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永遠の聖母
子供を抱いている女性の姿は美しい 永遠の聖母 である 抱かれている子供も幸せである 今生きている母と子のあいだにあるものも永遠である 女性が最も輝きを放つとき、永遠と呼ぶにふさわしい 女性における永遠とは? 解説してください。
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人間は二人三脚。 男は理性を担当し、女は感情を担当し、結ばれた三脚目は意志。 女の特性としての感情に永遠を認める物、それは愛。 女性の永遠とは命をいつくしむ愛情。
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- kurinal
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こんばんは。 >「最も輝きを放つとき、永遠と呼ぶにふさわしい」 んー。認知症になると、「最も輝きを放っていたとき」の自分に戻るとか (抜粋)「母親にとって、子どもが自分と100%同一視出来る存在であるからこそ、子どもを無償に愛することが出来る・・・それは難しいことではない。だが、母親の愛が真に難行となるのは、子が自分を離れて独立しようとする時、である」
お礼
ありがとうございます。 そうですね~ 子離れは大変です 子供の側からみれば自然なんですが 母親にとっては辛く寂しいことです でも、それだからこそ 無償の愛を与えたことは輝きつづける、永遠なのかもしれません 限りがあるからこそ永遠である そんなふうにも思いませんか 子供が離れてゆく時 何も返ってこない愛を経験しなければならないという寂しさがあると思います。 遠くから見つめるだけの愛は寂しい でも、その寂しさに耐えた愛は、また別な輝きがあると思います。 永遠をそっと包みこんだような輝き かもしれませんね。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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やけくそのような投稿で すみません。 ▲(アウグスティヌス:女も同じく歴史の共同相続人である) ~~~~~ 【Q:男と女】(質問者の noname#80116 は わたし=ぶらじゅろんぬです)。 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa3689191.html だから 男と女の精神には明らかに共通の本性が認められる。 ところが 男と女の身体によって一つの精神の職務の配分が象徴されるのである。 したがって 私たちが段階的に内観を進めて行き 魂の種々なる部分を考察するなら そのとき私たちが動物とは共有しない或るものを見出し始め そこで内なる人がすでに認識され得る理性がその仕事に着手するのである。 この内なる人自身も 時間的事物の管理を委託されているあの理性によって外にあるものに節度を失った進行をなし はなはだしく滑り落ち さらにその頭が同意するなら 言い換えると指揮所で命令し見張る理性のあの部分が いわば男の役割のごとく それを禁止し抑制しないなら その敵の中で衰えるのである(詩編6:8)。 その敵とは徳を憎む悪鬼たちとその首長(かしら)たる悪魔である。 永遠なるもののあの直視は妻と共に禁じられたものを食べた頭(男=アダム)自身からも失われ したがって彼の眼の光は彼と共にないようになる(詩編38:11)。 かくて この両者は真理の照明によって裸にされて いかに自分たちが恥ずかしく無様に いわば甘い果実の葉のようであり しかも彼ら自身は結実なくあるかということを見るために開かれた意識の眼をもって 善き業の実なくして善き言葉を織り合わせ 悪しく生きながら いわば上手に語って自分たちの汚辱を蔽うのである(創世記3:1-7)。・・・ (アウグスティヌス:『三位一体論』中沢宣夫訳 12・8) ~~~~~~~~~~~ 途中で端折ったかたちですが・またネガティヴなところを決めつけるように指摘しているようにも見えるのですが けれども ○ 男女ともども この人類としての歴史の共同相続人である。 と言っているとは思います。また ○ 理性の内の《男の役割》を 女も同じく持っていて 発揮しうる。 と。この《理性》のになう役目というのは 感性にすでに芽生えている判断力のような能力だと思います。 かくて 《永遠》をのぞみ見ることに 性差――性別?――による違いはないと思います。 アダムとエワのときと今とで 基本的に言って その自然本性に――イエスの登場を経て――違いはないし アダムとエワとのあいだにも 同じく違いはない。こう見ます。 何だか 味気ない回答になりました。
お礼
ありがとうございました。 >男女ともども この人類としての歴史の共同相続人である。 これは間違いないと思いますね。 引用文は半ば照れ隠しみたいな感じを受けました。 官能を否定できない理性の敗北を象徴的に遠回しに描いている、といった感じです。 でもいいのです。 この恥じらいがあってこそ、やはり女性は美しく見える。 と思いますよ。 花の恥じらい・・・美しい相続人ですな
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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あばうと72さん。 《永遠》に 性差はかんけいありません。 ぶっきらぼうじゅろんぬより。
お礼
おっおっお 来た。 ふっきらぼうが 来た。 性差か? 性別か? ちょっと、きれいに女性を描いてみましょうよ・・・花のように 悪くないから・・・ いつも結論じみたことをを先に仰る 相変わらず、せっかちですな 永遠は回る、今という時を含めて 女性の崇高さ がその中に あると思いますよ 教えてたもれ・・
- Y Y(@yy8yy8az)
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女性における永遠とは。 それは生命を存続させる役目。 生命は育み育てられなければ死するのみ。 生命に内存する生きようとする力は、女性の育みを必要とする。 生命が輝くのは女性の育む力に因る。 生命の存続。それが女性の永遠。
お礼
ありがとうございます。 >生命の存続。それが女性の永遠。 永遠というと、感情すらも越えたもの、という感じなのですが 一瞬の内にある永遠性という見方からすれば やはり、女性特有の優しさ、母性といったものにも見いだせるような気がします。 そこには母であることの強さもあると思います。 そのへんに分け入ってみたい感じもするのですが・・・ 仰っていることには了解いたします。
お礼
ありがとうございます。 >女性の永遠とは命をいつくしむ愛情。 いい言葉です。 母性本能といえば味気ないし、やはり慈しむという言葉のほうがいいです。 東も西もない感じがします。 永遠とは、無くならない、と読めば 母が子にそそぐ愛情は無くならない、消え去ることはない のでしょう。 母としての体験は女性の幸せですね。 母の手は 新しい命のために授けられた 何気ない五本の指よ 小さな命を抱くとき 私は母であることを初めて知った あなたが教えてくれた 母であること 小さな命よ ありがとう こんな感じでしょうかね・・・。 女性からみれば、慈しむという言葉すらない、慈しみそのもの を体験するわけですから 男より得かもしれませんね。 溺愛となると、盲目と呼ばれかねないおそれはあると思いますが それでも、そこに女性の永遠があるような気がします。