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仏教が宗教ではない???
仏教は宗教ではない、とかいうのをどこかで見たのですが、そんな事ってあり得るのでしょうか? もし、仏教が宗教でなければ、キリスト教とかも宗教ではなくなるのではないでしょうか? もし仮に、仏教が宗教でないのだとしたら、この世に宗教というものはなくなるのではないでしょうか? 「仏教が宗教ではない」とは、如何なる理論で出てきた話なのでしょうか? 仏教が宗教ではない等という事があり得るのでしょうか?
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- DESTROY11
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仏教はキリスト教、イスラムとちがい、唯一全能絶対存在がいません。 阿弥陀如来も「悟りを開いた存在」の一人でしかなく、「修行して悟りを開けば、キミも如来と同じになれるよ」というのが仏教の真髄です。 唯一全能絶対存在に寄りかかっていればOKという「宗教」とは、そこが違います。
- hekiyu
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宗教の定義によります。 神の存在が必須だ、というのであれば 本来の仏教には神はいませんので、宗教では 無いことになります。 しかし、我が国では、宗教というのは 「神や仏など、超人間的、超自然的存在を確信畏敬する 行為と信条」 と定義した判例があり、これが一般に支持されています。 だから宗教だとしてよいと思います。
- shintaro-2
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敢えて宗教ではないと言うのであれば、 釈迦の教え自体は哲学であって宗教とは言えないでしょう。 その後、布教のために土着信仰を取り込んで 現在の仏教が完成された時点で宗教です。
- Mokuzo100nenn
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仏教の教えは宗教です。 しかし、肉食妻帯坊主をはじめとして、宗教の禁を犯して、カネもうけや寺院の世襲にまい進している連中は宗教とはかけ離れた現世の欲望の世界で活躍しております。
- nekosuke16
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三大宗教といえば、仏教、キリスト教、イスラム教でしょうか。 こうして見ると、仏教も立派に世界に認められた宗教の一つですね。 ただ、釈迦(仏陀)が実践的な修行により煩悩の世界から解放され涅槃に至る、つまり、解脱を目標とする段階から、日本に伝来し、聖徳太子の十七条憲法、聖武天皇による大仏建立により、国家の礎として認識波及させ、平安から鎌倉時代に日本的仏教として確立する。 そして、飢饉や天災などの時には称名念仏、経を唱えることにより、明らかに救済を求める時代であった。 しかし、現在の日本は如何だろうか? 葬式を仏前で行ない、仏壇やお墓の前で手を合わせ、合掌する。 日蓮の創価学会や法華の立正佼成会、或いは、様々な新興宗教などの熱烈な信者でもない限り、そもそも多くの日本人には信仰心そのものが感じられない。 今や、日本での仏教は、こうした意味では、既に「宗教ではない」という言い回しも理解できるという意味だと思いますよ。 イスラム教を逸脱した原理主義者や信仰そっちのけに殺戮を繰り返すイスラム国。 本来、同性愛を禁止するキリスト教の考え方も現在は否定的であり、反発する向きもある。 また、神が世界を創造したとするキリスト教にありながらローマ法王自ら、宇宙(火星だったかな)の存在を追認するような状況は、人間中心の現実的世界観が宗教というものの存在に、少しずつ違和感を覚えてきている典型なのかもしれませんね。 したがって、日本における仏教の現状が信仰心の希薄化とともに、単なる冠婚葬祭の一つとしての慣習として定着しているという考え方が「仏教が宗教ではない」という発言となって現れるのではないでしょうか。
- koosaka
