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涅槃・・・宇宙への飛翔
涅槃とは 宇宙への飛翔 法界という宇宙的意識への飛翔 直観で そんなふうに思うのですが もし 証明が可能なら やっていただけますか?
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★(No.8お礼欄) ~~~~ >宇宙的意識 待っている とは思いませんか 孫悟空を待っている 大空位を歩遊して 身秘密を成ず という 待っているものと 待っていることを知っているもの との出会い 法界ここにあり、一心ここにあり という ~~~~~~~~~~~~ ☆ これにしたがえば おそらくこちらから出かけるのではなく ナゾの何ものかが向こうからおとづれる。それを俟つ。というところでしょう。 ▲ 〔親鸞:自然法爾(じねんほうに)章〕~~~~ 自然といふは 《自》はおのづからといふ。行者のはからひにあらず。 《然》といふは しからしむといふことばなり。 しからしむといふは行者のはからひにあらず 如来のちかひにてあるがゆゑに法爾といふ。 * 爾(に・じ):しかり。そうである。 ▼ (道元:現成公案) ~~~~~~~~ 自己を運びて万法を修証するを迷とす。 万法進みて自己を修証するは悟りなり。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ あるいは 誤訳ではないかと言われる観世音菩薩。 世音を観るのでしょう。 宇宙つまり世界が その音なら音として 小宇宙なるワタシに《写像》――この用語でよいかどうかは ねむりねこさん おしえてください――されて来る。自然法爾にて 向こうからおとづれる。 言いかえると 《待っている》のは ワタシのほうがではないでしょうか。 ただしこう考えても 世音を観ることが出来たかどうか 残念ながらわたしには心もとないかぎりです。 ということは やっぱしヒラメキ論に行き着くように思われます。
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- hanniyagi100
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この世は無常であると悟った者は、この世、を捨てる、 かの世は無我であると悟った者は、この世、かの世、も共に捨てる。 そんなの近い表現が、古い経典にありましたよね? この世、とは人間の認識の世界=概念の世界=心の世界=亡者の世界 というような意味であり かの世、とは、プラトンの言う、実相(エイドス)と実相と合致する知恵(イデア)=考え方 の世界。いわゆる、法界(世界、宇宙、の在り方、起こり方、と合致する考え方=理法、を仏(導く もの)と した世界 というような意味ですよね。 そしてかの世、で修行、思索を重ねた、ボ-デイン・サットバ(悟りを求める者、菩薩)は、悟った、と自覚 すれば、この世も、かの世、も捨て、生も死もない、再びこの世に生を受けることのない、涅槃の世界 、宇宙と一体となる?。 よく、諸行無常、と言いながら、人間を、生れ老い病み死ぬ、存在。などと訳の解らぬ事が言われます。 すべては、変化、転化、するもの、であり。それは縁によりて起こる。なら、生まれる前の縁によって 生まれたのであり。死んだら、死体、肉体、が残り、それが、変化転化し、つぎの世界の縁として繋がるのです。死体は燃やし煙に転化したとて、質量は不変、であり。精神は、子や孫に付随しており。それがなくとも、生前の行為が縁として繋がっている。世界の在り方、においては、生も死もないのです。 それが理解出来るな、釈迦が死ぬ時、「これより、涅槃に入る、嘆いたり、悲しんだりする、事ではない」と言ったそうですが。宇宙的意識への飛翔、という言葉が当てはまるような感 もします。 証明=釈迦の考え=貴方の私の考え方 ???
お礼
ありがとう 真っ只中にいる と思えば 近い チャーパーラ廟で、ブッダは この世は美しい と言った 透明な客観 だったのでしょうね さて 涅槃とは・・?
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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シッダルタは除けておくとすれば: やはり はすのはなではないですか? どろのなかにねをはって咲くのでしょう?
お礼
すこし効いた・・よ 大賀ハスだったか 古代の種から 花が咲いた 縄文時代のコブシの木の種からも 芽が出た ツタンカーメンのエンドウマメもあった なぜ? そんなに? 生命力がある? 自らが自らを保つことには限界がある と思う 条件だけで と言うのには あまりにも不思議すぎる 泥のなかで じっと その時を待っている小さな種 ゴータマも そこから咲いた花の一つにすぎない かもしれない そう思えば ゴータマも 凡人も 雀も 同じだ ずいぶんと 仏性というやつを論じて長い だが なにも 仏性という言葉を使わなくてもいいと思う 大賀ハスの種が語ってくれる 一度、大賀ハスが沢山咲いている沼を 船でゆっくりと見物したことがあった 間近で見るハスの花はきれいだった 花びらが開いているのもあれば 蕾もあった ほんのりと色づいて 優しく感じた 船の舳先で かき分けながら ゆっくりと進んでいった感じはよかった 極楽とは別に思わなかったが 確かに この花は 仏に相応しい花だと思った どちらかというと 大きな蕾のほうに惹かれた 端正で見事な感じがした 一緒に行った人が 蓮の実が飛ぶのを見たことがあると言った 大きな実が音をたてて飛ぶ・・らしい 花が散って 実を結ぶ その実が いつかまた花を咲かす 根もあれば 実もあって 花を咲かす その花にとって 花を見ている自分とは 何なのだろう そう思わせるほど 大賀ハスの花は見事だった 涅槃に咲く花を 遠くにあると思ってみても 今 咲いている花よりも美しいということはない 現世の美しさに打たれすぎる ということはない なぜなら・・・ と そんな気もするのですが
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
A さんよ。こんにちは。皮肉られてるぢゃん。 でもそれは ふざけてはいませんよ。と分かってくださいよ。 けっきょくシッダルタ・シンドロームです。 えいやっと はねのけてやってください。 このシンドロームの証明は ここでのわたしの全文章です。 なんでゴータマごときに義理立てしなければならないの?
