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日本にあるものって偽者ばかりじゃないですか?
音楽も芸能も芸術もファッションも学問も科学も所詮欧米の真似事ではないのですか? 違いますか?
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こんにちは。 日本にある多くのものが他の国の真似事である事は間違い有りません。 しかし、真似事=偽者という図式は完全にそうとは言えません。 発祥の地にスタンダードを主張する権利があって程度が高く、それを真似した日本は偽者で程度が低いならば、 ・ラーメンは中国のものが本物で、日本は偽者である(そして日本のラーメンはまずい) ・カレーはインドのものが本物で、日本は偽者である(そして日本のカレーはまずい) 前に回答された方が仰られている通り、日本人は0→1は苦手だけれども、1からの飛躍は得意としています。 ここからは私の意見です。 欧米人は根源的な単一の真理に辿り着く為の問いに挑んで、それを社会に応用する事に長けています。それは恐らくギリシャ哲学→ローマ法→キリスト教という三つが組み合わさった、コルプス・クリスティアヌムという欧州に共通する社会状況が影響していると私は考えています。 対して、日本は多神教を許容し、明朗な制度の他にも暗黙知での上下関係による抑圧連携などもあったりして、レールが敷かれれば強いのですが、如何せんレールを敷く事が苦手なのではないのかとも思うのです。 欧州の多くの国の文化は、昔栄えたローマ帝国から影響されているので、欧州の各国はローマからパクったとも言えるのですが、そのローマもギリシャからの影響を受けまくっているので、ローマはギリシャのパクリとも言えます。皆パクッていったその上に、自らが生み出したオリジナリティを重ねて行ったのです。 歴史を根源から紐解いていくと、多くの地域で生活していた人々が交易によったり、あるいは戦争で侵略したりされたりで文化に影響を与え合って来ました。 その影響を与え合う文化が、あたかも複数の蔦が同じスピードで曲がりくねりながら伸びて、そのラインを描いてきたのが現在の歴史です。 影響を与え合うとソフトに書きましたが、これは直接的に言うと、自分達の肌に合うように、外来の文化を書き換えて取り込んだ、つまりは真似事をしたという事です。 そもそも真似事という言葉がなぜ否定的な意味合いを持つかというと、真似をした本人が何の努力も無しにオリジナリティを主張しているからなのですが、日本は日本独特に昇華した外来文化の内、何一つオリジナルを主張していません。カレーはインド発祥ですし、ラーメンは中国発祥です。 人には得意な事と不得意な事があります。勉強は苦手だけれど100m走が速い人がいたり、バスケが上手い人がいたり、スポーツは得意でないけれど頭がいい人がいたりと様々です。中には他の人が発明した機械に、「こうした方がいいんじゃないか」と改造するのが得意な人もいるでしょう。 おおよその人には必ず出来る事と出来ない事があります。 ちょっと宗教っぽい事を言いますが、人には神様みたいなものから与えられた天命があるので、それを一生懸命生きればいいのだと思います。他の人と比較して「自分は○○ができないんだ」とどうこう言って出来ない事を卑下しても、あまり意味はありません。 人の集合である国も同じで、何かが苦手だけれどもこれが得意な国があったり、あるいは別な分野が得意な国があったりと様々です。 確かに現在の日本は欧州の真似事であり、何かを生み出すという事が苦手な日本は、それを誇りにする事もできないですし、そこにアイデンティティを見出す事も出来ません。 しかし、取り込んだものを自分達の肌に合うように消化して、更にそこから大きく昇華させるのは他の国にはありませんので、ここは大きく誇っていい部分ではないでしょうか。 現在の世界は一見暗い世の中に見えますが、実は発展の一途を辿っています。 新薬開発、農業収穫の増分、溢れかえる物品と新製品の度重なる発売・・・こうした発展は、即ち、世界各国の人達が過去の技術を勉強していって、更なる未来を作っている為に起こっている現象なのですが、学んでいる生徒というのは、いつしか必ず教師を超えねばなりません。 単に真似をするだけであれば、それは暗記した記号をテスト用紙に書くだけの人間にすぎません。しかし、学んだ技術を使って新しい未来を築くのであれば、それこそが人間に対して本当に求められる能力であり、その点において日本はその資質があると言えます。
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- TANUHACHI
