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仏教の【悪魔】
私は、クリスチャンであり キリスト教からの視点の【悪魔】 ・・は、なんとなく分かるのですが 仏教で言う【悪魔】とはどういうものなのでしょうか? 夜叉や羅刹などは、慈悲の対象になっていますが 仏教で言う【悪魔】とは、夜叉や、羅刹とは同じものなのでしょうか? もし、違うものなら 【悪魔】・・とは、仏様の、慈悲の対象になるのでしょうか? それならば、とてもすばらしい事なのですが
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仏教に悪魔はいませんよ。 悪を裁く閻魔は居ますけど、人を悪に誘う悪魔は居ません。 正確に言えば悪魔は居ますけど、仏法に触れるといずれ改心し仏になります。 子供に乳を与えるために他の子を食らう夜叉は釈迦に触れて改心し鬼子母神になったことで有名です。 実はユダヤ教やイスラム教の「悪魔」は自分の心の中に居ます。自分の心の中の悪魔との戦いをイスラム教では「ジハード」と呼んでいました。 キリストはキリスト教を起こした訳ではありません。ユダヤ教の司祭が心の悪魔に取り込まれ、ローマと結託してイスラエルの民を苦しめていたから、正当なユダヤ教に戻そうとしただけです。つまりキリスト教の悪魔もまた心の中に生まれるものであり、悪魔に敗れ支配されたのはユダヤの司祭などでした。 しかしキリスト教が市民権を得てから布教する際に他の地域の信仰対象を悪魔と呼ぶようになってきたのです。 そしてコレに呼応してキリスト教を悪魔と呼び始めたのがイスラム教徒という事になります。 つまり、キリスト教原理主義も、イスラム教原理主義も聖書やコーランに忠実とは言っていますけど、両者共に曲解した異端思想でしかないのです。 仏教では悪魔とは呼ばず、これを「迷い」としています。迷いから生まれるのが「貪(欲)・瞋(怒り)・癡(無知)」の三毒です。(無知は知識ではなく、真理を知らないということ) この三毒から発生する様々な邪心が悪魔という事になります。 なので、自己と正面から向き合い仏法を説くことで自分の心の迷いがなくなり(キリスト教的に言えば悪魔に打ち勝ち)悟りへと至るとしています。
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仏教では、八つの悪魔(とその軍勢)というものを認めています。それは、 欲望、嫌悪、飢渇、妄執、惰眠(怠惰)、疑惑、恐怖、傲慢、 です。未だ解脱しない人々(衆生)の心に巣食っているとされます。
お礼
キリスト教の言う、外面的な、悪魔では無く 人の心に居る・・その人自身の悪、と考えるべき・・なのかな? 何気に、キリスト教の、大罪より、一個多いし・・ 人の道は険しいですね~
例えば、同じ大人でも、立派なちゃんとした大人と、そうで無い、道を逸れてしまった大人があると思います。 前者を仏、後者を悪魔という様なものではないでしょうか。私の聞いた限りでは、そのように受け止めています。 従って、悪魔もその気になれば、発心して正しい道を歩いてゆくことができるのではないかと私は考えています。
お礼
なるほど、流石に、仏教はカオスと言えるほどに、懐が深く、感嘆するほど慈悲深い 悪魔も、正道を向かえば、仏へと至る・・ 良いな~♪
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 ゴータマ・ブッダと呼ばれる人にかんするかぎり 《この上のない智慧を得た》というさとりないし成道は ついぞその中身について説明のなされなかったマボロシです。 おれはさとったぞと言ったもん勝ちだとでもさとったのでしょう。だから 言ったのでしょう。 早い話としては インチキです。 インチキでも二千年有余にわたって人びとを引きつけているようです。 それは 先行したブラフマニズムに梵我一如という思想があったからでしょう。 さとりを妨げる悪魔 と言っても さとりがマボロシなら悪魔もマボロシです。 物語の世界にいろんな要素を登場させたほうが ほんとうらしく見えるからでしょう それを加えたのは。 あるいはまた 慈悲は ○ 無縁慈悲 というのが 実際の(究極の)ものです。これは ブッダでなければ成し得ないおこないです。つまり やはりマボロシです。 マボロシであるということは やはり人びとを引きつけるもののようです。 なおヘビが象徴するという悪魔にかんしては 次を参照ください。 【Q:主が蛇を造られた理由】 その回答No.14です。 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7563850.html
お礼
この世には、騙されていい嘘と、騙されたら悪い嘘があると思います 私は、仏教もキリスト教も、飛んで、イスラム教、神道も、また飛んでスピリチュアルな思想も まあ・・ぶっちゃけ、ほとんど 絶対肯定ではありますが 仏陀が、嘘であったとしても、騙されていいと思いますよ 力・・ではなく、愛の観点において・・仏教は慈悲か! それに、お釈迦様は悟りの中身については、一つも言ってませんよ お釈迦様事態がそれを言っています 世は、なかなかに、深い物ですよ
- alphaXXX
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確かに誘惑者に近いですね。第六天魔王は他人が感じる快楽や幸福感を自分のもののように感じることができるので世界中の人々を幸せにしようと企んでいます。 しかし人々が修行を積んで解脱してブッダになり、欲望から解放されると第六天魔王は快楽を感じられなくなるためにあの手この手で修行者に幸せな幻覚を見せて悟りを開くのを邪魔するそうです。
お礼
ほうほう、魔王なるものは、そう言った者なのですか ある意味、極端にキリスト教徒は違いますね 流石に、仏教は一筋縄ではいきそうにない
- tododesu
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仏教の悪魔というと、マーラですかね。 夜叉や羅刹とは違います。 キリスト教の悪魔のような存在は、仏教にはないように思いますが、わかりません。 瞑想の邪魔をして、悟りを開かせないようにする魔神という感じです。 慈悲の対象という意味がよくわかりませんけど、夜叉や羅刹のように、鬼神だったものが改心して仏教を守る側になる、ということはなくて、悪魔のまま・・です。
お礼
ふむふむ、キリスト教で言う、荒れ野で誘惑せし者に、似てますね 第六天魔王なる者がいるらしいのですが それも、誘惑者なのかな?
お礼
おぉ!居ないのか! 鬼子母神の話は、とても好きな話で なるほど、鬼子母神も、最初は、ジャンル的には悪魔だったのか 様は、つべこべ言ってないで、自分の中身を見ろ!そして戦え!克服しろ! ・・て、事なのかな~ 悪魔も改心すれば仏法の守護者・・すばらしい 今を生きる、クリスチャンとして、為になります