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「思われる」についての解説
- 「~ように思う」や「~と言われている」という表現は、話し手の意見を婉曲に表すために使われる。
- 「~ように思われる」は、「~ように思う」と比べてより客観的であり、思わず生じた感覚を表す。
- 「~と言われている」は客観的な事実を述べるニュアンスがあり、一般的に認識されていることを示す。
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質問者が選んだベストアンサー
まず、 >「と思われる」は人々はみんなそう思っている : という意味にはなりません。 『思われる』を「弱い断定の意味」で使う場合は、あくまで【自分が思う場合】だけです。 自分以外の人に対して使う場合は別の意味になります。 たとえば、「地球は丸いからではないか、と人々に思われる」という場合です。 これは受身の用法になります。 もうひとつの場合は、「地球は丸いからではないか、と陛下は思われる」という場合です。 これは尊敬の用法になります。 「考えてみればこれも、地球は丸いからではないかと思われる」という文の場合、「人々に」とか「陛下は」などという語が挿入されていないので、「思われる」の主語は「わたし」であることはあきらかです。 「弱い断定の意味」以外に解釈されることはありませんから大丈夫です。 「人々に思われる」と「(わたしが)思われる」を組み合わせて、 「地球は丸いからではないか、と(人々に)思われるからではないかと思われる」という文は可能です。 因みに、「思われる」は文法的には自発の用法とされていますが、日本語の意味としては「弱い断定」とお考えになるほうが妥当と思います。 「(自分の考えの)強い表明ではない」といったニュアンスでしょうね。
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- thegenus
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それもそうですが過去スレBAの「地球は丸いと思うからではないかと思われる」にすれば人々の意見になるという情報は間違いです。ただの先入観です。 質問者様は論理力を磨きたいご様子ですが質問者様に論理力はあります。必要なのは先入観に負けない理性、無私です。 物理学や地学などの理科を習得する精神的な意義は無私の心で物事を思考する理性を宿す事です。つまり理科の常識を共有する事ではなくて、理科の知識によって物事の説明を完結させる習慣を身に付ける事です。完結とは理科的に分からない限度から先の説明をせずに思索を止める自制でもあります。 質問者様は日本の中高生の理科の教科書や一般人向けの科学書を読まれるのが最適です。英語の文学を読めば日本語思考がハーフになって二兎追う者。マルチリンガルでも日本語「思考」は不自然になります。 個人の論理力は言語に制約されません。日本語に比べて英語の方が情念の介入が少ないという道具の安全性の差に過ぎません。日本語思考者で論理的な人はハンディを背負った上での実力ですから極めて無私的な人物なのです。西洋人科学者の傲慢さは創造を妨げます。 「と考えられる」が客観性の押し付けとは名言で、私も真似したくないと思いつつ、実際は使っていました。医学系の教科書にはこの「考えられる」が非常に多い。証明されていない考え方を有力視させるためのレトリックです。 本題ですが、これは「思われる」の問題ではないと思います。 これは単に日本語の主語不在問題です。質問者様と日本人の差は主語不在への適応力の差に他なりません。日本人は気にしないのです。主語を決めずに話を進めるのです。質問投稿して日本人の答えがはっきりしないのがその証拠です。そして使用目的は主語を決めないためなのですから、これで真相はほぼ証明されたように思えます。 論理性とは特定できない物事を特定しない事です。地球の例文は何も特定できません。 人々がそう思うと言いたい時は「人々が」と主語を入れます。発言者が主語を特定しなければ主語に関しては不明で終了。主語以外の内容を伝える文なのです。 「思われる」は自発の意味にしておけばいいと思います。その考えに至った発言者がそう思われたのは自明です。述語から主語を推定する技にも限界があります。 誤解されたくない発言者が(最終的には)「自分はそう思わない」事を宣言したければ、明示するでしょう。明示していなければ不明です。
お礼
ご回答ありがとうございました。理科の教科書や一般人向けの科学書に目を向けてみます。
- marisuka
- ベストアンサー率38% (657/1685)
ますます混乱させるようで申し訳ないのですが、別の観点から。 「思う」という言葉は「思考や感情が働いた」という意味です。だから「感じた」「考えた」「そう判断した」「そう受け取った」「自分の意志でそうするのだ」など、いろんな場合に使えます。一言で言えば、あいまいな言葉です。学術論文で「思う」を使えば「一人で勝手に思ってろよ」と笑われそうです。 「~と思われる」が「一般的・客観的に誰でもそうだと思うしかないじゃないか」と受け取られ、偉そうな感じを与える、というのは、「思う=判断する」と受け取られるからだと考えます。話し手の意図にかかわらず、聞き手としてはそう受け取ることがあるのです。たとえ話し手が「私としては、どうしてもそう感じるしかないんだけどな」と言おうとしたとしてもです。ここに聞き手の受け取り方の差異が生まれ、いろんな意見が出てくるのでしょう。 これは、「思う」という言葉を使う限り避けられないことです。「られる」という自発の助動詞を使うかどうかとは別の問題だと、私は考えます。 「~と感じられた」なら、客観性はなく、個人の感想です。 「~と考えられる」なら、誰が考えても結論はそれしかないだろう、という客観性の押しつけです。 >「考えてみればこれも、地球は丸いからではないかと思われる」という日本語文で とありますが、私の意見では、これは下手な日本語です。または、しっかりした意見がないのです。 「考え」たのに「思う」とは、どういうことなのかわかりません。 「これも地球が丸いからだと考えられる」でいいでしょう。 以上、一意見としてご参考に。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。難しいですね。やはり理解できませんでした。 「思う」と「考える」の違いについてですが、大野晋は「日本語練習長」の冒頭で論じたことがあります。思い出しましたので、ご参考になさってください。『「思う」とは、一つのイメージが心の中にできあがっていて、それ一つが変らずにあること。胸の中の二つあるいは三つを比較して、これかあれか、こうしてああしてと選択し構成するのが「考える」』。本当にありがとうございました。
