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源氏物語の翻訳について
- 源氏物語の翻訳について、A.Waleyの『 TALE OF GENJI 』(帚木 The Broom-Tree)の訳についてわかりにくい点や間違いを教えてください。
- 以下の3つの引用文についての疑問点をまとめました。 彼を非難せずに寛容な態度をとることで、彼の浮気に対処することが効果的であると述べているのでしょうか? 彼女の寛容さと許しの限度を越えると、感情の浅さを表現しているのですか? 誰かが根拠のない疑いを惹起することで、弱まる愛情を取り戻すことができると推奨しているのですか?
- 『To no Chujo nodded. ”Some,” he said, ”have imagined that by arousing a baseless suspicion in the mind of the beloved we can revive a waning devotion. But this experiment is very dangerous. Those who recommend it are confident that so long as resentment is groundless one need only suffer it in silence and all will soon be well. I have observed however that this is by no means the case. 』における文構造や表現の意味についての疑問があります。
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今晩は。今日は空気が少し春っぽかったですね。英語で言う、Spring is just on the corner. です。 いつも大変丁寧なお礼をありがとうございます。sweet なお人柄をいつも感じます。 前回の補足で、affection と affections の違いですが、どちらも「情愛」という意味になり得る、affection は他の意味にもなることがあるが、affectionsだと「情愛」という訳にほぼ限定される、というのが、私の単純化された理解になっています。複数ですので、あれこれの気持ちが輻輳しているイメージを出したいのでしょうか。例えば少女漫画の傑作『君に届け』の黒沼爽子の風早翔太に対する気持ちは、まさに affections でしょうね。「恋慕」という訳が似合う場合が多いでしょう。 1)『For often the sight of our own forbearance will give our neighbor strength to rule his mutinous affections. 』 >たびたび、私たち自身の寛容の一瞥は、彼の抑えがたい恋慕を支配するために私たちの仲間に力を与えるでしょう。・・・? >For often the sight of our own forbearance・・・・「For」をどうやって訳したらいいかわかりませんでした。 ●訳はその通りなのですが、文意を汲むのが難しい文です。接続詞の for を取り損ねると、分からなくなる危険性が高くなります。For(というのは~だから)とあることで、前の文の理由であることが明示されています。前文は、夫の浮気に気づいていてもそれを喚き立てない賢い女性の話でした。よって、この文の訳は、「というのは、われわれ自身が我慢しているのを見ることは、そばにいる人に、その人の抑え難い恋慕に打ち勝つ力を与えるからです」となり、女性の方が忍び難きを忍んでいると、夫の方も、自分の浮気心を抑えられるようになる、という趣意の文です。 >the sight・・・一瞥? ●「光景」と訳すより「~を見ること」と訳したほうが分かりやすくなる場合があります。 >our neighbor・・・・彼が通っている女性たちのことですか? ●ここでは夫のことです。 >全体的には、彼を非難しないで寛容の態度をとれば彼の浮気に対して有効だということを言っているのでしょうか? ●まさにその通りです。ただし左馬頭の意見にすぎませんが... 2)『 ”But she whose tolerance and forgiveness know no bounds, though this may seem to proceed from the beauty and amiability of her disposition, is in fact displaying the shallowness of her feeling: 'The unmoored boat must needs drift with the stream.' Are you not of this mind?” 』 >しかし我慢と寛大さの極まるところを知らない彼女は、これは彼女の性質の美しさと優しさから生じるように思われるかもしれませんが、実際は彼女の感情の浅さを表に出しているのです。「とも綱を解かれたボートは流れのままに漂わないではいられません」あなたはこの心ではありませんか?・・・? ●完璧です。これは、上の考えに対するアンチテーゼで、寛容も度を超えると逆効果だということです。