※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:外国史の問題です。)
外国史の問題:金融緩和・インフレ政策と農民の影響
このQ&Aのポイント
松方の金融緩和・インフレ政策は、農産物価格を高騰させ、中小農民の所得を増やし、市場向けの農産物の生産を促した。
大日本帝国憲法の特徴は、統治者である天皇が統合役割を果たさず、軍部の独走を招いた。
洋務運動は日本と清国の違いにより、日本では抜本的な改革が進められたが、清国では失敗した。
下記の問題に答えて下さい。正か誤で答えて下さい。早めにお願い致します。
松方の金融緩和・インフレ政策は、米をはじめとする農産物の価格を高騰させたため、国民の大半を占める農民にとっては実質減税となり、中小農民の多くが所得を増やし、付加価値の高い市場向けの農産物の生産に乗り出すことになった。
正
誤
大日本帝国憲法の重要な特徴は、さまざまな国家機関が指揮命令系統が不明確なまま併存していて、統治者である天皇によって統合されるしくみだったにもかかわらず、天皇は「神聖不可侵」とされたため統治の責任を負わず、じっさいにも積極的に国家機関を統合する役割をはたさなかったことである。憲法のこの欠陥は、大正期以降、軍部の独走を引き起こすことになる。
正
誤
清国の洋務運動は、既存の秩序の温存を前提としている点で、幕藩体制という古い秩序を解体して新しい秩序を創ろうとした明治維新と本質的に異なっていた。その結果、日本では既得権益にとらわれずに国家・経済・社会を抜本的に改革することができたが、当時の清国ではそれができなかったことが、洋務運動失敗の最大の原因である。
正
誤
1884年10月、金玉均たち朝鮮政府の開化派は、清国が清仏戦争のために朝鮮駐留軍を引きあげたのに乗じて、クーデタで閔氏政権を打倒した。在朝鮮日本公使も、清国の勢力を朝鮮から排除するチャンスとみて、独断でクーデタを支持した。その結果、翌年の1885年に朝鮮と清国は天津条約を結び、清国は軍隊を朝鮮から撤退させ、朝鮮王国の独立をみとめた。
正
誤
1894年11月、旅順を攻略した日本軍は、市内とその周辺で敗残兵の掃討作戦を展開する過程で、捕虜と2000人ほどの民間人を殺害する事件を起こした。現地軍は事実をみとめたが、外相陸奥宗光は、事件が欧米諸国との不平等条約改正交渉に影響することをおそれ、「戦闘の混乱のなかでの逸脱行為」「殺害されたのは市民ではなく、軍服を脱いだ清国兵だった」などと事件を正当化しようとした。
正
誤
日清戦争の戦費は20億円で、これは当時の国家予算の20年分にあたる巨額だっため、政府は、相続税を新設しただけでなく、煙草と塩の専売制度を拡大して歳入増加をはかったが、まったく足りなかったため、国内外向けの公債によって資金を調達せざるを得なかった。
正
誤
お礼
ありがとうございました。