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純白の純粋性に疑問を持っています。

赤と、緑と、青を混ぜて白になるらしいですが、 混ぜられている白が純粋だというのがどうも腑に落ちません。 純粋とはいったいなんですか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • miko-desi
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回答No.8

純粋だと突っ込みようがないこと。 例えば白いノートに白鉛筆で描く用途が不明なこと。

atomonados
質問者

お礼

miko-desiさんこんばんは。ご回答ありがとうございます。 「純粋とは、突っ込みようがないこと」ですか。 どちらかと言えば「純粋とは、混合不可能なもの」の方と受け止めていいですか。あるいは「混合の可不可より、混合の意義が無いもの」としましょうか?  白鉛筆が白いノートに突っ込むことができるにしても、それは何の意味もない、そうする意図がわからない。黒いノートに白鉛筆はありでしょう。白いノートに黒鉛筆はありでしょう。  この例では、黒いノートに黒鉛筆はなしでしょうが、黒だけが不純のシンボルではないので、灰色のノートに黒鉛筆とかありですね。  不純なものは、純粋なものが突っ込むことももちろんのこと、不純なものも突っ込むことができる。なぜなら不純とは雑多の混合であり、この不純とあの不純は別のものとして差異があるから。 「純粋とは、混合することでそのものの意義を失うこと」としましょうか? 純白という概念は、光の重ねあわせとして認識することで混合することになる。そうなると純白の概念の意義を失う。したがって純白は純粋である。こういうことになりますか。

atomonados
質問者

補足

他の方のご意見も参考になりましたが、miko-desi さんのこの回答がとても刺激になりましたのでベストアンサーに選ばせていただきます。

その他の回答 (15)

noname#189751
noname#189751
回答No.5

まあ、たとえなんでしょうけどね・・ 色にたとえれば無色透明 どんな色を、どのように混ぜても無色透明にはならない 逆に、無色透明があってこそ、すべての色がある 有色とは無色の枝分かれみたいなものじゃないですか 純色とは定義であって、実際には存在しない 純粋な赤も緑も青にも決まりはない 白もそうだと思います 白も含めて有色に純粋な色は無いと思います 色彩という人が定めた概念の向こう側にあるもの キャンバスに何度塗っても変わらぬもの、変わらぬ色 純粋とはそうしたものではないでしょうか。

atomonados
質問者

お礼

about72さんこんばんは。ご回答ありがとうございます。  純粋とは、それ自体を混合生成することは不可能なものだが、他を混合生成することを可能にするもの。  しかし、その純粋とは、人が定義した概念にすぎず実在性はない。本来、純粋とは、その概念の向こうにある純粋そのもの。それゆえに、純粋とは、変わらぬものである。こういうことでしょうか。  そうすると、No.1のhekiyuさんの回答のところで、色付けることができる白という一般の意見をぼくなりに解釈して「純粋は、混ざることが可能なもの」としたことと対立する「純粋とは、混ざることが不可能なもの」を正しいと言ってよいでしょうか?

noname#183245
noname#183245
回答No.4

純粋な人とは心から自分が不純だと自覚している人である。 っていうのが、ぼくの考えです。 純粋っていう概念だけだとわかりにくいので、 人で考えてみます。 自分は純粋だって思っている人ほど、不純な人間はいないでしょう。 たとえば、教育ママ。 親が子どもに言う「あなたのためなのよ」ほど、迷惑なものはありません。 ほんとうは子どもを「うちの子はこんなにすごいのよ」って、 ママ友に自慢したいだけ。 自分のためだけなのです。 これは自分にエゴイストだという自覚がないわけです。 自覚がなければ、反省しません。 それどころか、「こんなにやったのに」と見返りを求めます。 無意識の罪ほど、重いものはないのです。 これと同じで「自分は本気で純粋だ」と思っているほど、 不純な人はいない。 悪気なく不純に振る舞っているのが、なお不純。 純粋な人って言うのは、その逆。 「オレって、不純なんだよな」って本気で思っている人。 そういう人ほど、傍目からみたら、「純粋だな」って思われるわけです。 無知の知と同じです。 知らないことを自覚しているところが賢い。 純粋さも不純を自覚しているから、純粋なのです。

atomonados
質問者

お礼

phoenixevilさんこんばんは。ご回答ありがとうございます。  人格の純粋性を例にお答えいただきましたが、純粋とは、認識対象の属性ではなく、純粋性と不純性を共に自覚する認識主体の属性であるということでよいでしょうか。  純粋性を認識するだけの主体は純粋ではないというような。  他の方とは趣が異なりますが、このような視点も必要だと思いました。

