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葬式をしないとどうなりますか?
とっても馬鹿らしい質問で申し訳ないのですが・・。 自分が死んだら葬式はいらないと考えるようになりました。 そこで心配なのが、葬式をしないことで何か影響があるかということです。死んだ後の自分に、です。 例えば、お坊さんにお経をあげてもらわないと成仏できないとか、天国へ行けないとか・・。葬儀を行った場合でも戒名にランクがありますよね?お金をたくさん払って良い戒名をいただけば、死後の世界でも安泰なのでしょうか? 本当の答えは実際に死んだ方じゃないと分からないと思いますが、宗教的な考え方や思想論で構いませんので、その分野にお詳しい方のお答えをお待ちしております。
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>お坊さんにお経をあげてもらわないと成仏できないとか お経をあげてもらわなくても,亡くなった方は,仏様のおられる世界へ行き,仏法を説いていただき,成仏します。 >天国へ行けないとか 天国はキリスト教の世界ですから,仏教徒は行けないでしょうね。仏教徒は浄土(仏様のおられる世界)へ行きます。 >葬儀を行った場合でも戒名にランクがありますよね?お金をたくさん払って良い戒名をいただけば、死後の世界でも安泰なのでしょうか? 達磨大師はこのような考えに対しきっぱり「無功徳」とおっしゃっています。 葬式は亡くなった人のためにあるのではなく,遺された者のためにあるのです。セレモニーそのものは,既に回答が出ているとおり,気持ちに区切りを付けるために行います。 「自分が死んだら葬式はいらない」と言ったところで,遺された者が「葬式をしたい」と思えば,葬式は執り行われます。もう一歩考えを進めて,「実親が死んでも葬式はやらない」ということを実践しなければ,質問者の子孫はかなり高い確率で葬式をするでしょう。
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「本当のこと」は分かりません。 でも、お葬式がないと「自分が死んだ」ということに気が付かないかも…と思いました。 要するに自分にとっても、家族にとっても一つの「区切り」にしやすいのではないでしょうか。 我が家は仏教の一派の檀信徒ですが、お葬式の際には、棺に入れられた遺体を壇上に安置し、その前でお坊様がお経をあげてくださいます。 棺に入っているのが自分だとすると、「ああ、自分に向かってお経をあげられているんだ。」と思う(?)でしょう。 そして、お葬式の式次第のなかで「引導を渡す」というものがあります。 なんと言っているのかは覚えていませんが、「あなたはこの世の人ではなくなったので、成仏しなさいね。」と言い聞かせているのではないかと思います。 これで、「ああ、自分は死んだのか~。」と認識できるのかな?と。 本来の「戒名」は、死後のためのものではなく、仏教に帰依した者に授けられる「名前」だったと思いましたが…。 そして、今生で積んだ修行・功徳等によって授けられるものではなかったでしょうか? 我が家の宗派では、現世救済ではなく、極楽往生を宗旨としているので、今生で修行・功徳を積んでおけば極楽往生できる-という観点からすれば、確かに死後にも関係するのかもしれませんが…。 ちなみに、私の父は五重相伝を受けているので、既に「譽号」をいただいています。
>お経をあげてもらわないと成仏できないとか ↑ と、言う事は質問者様は既に、仏教徒で有ると、ご自分で自覚して居らしゃる訳ですから、お経をあげてもらわないと成仏できないでしょう!! この世に、オギャーと生を受け地球上で生き、死後に若し魂が存在するとするならば、その魂は必ずおさまるべき所へおさまるのでは無いでしょうか、そして、幸せな死後の人も居れば、不幸せな死後の人(霊魂)も有って、まさに現世と同じではないかと思います。 輪廻転生で、生前に良い事をしたから、この世で必ず幸せに成れる物でもないし、この世で高徳を積んだから、あの世で幸せに成れる保障も無いと思います。 ---- 葬式は、自分の死後の世界の事よりも、現実に残された家族には大きな出費が課せられるので、葬儀費用と建墓の費用は残してから死ぬ冪では無いかと思います。
- jymms990
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皆様のようなすごい回答は出来ないのですが。あたしの父親が亡くなったときは葬式しませんでした。それは何故かと言うと、恥ずかしいのですが葬式をするお金が無かったからです。葬式って結構高くって普通で75万すると言われました。ので「山送り」15万円にしました。家に小さい白木の祭壇に白木の位牌のみ。遺体は安置無しで火葬して骨になり、骨壷はお寺に預かってもらいました。父には申し訳ない気持でしたが先立つものが無いとね。葬式は一種の見栄なのかなぁと。でもしたかったなぁ。霊柩車に乗せてあげたかった。
- nushiya
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葬式をしなくとも何とも無いとは思いますよ。 お経でさえやられなくとも、亡くなった本人は分からないのではないですか。 ただ、残された遺族にとっては、そうもいけないのが心情です。 永い間、一緒に居た家族がある日突然亡くなって、その心や精神を少しでも和らぐ為に、その様な儀式があるとおもいます。 特に日本人は宗教に無関心の割には、人生の節目節目で儀式を行う人種です。 お宮参りから始まり、七五三、成人式、結婚式など行い、人として最後の式が葬儀です。 貴方が遺書に「葬儀はやるな」と残せば、遺族の方達もやらないでしょうが、それでない限り一般葬だろうが、密葬だろうが執り行うと思いますよ。 また、遺族の中にも、一様社会的地位の方などが居ますし、世間の目も有る事なので、どんな形式でも葬儀はやらざるえないものです。
お礼
残された者のことなど考えてもみませんでしたが、自分の親に葬式をしないでくれと頼まれたら、やはり困惑しますよね・・。葬儀はやらざるをえないもの、ということ良く分かりました。 ご丁寧な回答ありがとうございました!
