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結局は好き嫌いが重要?
結局は、その人の事が好きか嫌いかが重要なのであって、いくらその人の理屈が正しくても、そいつが嫌いだったらその理屈に意味はないのか!?
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- kurinal
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「別に、それでいいじゃん」である以上は、そうでしょうね。
- barutokai
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相手が正しい理屈しかいわない正しい人間だとしても嫌いなら付き合う必要はありません。 他人に迷惑をかけなければ自分がしたいように自由に行動すればいいのです。 ただこれだけだとなんか寂しくありませんか?自分があまり雰囲気的に好きじゃない人だとしても道徳的な人を好きになる余裕は作るべきです。それと他人に迷惑をかけない生き方もつまらないので他人を助ける余裕を作るべきですね。
>いくらその人の理屈が正しくても、そいつが嫌いだったらその理屈に意味はないのか!? 大方の人間はそういう傾向を持っています。自分が嫌いな人間の言うことははなから聞いても居ないのです。ですから政治の世界でも好かれる人格のひとが派閥の長になりリーダーに押されます。嫌われる人間は基本的にリーダーには不適格です。秀吉も角栄もひとたらしといわれるほど魅力的な人格だったようです。そんなひとがそれなりの説得力のある政策を打ち上げたら、傘下の人たちは1も2もなく従うのです。 真実は別にあると思います。
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理屈の正しさには意味があります。嫌いな相手であろうと同じことです。 この場合、何かを学ぼうという態度が取れないのであれば、それは当人が ある点で有能性を欠くという、それだけの話ですね。 重要なのは好き嫌いでありながら、好き嫌いをなくすことでもあります。 どんな馬鹿な相手でも何かしら学ぶものはあるでしょう。 もちろん、何も学ばないこともできるわけですが……。
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その理屈が正しいかどうかの判断は、各人のモノサシでするしかないので それが好き嫌いとして表れるのではないでしょうか。 わざわざ自分を戒めてまで嫌いな感情に従う理由はよほど無いと思います。 自分を戒めて筋の通った生き方を選んだつもりでも、結局は意思の欲するまま、好む感情に従ったに過ぎないと思います。
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