  • kanakyu-
  • ベストアンサー率30% (1916/6194)
回答No.3

他の方もおっしゃるように、光の三原則ですね。 >純粋とはいったいなんですか? すべてが完璧なバランスがとれていることだと思います。 ちょっとでもどれかの色にかたよると、もはやそれは白ではないです。 食べ物でも、いろんな食べ物を少しずつ食べますね。 それでバランスがとれ、健康になります。それと似ていますよ。

atomonados
質問者

お礼

kanakyu-さんこんばんは。 「純粋とは、すべてが完璧なバランスがとれていること」明白な表現のご回答ありがとうございます。ぼくもそう考えたいところでした。しかしなお疑問があるのは何のバランスでしょうか?単色光の光量バランスの完璧性とは何でしょう?あるいは別のバランスでしょうか?さらに純粋に迫っていただけるとありがたいです。

noname#175120
noname#175120
回答No.2

色の三原色と、光の三原色は違いますよ。 色は混ぜ合わせると黒になる、 光は白になる…。 光はエネルギーが合算されるから1番強い白になる。 逆に色は重ねることでエネルギーが減少するので1番暗い黒になる…。 白とは全ての光の混ざり合いであって、逆に色としては無垢なのです。 同様に黒とは光としては無であり、色としては混沌なのです…。 共に純粋なる物だとおもいますけど…。

atomonados
質問者

お礼

hananodoameさんこんばんは。ご回答ありがとうございます。 反射光は加算され、吸収光は減算され感覚に届くのは分かりますが、E=hνでもあるわけで、どの色相における単色光も純粋性を持つということが、さまざまなエネルギーの強度での純粋性があると判断されるわけです。どうでしょうか。 白は無垢、黒は渾沌、共に純粋なる物ですか。そうなると、純粋は、無垢と混沌に共通する本質だと思われるのですが、それはどういうものなのでしょうか?というのも、純粋が無垢と混沌の混合物であるというのは不純に思えるのです。

  • hekiyu
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回答No.1

”赤と、緑と、青を混ぜて白になるらしいですが”     ↑ 光の三原色ですね。 光学的に混ぜると、白になりますが、絵の具で やると黒くなります。 ”混ぜられている白が純粋だというのがどうも腑に落ちません”      ↑ 赤、とか緑、青、てのは色ですが、白とか黒てのは 色ではありません。 光の有無強弱が白黒灰になるわけです。 その意味では、黒が最も純粋かも知れませんね。 白が純粋の象徴みたいになったのは、白なら どんな絵も、色も着色できるからでしょう。 あるいは、女性に関係するのかもしれません。 人種を問わず、女性の方が色素が薄いのです。 俗世間に染まっていない女性ということを象徴 しているのかも。 ちなみに、米国で女性の参政権運動が盛んな 時の話でした。 反対するひとも多かったのですが、意外なことに 女性にも反対する人が多数居たのです。 その理由ですが。 「男は俗世間に汚れている。しかし、女性は俗世間に  汚れていない。  女性が男と同じに汚れていいのか」 黒人解放運動に積極的だったのは女性達でした。

atomonados
質問者

お礼

hekiyuさんこんばんは。  色相を無にした無色、明度を無にした暗黒、結局「純粋とは、属性の少ないもの」ということになるのでしょうか。この考えでいくと、光の論理世界の中では最高に黒が純粋ですね。純粋な暗黒とは、純白の純粋性を否定するなかなか立派なご意見です。  しかし我々は黒を見るとき、外的な物自体を見ているのでしょうか、それとも内的な表象空間を見ているのでしょうか。そしてそれは純粋といって良いものなのでしょうか。さらに一般的に純粋についてご回答いただければありがたいです。  たとえば、着色可能性を例に挙げられていますね、それを「純粋とは、混ざることが可能なもの」ととらえていいでしょうか?  不純な俗と純粋な聖の例えも興味深く拝見しました。より光を受けずに色素の少ないもの(白)が、より光を受けて色素の多いもの(黒)を開放する運動に参加する場合は、白も黒もない公正な立場であるが、俗(外で活動し日に焼け黒い男性)に対する聖(家で活動する白い女性)としては交わろうとしないことが公正な立場であるというのが面白いです。いずれにせよ公正な女性が多いのですね。この公正性が純粋に関係しているのでしょうか?  ご回答ありがとうございました。

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