死後の事は全く無意味なことだと思います 残された人が故人を供養するための方策で、故人には関係無いことです 供養とは残された人の安心感・満足感です 葬儀についても同じ事で故人には関係ありません 上記に世間体が加わりますが 祭壇も無く、僧侶も居なくお経も無く、友人の送別の辞 だけという葬儀に参列したことがあります お墓も仏壇もないのでお骨は斎場の共同墓地に葬むられました 又、最近は「家族葬」と云われる葬式が増えているようです 身近な親族だけで葬儀を行い、一般の参列者はありません(辞退しています)
- chirashizushi
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残った親族の世間体が悪くなるだけですね。 遺言で式は上げない、それにならっただけ、と言っても世間はあの家は○○が死んだのに葬式をしなかった、薄情者だと後ろ指をさされます 世間は遺言があったなんて知らないですから。 成仏するとか戒名がどーのこーのというのは別になくてもかまいません、
お礼
残された人間の世間体など考えもしませんでした。 葬式をするなというのも、わがままなんでしょうかね^^; 戒名は関係ないとのことで、安心しました。 ありがとうございました。
- kutsushita
- ベストアンサー率21% (44/208)
私もできればお葬式はしてほしくありません。 宗教的なことは私もよくわからないし、成仏できるかとかよくわかりません。 でも自分の親兄弟が亡くなったらお葬式を挙げたいと思います。 それは、周りが決めることでいいんじゃないですか? 亡くなった後のことは、後の人へお任せしましょう。 祖父が亡くなったとき、隣の葬儀は無宗教の方でした。 お経もないし、お花も菊ではなくユリやバラ。(おそらく故人の趣味) それにたくさんの色紙(電報の代わり?)が置いてありました。 私のお葬式をするときはそうゆうのがいいと周りには話しておきました。
お礼
他の方の回答を見ても、葬式をしないというのは残された方にとって良い事ではないようですね。 私もkutsushitaさんのように葬儀についての希望を家族に伝えておこうと思います。 ありがとうございました!
- WhiteLion
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お葬式に限らず「儀式(セレモニー)」というものは、それまでに続いていた人間関係などの変化に対して、精神的な折り合いをつけるために行われます。 例えば、「お葬式」なら、残された方々が、亡くなった方が自分達の間から失われたということに対して、気持ちの整理をつけるための契機とするために行われます。「結婚式」なら、お嫁さんがお婿さんの家に入るという『変化』に対しての、回りの方々の納得を得るために行われるのです。 つまり、「お葬式」は貴方のために行われるのではなく、残された方々のためにあるのです。 >例えば、お坊さんにお経をあげてもらわないと成仏できないとか、天国へ行けないとか・・。葬儀を行った場合でも戒名にランクがありますよね?お金をたくさん払って良い戒名をいただけば、死後の世界でも安泰なのでしょうか? この疑問については「ナンセンス」というしかないです。
お礼
ご回答ありがとうございました。 戒名については、祖母が亡くなったときにあまりお金をかけなかったので、その事が心に引っ掛かっていたため質問させていただいた次第です。 もし死後の世界があるとしたら、現世の者の供養の仕方で亡くなった方の「あの世」の生活に影響があってはいけないと・・。 葬儀は残された方のために行うものということ、よくわかりました。
補足
teinen様のご回答をいただいて、新たな疑問がわいたのですが・・。 キリスト教徒は天国へ、仏教徒は浄土へとのこと。 では、無宗教の人間は死んだらどこへ行くのでしょう? 信仰のない者は死後の世界自体が存在しないということでしょうか?