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かなりバイアスの掛かった意見が出されましたが、この方は「名字と姓の違い」がお分かりになっていないご様子ですので、一言申し上げます。 >皇室は本物です。欧米にも、中国にも朝鮮にも、ありません。だから、苗字が無いのです。世界に、ただ一人だけのため、他と区別する必要が無いから。要するに、天皇は、世界に、ただ一人だけ、日本にあるのみ、ということです。こればかりは真似事ではありません。 これは論理の逆立ちともいえます。「名字がないのはそれが世界に唯一つだけの存在であることの証」との結論になるのでしょうが。天皇は「天皇氏」と呼び換えることのできる「家柄」ともいえます。歴史学や政治学の範疇からみるならば、「王家」と同質です。王家だから世襲的に王位に就いてきた、これならば世界中の王家と変わりません。 皇室といえども、それは万世一系などではなく古くは雄略天皇の時代に直系ではない人物が王位に就き、また壬申の乱でも天武天皇は皇位継承の順位から見れば第一候補でもなかったとの事実もあります。 「天皇という呼び方だけ」が世界中で唯一つではあっても、その本質からすれば(日本国憲法の規定からすれば)元首ではないとの形になります。 天皇家といえども、純粋直系の家系ではなく、そこには渡来系の血筋もあれば、藤原氏や平氏の様に民間との縁戚関係を持つことで「家柄」を伝えることもできたとの結論になります。「唯一の」に拘泥したり喧伝することにはさほどの意味はないとお話させていただきます。 中国の王朝やヨーロッパの王室には、何れも「姓」があります。姓があることで家柄を示すことになります。そして「王位」は同時に「支配者である」ことを意味する。もし天皇家に姓がなかったならば、それは支配者ではないとのことになり、前記の回答は論理的矛盾を来すことになります。 先日「畳」の話をしましたが、他にも日本独自の文化はあります。能であり、和歌であり俳句であり、また平安時代の文学作品の殆どは女性によって綴られたもので、近代以前のヨーロッパや中国に女性作家がいたとの話を僕は寡聞にして耳にしたことがありません。もちろん日本には独自の哲学体系など未だにありませんが。
- takeruhiko
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皇室は本物です。 欧米にも、中国にも朝鮮にも、ありません。 だから、苗字が無いのです。世界に、ただ一人だけのため、他と区別する必要が無いから。 要するに、天皇は、世界に、ただ一人だけ、日本にあるのみ、ということです。 こればかりは真似事ではありません。
- pluto1991
- ベストアンサー率30% (2015/6674)
中国とか韓国の音楽番組で中国語でラップをやってるのなんか見ると滑稽ですよね。 はっはは~~~中国人がなにカッコつけてマネゴトしてるんだ。 って思いますけど、ふと考えると日本の音楽番組だって同じですよね。 欧米の文化、音楽スタイルもそうだし、たとえば単純に「椅子」なんて考えたって、日本人インテリアデザイナーがどんなに頑張って椅子のデザインしても、それは欧米ルーツのものにちょっと味付けを加えてるだけですよ。 ルーツじゃないんです。 黒人が演歌歌って評価されますか? (あ、いましたね) フランス人料理評論家が「この店のあなごの寿司がうまい」なんて言って信用出来ますか? それは中国人ソムリエが「このワインが旨い」っていうのと同じで、いや、本当に実際そうなのかもしれないんですけど、 「イメージ」的に。。。。。なんですよね。 フェラーリのデザイナーが日本人だとか韓国人だとかって話を聞くとすごく「え~」と思ってしまうんです。 イタリア人のピニンファリーナとかよく知らないけどそれはもう単純にイタリア人だから価値があるっていうか、韓国人がデザインした車なんて死んでも買いたくないとか思ってしまう。 葬式とか初詣とかを別として、生活の大半を西洋文化化して暮らしている日本人の白人コンプレックスなんでしょうね。
あなたには真実が見えていない。 白人コンプレックスがあるからそのようにすべてが歪んで見えるんでしょう。 誰かを尊敬できるというのは大切な気持ちだと思う。 けれど、誰かの尊敬の比較として、その他の誰かを見下すのであれば、あなたの考え方は間違っている。 ここで質問を延々と問いかけるより、一人で海外に行ってみてください。 あなたの幻想も終わるでしょう。
- tarohkaja
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あなたが本物を見たことがないだけですね。 偽物はたくさんあるとは思いますが、 それ以上に本物がたくさんあります。
- eroero1919
