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古文の問題
古文の問題で 次の語句がかかる語句や文節を書くという問題があるのですが、 例えば 田子の浦ゆうちいでてみれば真白にぞ 不尽の高嶺に雪は降りける 「真白にぞ」にかかる一文節を答えるという感じです。 「かかる」という問題の意味からよくわからないので、 どういった定義で「かかる」のかを教えていただけると助かります。
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答えは「降りける」です。 「かかる」というのはいろんな意味で使われます。 修飾―被修飾もかかる。 主語―述語もかかる。 係助詞―結びもかかる。 意味がひろくて分かりにくいですが、 漢字で書けば「係る」 要するに「関係する」ということ。 今回の場合、 真白にぞ(真っ白に)なので、その続きに付けて不自然でない文節をいれるだけ。 真白にぞ以降を文節に区切れば、 不尽の/高嶺に/雪は/降りける 真白にぞ(真っ白に)―不尽の(富士の) 真っ白に富士の→ 不自然× 真白にぞ(真っ白に)―高嶺に(高い嶺に) 真っ白に高い峰に→ 不自然× 真白にぞ(真っ白に)―雪は(雪は) 真っ白に雪は→ 不自然× 真白にぞ(真っ白に)―降りける(降った) 真っ白に降った→ 自然○ ということになります。 ちなみに係助詞「ぞ」があるので結びの「ける」に係っていますから、その結びを含んだ文節「降りける」 という考え方もアリです。
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- TANUHACHI
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こんにちは。万葉集に収められている山部赤人の歌ですね?。 質問者様は、この歌を見て「何か不自然だな」と感じた部分はありませんか?。普通ならば「文末は終止形で終わらねばならない」はずですね?。にもかかわらず、この作品の文末は「ける」として連体形で止められています。なぜでしょう。 他の方がお話されている「係り結び」との約束事が古文にはあります。文中に「ぞ・なむ・や・か」という「係助詞」がある場合は「文末を連体形で止める」、また文中に「こそ」との係助詞があった時だけは「文末を已然形で止める」、そして文中に「も」という係助詞があった場合は「文末を終止形で止める」との「パターン」です。約束事ですから、「こういうルールがあるよ」とお考えになってください。 さてこの歌ですが、「田子の浦から眺めてみたら、不尽(=富士)の山に雪が降っていた」との光景を詠んだ作品で、「その雪がどの様に降っていた」かを、この歌の作者は詠じたのでしょうか。「真っ白な雪が降っていた様子」を見て、その光景にしばし足を留めるほどだったことに感慨を憶えたのでしょう。 こうしたプロセスを踏まえますと、「真白にぞ」が掛かる先は「降りける」となることがご理解いただけるかと存じます。 「かかる」を「どの言葉を修飾しているか」と置き換えて考えてみれば、わかりやすいかとも存じます。
- kamobedanjoh
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係り結びの法則「ぞ・や・か・なむ・こそ」の五つを係助詞と言います。 強調や疑問の意を添えて,係る先の結語が終止形でなく,「こそ」の場合は已然形,その他の場合は連体形で結ぶという,古典独特の規則です。 真白を強調していますから,「真白にぞ」にかかる一文節は「雪は降りける」に係っていると解すべきでしょう。辺りの風景に比べて,富士の雪の真白さに感動しています。よって,「降りける」だけに係ると解すると,何の白さを強調しているのかが問われることになります。
- j-mayol
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一般に「かかる」といえば修飾・被修飾の関係を指すことが多いです。 例)赤い花がきれいに咲いた。 の場合 「きれいに」 がかかる文節は「咲いた」です。 問題についでですが「真白にぞ」のかかる一文節の間違いではないですか?であれば「ぞ」が係助詞であり、係り結びが起こっているため、係る相手は結びの語である「ける」を含む部分となり「降りける」となります。 もし文字通り「真白にぞ」にかかる文節となれば、一般論に戻って修飾・被修飾で考えれば良く、そう考ええた結果、該当する文節は無いと考えられます。