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日米修好中に、忍者?

聞きかじりですが、幕末、日米修好通商条約かなにかのパーティーに、忍者が忍び込んでいたという話ですが、本当? 詳しい方いたら、講釈を!

質問者が選んだベストアンサー

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  • Pinhole-09
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回答No.1

事実です。 嘉永六年か翌安政元年、伊賀忍者沢村甚三郎が、 黒船探索の命を藩主籐堂泉守より受けて、幕府の日米 修好役人の随行員の一人として、乗り込みました。 同伴の人と同じ待遇を受け、上甲板のテントでのパーティ後 案内を受け艦内を歩き回ったようです。 忍者のように忍びこんだのではありません。 大砲や機械を見たようです。 報告書は残っていないので詳細は不明。 以上は沢村家に残る文書より推定。 余談は甚三郎は水兵と仲良くなり、パンや煙草などを 貰いパンの一個は藤堂家の若殿に差し上げたとのこと。 忍者としての働きはなかったようです。

fdydy
質問者

お礼

普通の諜報活動だったんですね~。 というか、まだいたのが凄い、忍者・・。 大変興味深い話をありがとうございました。 この手の話が大好きなので、また質問の折はお願いいたします!

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