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日本史B 無産政党の合法化

1945年に無産政党を結合させた日本社会党が結成された。 同年には非合法政党であった日本共産党も初めて合法化された。 (以上参考書より) “日本共産党も”とありますが何と並列しているのでしょうか? 恐らく日本社会党も合法化されて、 それと並べているのだと見当が付くのですが ネットで確認しても無産政党の合法化についての明確な記述 (日本社会党と日本共産党は同時期に合法化したのか等)が 見つからず困っています。

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  • ベストアンサー
  • j-mayol
  • ベストアンサー率44% (240/540)
回答No.1

検索のヒント 社会主義政党・共産主義政党の合法化の明確な記述がない 逆を考えましょう 戦前、何を根拠に社会主義政党・共産主義政党が違法とされ解散を命じられたのか・・・ 合法化というよりは、違法としていた根拠法が廃止になったと考えればよいのではないでしょうか?

tokuyak58
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

その他の回答 (1)

  • mekuriya
  • ベストアンサー率27% (1118/4052)
回答No.2

その参考書は出鱈目です。 そもそも、ほぼ全ての議会主義政党は1940年の大政翼賛会発足に先立って自主的に解散して大政翼賛会に合流しています。戦前に四分五裂していた無産政党は社会大衆党に1932年に結集しましたが、一番先に自主的に解散したのが社会大衆党なのです。 社会大衆党結党前の無産政党は、小党乱立で候補者の数ばかり多いけど、共倒れでほとんど当選しなかったんです。その反省に立って無産政党政治家は社会大衆党に結集した訳です。そして非合法政党だった訳ではないが、政権に参画できるチャンスだと喜び勇んで大政翼賛会に参じました。 終戦間際に大政翼賛会は解散してしまいましたが、戦後になって社会大衆党の流れを組む政治家が日本社会党に結集したということなんです。「無産政党を結合させた」という事実はない。 出鱈目な参考書の記述に惑わされないでください。どこの馬の骨が書いたとも分からない作文に囚われないでください。もっと大きく歴史の流れを捉えてください。 第16回衆議院議員総選挙 - Wikipedia 日本最初の普通選挙である第16回衆議院議員総選挙後の勢力図を見てください。立憲政友会と立憲民政党が拮抗し、ほとんどの議席を占める一方で、無産諸政党の微々たる議席数を見てください。 戦前、無産勢力は、議会主義を目指し社会大衆党に結集した流れと、共産革命を目指し議会の外で爆弾闘争を目指した流れの2つの流れがあるのです。 後者の日本共産党が治安維持法違反を問われたということです。戦後、治安維持法が廃止されると同時に、日本共産党を非合法化していた根拠法が失われました。 それが日本共産党の合法化という意味です。

tokuyak58
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

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