そうですね、私も普遍的な内容である感じがします。 ただ、歴史的に、それをちゃんと言葉にした人がもしかしているのかな、という気がしたので、ちょっと質問させていただきました。取り立てて思想という程のことではないのかもしれません。ありがとうございました。
- taknt
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この歌は、僕が生きる道のテーマ曲として作られたものだと思います。 そのドラマの内容を歌にしたような感じがしましたので。
お礼
正直ドラマの主題歌であることも知りませんでした(汗)どうもありがとうございました。
お礼
その内容のみならず、花を例えに使うところまで一緒の考え方があるとは、本当に驚きです。 歌の内容よりさらに踏み込んだ考え方であるように思えます。違いがあること(あるいは独自性)に価値をおくのではなく、根本的に全てに価値がある、というわけですね。 大変興味深い内容です。仏教の類であることも驚きました。 貴重な知識を頂きました。どうもありがとうございました。