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>音楽も芸能も芸術もファッションも学問も科学も 音楽は、一般的に人気のポップスとかロックとかそっち系を指していると思いますが、そもそもロックンロールは黒人音楽のリズム&ブルースに白人音楽のテイストを入れて生まれたものです。だから、アメリカの真似なのは当たり前。というか、黒人からいわせると「俺たちの音楽を白人がパクった」となります。 芸能は、テレビとか映画ならこれもまたアメリカ生まれであるので、そのへんのパクリになるのも仕方がありません。 ただし、我が国には歌舞伎などの伝統芸能がありますので、そこらへんは全く我が国のオリジナリティとなります。歌舞伎は欧米でも非常に高く評価されています。 ファッションも、基本は洋服ですから欧米の真似になるのもしょうがないです。「日本のファッションなぞパクリのニセモノにすぎない」とおっしゃるなら、和服で過ごせばよろしいのではないかと思います。これまた我が国には和服というオリジナリティがある服もございますので。 学問や科学は、基本的な価値観が欧米基準になっているのでこれまた仕方がないです。中国やインドにはオリジナルな科学がありますが、これは現在グローバルスタンダードとみなされておりませんので、欧米スタイルに合わせるしかありません。 学問や科学についていえば、日本人は1のものを3や5に発展させるのは得意ですが、0から1を生むことは非常に苦手としていますのでこれまたやむを得ないです。なにもないところから何かを生みだす能力はアメリカ人がいちばん優れていますね。この点においてはイギリスやフランスやドイツでも「歴史と伝統」が邪魔をしてまったく新しいものというのはなかなか生まれません。ヨーロッパでオリジナリティ溢れる研究をしている人はしばしば自由を求めてアメリカの大学に行きますね。 ヨーロッパルネサンスの三大発明である、印刷術、羅針盤、火薬にしても実は彼らは「三大発明だー!」といってるけど、あれは中国製品のコピーですからね。17世紀くらいまでは世界で最も科学や学問が発達していた国は中国だったんです。ヨーロッパの学問はキリスト教という縛りがありますので思うほど自由ではないです。 質問者さんは現代だけで判断されるので欧米がいちばんに見えるでしょうが、学問や科学は欧州より中国やイスラム圏やインドのほうがはるかに優れていて、それを欧州が「パクる」ことで発展させていった時代が確かにあったのです。1、2、3のような数字表記はアラビア数字といわれますが、インドで誕生してアラビアを経て欧州に取り入れられたのです。
- staratras
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これは「一言にして云へば現代日本の開化は皮相上滑(うはすべ)りの開化であると云ふ事に歸着するのである。」と夏目漱石は今から百年余り昔の明治44年(1911年)に講演で述べています。 ただし次のように付け加えています。「それが惡いからお止(よ)しなさいと云ふのではない。事實已むを得ない、涙を呑んで上滑りに滑つて行かなければならないと云ふのです。」 ご質問の問題は、明治の文明開化以降の日本の識者が頭を悩ませ続けてきた問題でした。漱石も鴎外もそのほか多くの学者・芸術家もその人なりに考えていますが、もとより万人が納得するような単一の結論が得られているような性質の問題ではなく、21世紀の現在でも考えるべき課題でありつづけていると私は思います。 冒頭に引用した漱石の講演「現代日本の開化」は青空文庫にも収録されていますが、百年経った今でも示唆に富む優れた考察だと感じます。
- kuni-chan
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違います。
- blackhill
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それを言うなら、偽者ではなく偽物です。 あくまで偽者だと言い張るなら、日本にあるではなく、日本にいるでしょう。 本物と偽物は、こうして鑑別することができます。
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
それは何処だって同じ話です。また少なくとも「欧米」ではありません。「ヨーロッパ」と「アメリカ」は本質的に異なります。アメリカには哲学がないが、「ヨーロッパそのもの」が一つの哲学でもある。逆に「哲学」は「ヨーロッパ」を理解するための手段であることになります。 日本にもオリジナルはあります。それは「畳」であり、それを家屋建築の様式に採り入れたのは室町時代、それも東山文化の時期です。 「科学」でも江戸時代の関孝和に代表される「和算」としての数学があります。そりゃ物理や化学は学問体系として日本での発芽は見られなかったものの、それを応用した事例はあります。伊能忠敬は天文学に基づいて正確な方位を算出測量した結果、精巧な地図を遺すこともできました。 音楽だって、琉球音階があります。西洋の音階とは異なるコード体系を持つ音楽です。良い物は受け容れる、それで十分ではありませんか?