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仏教は宗教というより、「習俗」のように感じます。 もう習慣になっちゃって、宗教とは思えない。 生活の中に組み込まれちゃって、「通過儀礼」の一つのように感じる。 葬式も、「儀礼」のように感じる。 「惰性」です。 そうなっちゃっているから、仕方なく、ダラダラと惰性で、続けている、そんな感じ。 お経を聞いていても、音楽の一種としか思えない。 有難いという気持ちがぜんぜん、湧かない。 宗教も、あんまり私たちの生活に深く浸透すると、「習俗」「習慣」になっちゃう。 それに、仏教も、唯識派などは哲学みたい。 同じ哲学でも、唯心論の哲学。 この世界は心で出来ていて、心次第でどうにでもなる、という。 そんなアホなと思っちゃう。 心次第で、幸福になったり、不幸せになるんだから、心を変えれば、不幸も幸せに転じる、という。 だったら、今のイスラム国で、人が虐殺されていることだって、心次第で、幸せ、ということになる。 そんなバカな! 宗教というのは、世界にいっぱいあるが、みんな同じではないか? ただ「習俗」だから「習慣」だから、続けている。 心は空虚で、何も考えていない。 考えているとしても、お祈りを上げていても、気持ちもそぞろ、今晩のおかずをどうしようかな、とか、これからどうしようか、とか、そんなことを考えている。 お坊さんのお経を聞いていて、長いなあ、早く終わらないかなあ、足がしびれてきた、なんて考えている。 周りのみんなが、真剣なふりをしているから、笑うわけにはゆかないし、あくびを出すわけにはゆかないし、「儀式」が終わると、ホッとして、ようやく終わったか、と思い、思わず気持ちが緩んで、屁が出てしまう! 屁の音を聞いて、みんなも同じ気持ちなのか、みんな「クスッ」と忍び笑いをしている。 宗教も、あんまり日常生活に組み込まれると、宗教と感じられなくなっちゃうから、良くない。 滅多に目に触れない方がいい。 日本人は、お正月になると神社にお参りに行くけど、それも宗教というより、「習俗」であり、年中行事。 誰も宗教だと思っていない。 もう一年の年中行事の一環として組み込まれちゃっている。 もう、宗教じゃない。 日本は仏教国で、仏教徒がいっぱいいるというけれど、実際はそんなにいないので、本当に仏教を信じているのは、その内の1割もいないのではないか? あとは、ダラダラと、「習慣」で続けている。 「惰性」でしかない。
- 177019
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仏教は完全なる宗教です。「仏教は宗教では無い、本来仏教に秘密の教えはありません。証拠もなく信じなさいとも言いません。仏教は宗教ではありません。」これはイケダハヤトの書かと思いますが、これは全くの無知です。どの仏教にも「秘法」は必ずあります。ただ宗派によってその「秘法」が現代の世の中に照らし合わせて、かけ離れたものか、即融合するものか、この違いだけの話で800年もの間この「秘法」を守り続けている宗派もあります。また、このような仏教は宗教でない、等と言えるのは長年の間修行と研鑽を通して培った高層が口にする言葉で、どこの骨とも分からない者が言っても説得力がありません。惑わしです。
- OnePunchMan
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仏教は、日本が認めた宗教です。 そんなバカのことを言う奴は、創〇〇会の信者かなんかでしょう!
- guess_manager
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定義の話ですので、大した意味はなかろうと思います。 最近聞いたのならニワカのイケダハヤトあたりが言ってるからかもしれませんね。 http://www.ikedahayato.com/20131124/1187154.html 宗教というカテゴリに入れられると、あやしい新興宗教にハマる変な人と見られるので、宗教ではないと主張することで自分がハマっているものは変ではないよと主張しているようです。 ちなみに、キリスト教も宗教ではないと主張する人たちがいます。 誰も否定することができない真理を説いているのだから宗教ではない、他の宗教はすべて邪教であるという価値観です。 宗教の定義については、このエントリでジャレッド・ダイアモンドの著作に書かれている、過去の哲学者たちによる定義が紹介されているので読んでみてください。 http://www.ikedahayato.com/index.php/archives/26480
- aggfq12
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宗教法人として国に認められてる・・ だから仏教もキリスト教も紙上では宗教・・ だけど 何れ 全ての宗教は無くなる・・ 「全宗教の最終目的は全人類の幸せ」 ならば どの宗教も目的達成の為には一つに纏まらないと達成出来ない(全人類なのだから・・) そうして 目的が達成されれば 幸せなのだから幸せを探求する必要は無くなる・・ なので 宗教が不要になる・・