左馬頭は大真面目ですが、読者はちょっと微笑みたくなりますね。 >The unmoored boat must needs drift with the stream・・・「must needs drift~」どうしても(どうやっても)漂ってしまう、というニュアンスでしょうか? ●おっしゃる通りです。 >「Are you not of this mind?」・・・あなたもこう思いますよね?という同意を求めている言葉ですか?慣用句みたいな決まり文句ですか? ●初めて見ましたが、意味はおっしゃる通りに違いないです。I am of the opinion that ~「私は~という意見だ」というのと似ていますね。 3) >頭中将は頷きました。「ある人は」彼は言いました。「最愛の人の心の中の根拠のない容疑を刺激することによって、私たちは弱まっている愛情を甦らせることができることを想像していました。しかしこの試みはとても危ないです。それを推奨するそれらの人々は、立腹が根拠のないものである限り、それを黙って受 けさえすればよく、それですべてはすぐによくなるでしょう、ということを確信します。私はしかしながらこれは決して事実ではないということを観察していました。・・・・・・・? ●これも完璧です。 >Those who recommend it are confident that so long as resentment is groundless one need only suffer it in >silence and all will soon be well. この文の構造がわかりません。 >Those who recommend it ・・・・主語? ●その通りです。 >are confident ・・・述語? ●その通りです。 >that以下の構造が特に不明です。(that以下は文末のwellまでですか?) ●that節は、おっしゃるように、文末のwellまでです。 >so long as resentment is groundless one・・・・立腹が根拠のないものである限り・・・? ●その通りです。 >need only suffer it in silence・・・need only do~で「~しさえすればいい」? ●その通りです。 >and all will soon・・・「and」は当然の帰結・成り行きを示しての意味の「それで」ですか? ●その通りです。構造は正確に捉えられています。 >Those who recommend it・・・ 「it」はarousing a baseless suspicion in the mind of the beloved ですか? ●その通りです。 >need only suffer it ・・・・「it」は「a baseless suspicion」ですか?主語は「それらの人々」ですか? ●その通りです。 >I have observed however that this is by no means the case・・・・ここの「this」はある人(some)が確信している内容のことですか? ●その通りです。 >by arousing a baseless suspicion in the mind of the beloved we can revive a waning devotion.・・・なぜ根拠のない容疑を刺激すると愛情が甦るのか?? ●(実際にはしていない)浮気をほのめかすことによって、相手の嫉妬を刺激し、それを情愛復活の妙薬にするということです。(こうした手管が必要ない人は、恵まれた人です。) >後半の「 one need only suffer it in silence」の意味がよくとらえられませんでした。 ●妻に焼きもちを焼かれても、(実際には浮気をしていないわけですから)泰然としていればいずれ大過なく済むことです。 >紫式部に男女がうまくいく秘訣について教えられる気がするのですが。 ●「雨夜の品定め」は、当時の恋愛心理の様々な局面が書いてあって興味深いですね。ただシェイクスピア同様、これらの考えを紫式部の考えと同定するのは少し危険です。坪内逍遥がシェイクスピアについて「没理想」と言ったのもまさにそのことで、紫式部は登場人物の蔭にいて、本人の考えは杳として知れません。そこが安っぽい文学との違いですね。 ************************* 《余談》「辰野隆や江口渙が出会ってきた人たちはみんなすばらしい人たちだと思いました。また一方で、謙虚な思いでその人たちのことを語っている彼らこそが人としてすばらしいのではないかという思いになりました。」———本当ですね。そうした人たちがいて初めていろんな人がわれわれにとって生きてきますね。 ********* 谷崎の作品では、『春琴抄』と『瘋癲老人日記』も傑作だと思っています。『春琴抄』は、あの口の悪い正宗白鳥が絶賛した作品です。またこの作品はトマス・ハーディ(彼もいい作家です)の「グリーブ家のバーバラの話」に触発されて書いていて、比較してみると興味深いでしょう。(「グリーブ家のバーバラの話」は谷崎自身が翻訳していて、中央公論社版の谷崎全集に入っています。) 『瘋癲老人日記』は、老人の性を扱った作品で、天上的なユーモアがあり、世界文学でも例のないものです。男性の立場から書かれていますので、とっつきにくいかもしれませんが、『鍵』よりも上を行っています。(つづく)