- CC_T
- ベストアンサー率47% (1038/2202)
詳しく説明することは手に余りますが、私のイメージを記しておきます。 ◆~ように思う=~と考える=~と見る 発言者の臆測(意見・主張・想像)を述べたもの。発言者の思い。根拠が曖昧なこともある。 ◆~と思われる=~と考える事ができる=~と見ることが可能である 発言者の推測(推論・推定・想定)を述べたもの。前後の発言者の主張から論理的に導くことが可能。 ◆「~と言われている」 概ね一般的な事柄であると世間的に認知されているということ(常識・定説)を、発言者自身が承知している。 「地球は丸いからだと思う」 ←発言者の推論を述べたもの。 =これは地球が丸い事によるものだろう。 =地球が丸い事によるものであろう。 「地球は丸いからではないかと思われる」 ←発言者の推測を述べたもの =地球が丸い事によるためと推定できる =地球が丸い事によるものであるという推測が立つ。 「地球は丸いからであると言われている」 ←一般認識を述べたもの =地球が丸いからであるとされている。 =地球が丸い事から説明が可能である。 こんな感じでしょうか。う~ん、難しいですね。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。とても難しいですね。やはり理解できませんでした。本当にありがとうございました。
- kumacoro
- ベストアンサー率52% (12/23)
日本語を勉強中とのことですが、かなりのところまで上達されていると 大変感心しています。 思われる=る、らるの文法は日本語の文法の中でも難しい方だと思いますので、 外国の方には解りにくかと思います。 そもそも「る」「らる」には (1)自発 (自然に)そう思われてくる (2)可能 …出来る (3)受身 …(ら)れる (4)尊敬 …なさる・お…になる という4つの使い方があるのですが、外国の方には、 もしかしたら一番解りにくいのが(1)の自発かもしれませんね。 ですが、一番何気なく多く使われるのも(1)自発だと思います。 この場合の「思われる」というのも、(1)の自発であり、断定ではなくて (1)自然とそう思われてくる、という意味合いになります。 「考えてみればこれも、地球は丸いからではないかと思われる」というのも (1)を当てはめて、地球はまるいからではないかと自然と思われて来る、という 感覚です。 つまり、「客観性があり『思わず』生じたのである」という 教科書の一文と同じ意味合いになります。 他にも例えば、 「明日は天気が良いように思われる」 (明日の天気は明日になってみないと判らないけれども、自然にそう思われてくる) 「この相手はなかなか手ごわい相手に思われる」 (上に同じ=本当に手ごわいかどうかはわからないが、自然とそう思われてくる) 「○○を達成したら、自分にも未来が開かれるように思われる」 (上に同じ=本当に未来が開かれるかどうかは判らないが、自然とそう思われてくる) 全て、「自然にそう思われてくる」というふうに訳して考えて頂ければ うまく収まるのではないでしょうか? 本来的には「偉そう」な意味合いではないんですよ。 逆に、 「~と言われている」というのは、~の部分が事実であることが前提です。 「~と思われる」は、事実とは限らないという点で、ハッキリとした違いがあります。 説明が難しいですが、以上のような説明で何とか伝わりましたでしょうか? 私にとって、質問者様が、この「自発」での言い回しを「偉そう」と 感じられるというのは、とても新鮮な驚きであり、発見でした。 ああ~、そうなのか、と日本人の私にも学びになりました。 感謝です。 どうかこれからも、ますます頑張って頂いて 日本語を極めて下さいね。応援しています。
お礼
ご親切に回答していただきありがとうございます。おっしゃるとおりで、(1)の自発の使い方は外国人にとってとても難しいような気がします。いったいどういう感覚なのでしょうか。新明解(そうしようとは思わないのに、自然にそうなることを表わす時の言い方)、広辞苑(自然に起ること)大辞林(動作、作用が自然にまたはひとりでに実現する意を表す言い方)の説明、どれもよくわかりませんでした。コントロールできない感情のように感じています。コントロールできない感情なら、結局とても感情的なものになるのではないでしょうか。なぜかえって客観的に婉曲的に聞こえるのでしょうか。ますます混乱中。本当にありがとうございました。やはり理解できませんでした。がんばります。
- papafuji
- ベストアンサー率24% (50/203)
~思う=発言者が自分 ~思われる=発言者は分からないがそうだろうな~と言う弱い断定時に使います。 <私はあの方は強いと思う!!><私はあの方は強いように思われる???>の違いです。後ろのマークを見てくださいね。上手く書けませんが、断定と非断定の感じです。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。とても参考になりました。本当にありがとうございました。
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お礼
>「考えてみればこれも、地球は丸いからではないかと思われる」という文の場合、「人々に」とか「陛下は」などという語が挿入されていないので、「思われる」の主語は「わたし」であることはあきらかです。 これはわかりました。 でも、もし文頭の「考えてみればこれも」という「私」を暗示する言葉がなければ、単純の「地球は丸いからではないかと思われる」なら「人々にと思われる」という意味になれるのでしょうか。「~と言われている」という文型から影響を受けたので、なれると思いました。違いますか。それともたんなるの「弱い断定なのでしょうか。
補足
お礼と補足の場所を間違えてしまい申し訳ありません。ご丁寧に教えていただきありがとうございます。まだよくわからないので、もう少し教えていただけないでしょうかよろしくお願いいたします。