お礼
うう~ん ゴジラ襲来 義理 と来たか・・ 3月末頃から 雀があまり くず米を食べなくなってきた 繁殖期に入って 食べるものが変わってきたのだろう 毎年のことだ そのかわり さえずりが賑やかだ 尻尾を立てて 追いかけっこをやっている これで いいのだと思う かわいくて どうにもならない・・ 雀には 義理で餌をやっているわけではない 待っているから 餌をやっている ただ 雀が待っているから 時々思うんですよ 自分も 雀じゃないかって 自分という雀を見ているものが ある と そんな時 周りがきれいに見える 涅槃とは 借りてきた言葉を使っているだけです 義理立て じゃない 三法印の 無常から 無我へ 無我から 寂静へ と さらさらと流れていく 雀の声は そこから聞こえてくるような感じです 空即是色 でしょうかね 宇宙への飛翔 とは すこしオーバーな言い方だったかもしれない でも そんな気がするんですよ 拙い直観で・・
Bさんとのやり取りなど最近のご投稿を見ていて感じましたが、もしかしたら、ご自分が亡くなられるのを予感しているのですか……。
お礼
ご心配をいただいたようです。 まだ早い 私は瑞々しい感性的応答を期待しています 直観の証明は 直観によってなされる という あ-そうだったのか というものを待っています。
宇宙へ行くのは宇宙飛行士の仕事で、涅槃=やすらぎ とどう関係するのかわからないですが、 しかし、如来はあらゆる宇宙時期を知っていて、、云々という文言が経典にある以上、そういう壮大な事を想像しても仕方ないのかもしれませんね。 ただ、私の個人的見解は、人間は四季を知ることが出来るように、宇宙の四季を知ることができてもおかしくはないというものですが、宇宙の四季を知ることについてあまり興味もないというのが現状です。ロマンちっくではありますね。 また、宇宙という言葉をそのまま額面で受け取っていいのかという問題があります。現代科学で知る宇宙と、当事、宇宙と言っていた言葉の意味する所が同じではないこともありえます。 私個人としては、宇宙というのは、この世界、という程度の意味で捉えています。知りもしない遠い彼方の宇宙のことなど、考えて分かるものでもないですから。直観でも無理だと思います。
お礼
ありがとうございます。 毎晩 夜空の星を見ていて感じたことです >四季 せせらぎ さえずり 花 若葉 流れていく美しい時間は涅槃かもしれない 自然に包まれている心 変わらぬ星の光もまた 心に入ってくる・・ 2、3日前に きれいな流れ星を見ました 白く光って消えていった その時 自分と無関係ではないような気がしました 一年のうちに何回かは 全天に星が満ちて、圧倒されるような眺めがあります
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お礼
ありがとうございます >しからしむといふは行者のはからひにあらず 如来のちかひにてあるがゆゑに法爾といふ。 >自己を運びて万法を修証するを迷とす。 万法進みて自己を修証するは悟りなり。 うう~ん ゴジラが素直になっちゃった 素直すぎる・・ ごめんBさん 参考までに 観音とは 音を観る 観える音 ともいうようだ 解釈はいろいろで 知る働きと その対象は一つであるという 無分別智をいっているようだ 直観の知恵の働きを指す らしい >自然法爾にて 向こうからおとづれる。 これです あとは何も言うことはない 何も足さない 何も引かない というCMのようなやつ おとづれる ためには 何かが必要となってくる 全部預けてしまうという他力の意密 あるいは 全部捨てて座りきるという身密 なんでしょうかね・・ >自然法爾にて 向こうからおとづれる。 法界力のゆえになんでしょう そこで何が起きているのかは ヒラメキという カミナリなんでしょう きっと・・ すごいカミナリに違いない 電圧もかなり高いんじゃないかと思います。
補足
自らが飛ぶ という所作をしなければ 広い空は見えてこない 実践なしには 何も訪れはしない 訪れる という事は 実践という飛翔の結果 求めよ さらば与えられん 父のごとく 母のごとく 待っている 明るさへの飛翔