お礼
今晩は。日中は日差しが柔らかい暖かさを感じさせてくれました。Spring is come.と言えるのももうすぐですね。 いつも大変丁寧に回答をしてくださってありがとうございます。 (特に甘い物好きではないのですが・・・というのは冗談です) affection と affections の違いについて説明してくださってありがとうございます。 辞書を見ると「affection」は不加算名詞の1の意味に(・・・へ)の愛情、愛着;《~s》恋情」とあったので、愛情と恋情はどう区別してるのかなと思ったのですが、affectionsだと「情愛」という訳にほぼ限定される、ということですね。(「affection」には病気、疾患、作用、影響・・などの意味もありますね) 「輻輳」(ふくそう)は難しい言葉ですね。「物が1か所に集中し混雑する様態」ですね。 漫画は好きなのですが『君に届け』は読んだことがありません。少女漫画は「affections」を描いたものが多いと言えますね。 文頭の「For」は今までよく出てきていた(というのは~だから)という訳なのですね。 この場合前回の文から引き続いているのですね。どうやっても訳に入れられずに困りました。 「the sight of our own forbearance」のところは正しい訳を教えていただいて 自分が解釈していたのとは全然違うことがわかりました。 寛容のまなざしを夫に向けているのをイメージしていました。 「our neighbor」は夫なんですね。 他の女性たちもこういう態度を見習ってください、という文意かと思ってしまいました。 単語が訳せても趣意をとるのが難しいですね。 (正しい趣意を教えてくださって内容が理解できました) 2)は突然ボート(舟ですね)の例え話が出てきて唐突感があったのですが、 「寛容も度を超えると逆効果だということ」なのですね。 左馬頭が真剣に語っているのが伝わってきますね。 「Are you not of this mind?」は「not」が入っていてちょっと複雑に 考えてしまいましたが、3)で頭中将が頷いているので同意を求めている感じなのかな と思いました。「I am of the opinion that ~」と比べてみると 「of this mind」と「of the opinion 」のところが似ていますね。 3)は「all will soon be well」を独立させて訳すのかどうか迷いましたが 独立させてしまうと全体の文がまとまらなくなってしまうので「that節」の中に 全部入れました。(そう考えたので「and」は「そこで」と訳しました) 「by arousing a baseless suspicion in the mind of the beloved we can revive a waning devotion」は 「(実際にはしていない)浮気をほのめかすことによって、相手の嫉妬を刺激し、 それを情愛復活の妙薬にするということ」という趣意なのですね。 想像力を働かせて読みとらないとよくわからない部分ですね。 こうした手管をとらない人というのは好かれる資質をそもそも持っている人でしょうか? 「by arousing a baseless suspicion in the mind of the beloved」 ここの意味がちゃんと自分の中でとれてなかったので 「 one need only suffer it in silence」の意味もよくわかりませんでした。 (実際には)浮気をしていないので、怒られてもうろたえなくていいということですね。 紫式部はあくまでも「登場人物」に客観的な目を向けて描いていたということでしょうか。 多様な人物を配置してその人物たちがいろんな思いをめぐらせ、語り合って、 作者の主観や理想を直接には表現していないところが物語として奥が深いですね。 (坪内逍遥がシェイクスピアについて「没理想」と言ったのを思い返しました) ************************ 辰野隆の『忘れ得ぬ人々』の中の「弟子」という随筆の中で 『僕には弟子と呼ぶ可き後輩は一人もないのだ』とあったのですが 教え子からは「小林秀雄」を輩出したのを知ってびっくりしました。 その本の市原豊太の解説に 『先生はさまざまの美しいものに、すべて素直に打たれる多幸な人であった』 とあったのが心に残りました。 江口渙の『わが文学半生記』では個性のある方もいらっしゃいました(笑) ************************ 谷崎潤一郎の『春琴抄』と芥川龍之介の『地獄変』を今週ちょうど読みました。 この2作品には究極の世界観を感じました。 『瘋癲老人日記』『鍵』「グリーブ家のバーバラの話」も読んでみますね。 ************************ 前回紹介してくださった新井潤美の『階級にとりつかれた人びと―英国ミドル・クラスの生活と意見』 読みました。 イギリスは階級社会だということは漠然と知っていましたが あんなに細かく生活や習慣、言葉にまで根付いているものだとは知りませんでした。 「ロウアー・ミドル・クラス」と「リスペクタビリティ」というのがキーポイントでしたね。 イギリスという国を知るのに大いに役立ちました。 新井潤美は女性ならではのきめ細かい観察力を発揮していると思いました。 (火曜日にまた投稿します)