私はドイツの大学で一年半ほど社会学の授業を受けたり、向こうの先生と話したりしました。そのときの印象を踏まえての感想ですが・・・
例えば日本の大学では、社会調査の専門の人は社会学史・社会思想史の授業はしないし、その逆も多くないと思います。
それに対し向こうでは、どの先生も調査も理論も学史も教えたりしています。個々人それぞれの専門分野はあるでしょうが、それでも社会思想史・社会学史の基本的な知識はあるみたいでした。
もちろん日本の先生でも、調査が専門でも思想史の授業をやれと言われればできると思います。でもそういう授業分担になっていない大学が多いと思います。
それに比べればドイツでは、先生は例え調査を専門としていても歴史的な知識は知っておくべきとされているのかもしれません。
ただ、基本的な教養の知識を知っているからと言っても、それで物の考え方が深くなっているかどうかは分かりません。
どんな古典の知識でも、“知っている”だけでは思考に深みが出ることはない気がします。
日本の大学の多くが西洋の学問を教えている以上、その欧米の知識人が西洋の学問の知識が日本の知識人よりも多いのは当然なんだと思います。
まず言語のハンデがないのが大きい気がします。
たしかに、例えばドイツの高校生は第二外国語で多くの学生がラテン語を学びますが、それも言葉が似ているから習得しやすいのであって、特別に学問の文化が欧米で発達しているというわけでもない気がします。
また最近のドイツの大学でも、歴史や哲学といった講座が軒並み廃止されていって、経済系の講座が増えているそうです。
こういった傾向は日本と同じで、やはり教養よりもビジネスに直結する授業を多くしようというのは世界的な傾向のように思います。
ヨーロッパの大学では、イギリス以外でも、英語で授業をするところが多いと聞きます。
思索的な学問よりも、ビジネスに役立つ実践的な知識を供給する方向に多くの大学は変化しているのでしょう。
そういう傾向をみると、今の欧米が特別古典教養を大事にしているようには見えません。
ただ繰り返しになるのですが、言葉のハンデがない以上は、日本人よりも「古典」を読むことに抵抗感が知識人にはないと思います。
ただそれも知識人に限られることで、一般の人は特別「教養」というものにはあまり関心があるようには感じませんでした。
お礼
遅くなりました。 言葉というもの、またすべての人が教養か深いというわけではないこと、とても興味深かったです。 経験を踏まえ、書いていただきありがとうございました。