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人生を見つける
目で見つけるのではなく、こころに見つける、そんな人生について、感慨深い、しみじみとしたお考えをお聞かせ戴きたいです。どうぞよろしくお願いします。
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感慨深いかは分かりませんが。 プロのサッカープレーヤーは多分サッカーしてる時にはサッカーのことしか考えてなくて「サッカー楽しい」とか思ってない。 でも、多分サッカー終わったらすごく幸せで、サッカーがすごい好きなんだと思います。 となると、人生を楽しんでる人は人生が何かとか考えないで目の前の人生を精一杯生きてるんじゃないでしょうか。 少なくとも私は人生とは何かとか考える時は人生が楽しくない時です。 なので、考えるよりも行動のほうがいいんだろうなぁ。 と思います。
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- kurinal
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こんばんは。 ♪「好きならば、好きだと言おう・・・胸のうち、さらけだそうよ」
お礼
異性との出会いは大きいですよね。とても大事だと思います。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 人生は わたしの人生であり そうでしかなく そのことは 自分の意志行為として 自分の得になること・自分が楽しむことを〔のみ〕おこなうのですが ――なぜなら そうでなければ他人(ひと)は いやがります。 つまり あなたのためにおこなったのだと言えば 気持ち悪がられます ということなのですが―― そのわが自己中心的にして利己的な意志行為が すべて社会(人びと)のためであるという恰好になるのを見い出したとき ひとは人生を見つけることでしょうね。 たぶんそれには おのれがたのしむこと。 そして ひととけんか(自由な理論じょうの批判)をすること。 などが よいでしょうね。
お礼
こんにちは。 私は残念ながら喧嘩は嫌いですが、自己の利と他者の利の一致することが人生を見つけることというのはわかる気がします。人はそれを愛と呼んでいるのではないでしょうか。 ご回答ありがとうございました。
- 雪中庵(@psytex)
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子供の頃、科学少年だったけど、自分や世界が、何もない 真空中を漂う、微細な素粒子の相互作用に過ぎないという 世界観が、たまらなく孤独を感じました。 それは趣味の天体観測の流星観測において、一晩中屋根の 上で夜空を見上げている時に感じた、どこまでも宇宙空間に 落下していく感覚とも共通していました。 でも目の前のゴチャゴチャした生活が“事実”で、星や素粒子 の話が、どこか遠くの話とは思えませんでした。 歯をくいしばって物理の理解を深めていく中で、相対性理論の 持つ「物理的計量は観察者との相対による(絶対時空の否定)」 や、不確定性原理による認識の不完全性に由来する有限な 存在性の派生、といった積み重ねにおいて、人間原理の拡張 に至りました。 “無=不確定性無限”の潜在としての認識可能性(感受表面= 量子相互作用=現在)からの自我仮説(時間の流れ=記憶= 過去=時間軸)と時空仮説(空間の広がり=予測=未来=空間軸) の相補分化として。 そうした結果、物体に本質的な目的(価値性)はありませんが、 それゆえエントロピー増大=淘汰として、常に生物の目的を 「生きること」に収斂させます。 それは、個人の意識において、「意志の達成=充足の追及」と なります。 つまり、「人生を通算した精神的充足量の最大化」のみが、 本質的目的です。 それは肉体に付属した感覚器官に基づくものゆえ、短絡的・ 即物的になりがちですが、3つの点で、そうではありません; 1.「人生を通算した充足量」を構成する関数は、欲求の強さや達成率だけでなく、それを感受する上で「認識の深さ」が大きな要因であり、麻薬的な感覚的快感とは反対の方向性を持つ。(意味的深さ) 2.「人生を通算した充足量」を目指す上においても、「認識の深さ」によって人生全体を見通し、短絡的衝動をコントロールする必要がある。(時間的長さ) 3.分業化や組織化において人が社会性をもつにつれ、自己の生存の成立に、社会全体の活動が必須となり、真に「利己的」であるには、社会全体の自己の肉体と同等の自覚化(他我化=愛)が必要となる。(空間的広がり)
お礼
私には難しい箇所もありましたが、ロマンや真摯さが伝わってくる回答でした。特に、意味的深さに言及するあたりは同感です。ご回答ありがとうございました。
善人は自然に助けられる事が多いです。 悪人は災難が多い気がします。 日頃の生活態度で人生に大きな差が出ます。
お礼
自然との関わりも深い人生の示唆を与えてくれそうです。日々のことについても考えさせられました。ご回答ありがとうございます。
- cowstep
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自分は音痴で、小学校の音楽の成績は最低でした。中学校で音楽の理論を学び、筆記試験は満点でしたが、実技は最低でした。音符を読むことができても、奏でることができませんでした。 それから50年経ち、声楽家と出会い、童謡や抒情歌を習っています。楽譜を見ずに、音を聞いて、心で感じて表現することを学んでいます。情景を思い浮かべながら、感情を籠めて歌っている内に、発声法が変わり、音痴が徐々に治って来ています。音楽ほど心を揺さぶる芸術はないでしょう。これからの人生は音楽と共に歩みたいと、しみじみ思っています。
お礼
音楽、私も音楽には助けられることがあります。心理的にどうしても落ち込んでしまう時、いい友の様に、力を与えてくれます。 ご回答ありがとうございました。
お礼
確かにそういうものかもしれませんね。今という目の前に没頭しているのが、人生の本体かもしれませんね。あるいは、目の前の事で精一杯というのが本音かもしれません。ご回答ありがとうございました。