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お抱え職人

昭和初期のお抱え職人について調べています。 料理人や運転手などは確実にほぼ毎日仕事があると思うのですが、建具職人や瓦職人などは、雇主から仕事の依頼が無い時はどう生活していたのでしょうか? ご存知の方、宜しくお願いします。

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回答No.3

料理人や運転手の場合は、お抱えと言えば、抱え主の専属で、他からの注文は基本的には受けないのでしょう。 http://hamanet.jp/kaishokuj/detshort.aspx?codef=1792 しかし、植木職、庭師などの場合は、大きな屋敷では専属、他の場合は、お抱えでも、他の注文を受けてやっていたと思います。 http://mach555.naturum.ne.jp/e1307032.html 大工や左官(塗師)は、江戸時代にはお抱えであった職人も、明治には失業し、自営で営業せざるをえなくなったでしょう。メインの取引先はあっても、色々の注文を取っていたでしょう。  http://dento.ichi-ichi.info/modules/takumi/sakan.html http://www.tkfd.or.jp/research/project/news.php?id=754 ただ、多くの注文主は自分の家をやってもらう職人さんを決めていたので、専属で抱えていたわけではなくても、「我が家のお抱え」のように意識していたことはあるのでしょう。 職人さんの側でも、宗家専属のような意識でやっている方も多いと思います。 http://www.wanogakkou.com/life/00400/00400_012.html 大正時代には、お抱えという形の方もいらしたようです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%87%8E%E9%88%8D%E9%98%BF   なお、現在でも、呉服、漆器、工芸品、人形、陶器などの著名な作家として代々続いているところでは、その代々の職人さんの下請け・協力パートナーとして、お抱え職人さんを専属で確保しているところが多いと思います。  http://swu.ac.jp/swuhp/museum/content/c_06urusi.html しかし、普通のお宅で(侯爵や大金持ちでも)指物師(建具職人も指物師の一部でしょう)、漆器などは、専属で抱えるということはないのでしょう。  菓子などでも、御用達という形になりますし、、、 http://www.kyohaku.go.jp/jp/kankou/gaku/pdf_data/16/016_sakuhin_a.pdf 瓦職人というのは、屋根職人のことなのでしょうが、大工や左官の棟梁と同じように考えて良いと思います。

yakunosyui
質問者

お礼

回答有り難うございました!お礼が遅くなりましてすみません。 ご意見とても参考になりました!専属でなくともお抱えとは呼ばれるようで、お陰様ですっきりしました。御用達と云う言い方(と言いますか呼び方と言いますか)を完全に失念していたので、とても納得出来ました。 参考URLも沢山貼って下さり、大変助かりました。有り難うございます!

その他の回答 (2)

  • jgk99
  • ベストアンサー率39% (16/41)
回答No.2

 参考になればと思って私の父の話を書きますが、当然、書ききれませんので箇条書きにしました。 1.父は昭和初期に代議士の運転手として東京から地元へ招かれました。   当時、地元に免許人がいなかったためです。免許を取っても自家用車を所持できる時代ではありませ  ん。地方県では名のある有力者か医者くらいでしょう。   地元には、まだ自家用車がなかった時代です。県内に何十台とかではなかったかと。 2.その代議士は地元の資産家ですから、敷地内の夏住(離れのような別棟)を与えられ住みました。 3.待遇は現在のパイロット並み(会社員の数倍の給料)だったと言ってました。 4.代議士が出掛けるとき以外、特に仕事はなく。車の手入れ位だったと言ってました。 5.代議士が会合などで料亭で酒を飲むときは、別部屋に料理が用意されて、相手の運転手と飲んでいた  ということです。当時は飲酒運転もOKです。交通事故になるほど車はありませんでした。また、プ  ロなのでほどほどに飲んだとか言ってました。 6.他の職人とは違いますが、ほぼ毎日が休日だったとか言ってました。 7.なにせ、父に辞められると次の運転手をまた東京あたりから連れてこなくてはならないとのことで、  大切にされていたみたいです。 8.母と結婚したときは、代議士の別荘を貸してくれて、そこが新婚旅行先になったそうです。 9.その後、軍隊に徴用されて運転教官をすることになり辞めました。  場所、職業、年代(昭和初期は激動の時代ですので)により大きく異るでしょうが面白い時代だったと聞いています。  今の職人の範疇と、当時の職人の範疇は違うような気がします。  参考になれば幸いです。

yakunosyui
質問者

お礼

回答有り難うございました!お礼が遅くなりましてすみません。 現場の生の声、とても参考になりました!今では考えられないお話ばかりで驚きました。お抱えの方は本当に大事にされていたのですね。時代の「違い方」は、私の想像以上だったようです。 貴重なお話を聞かせて戴きまして、本当に有り難うございました!

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (816/3045)
回答No.1

瓦職人は普段から商品である瓦を造っていたと思いますよ。 材料費なんかたかが知れてますし。 建具職人はそりゃあ仕事が無い時は自分が仕事した家を回って、たてつけが悪くなったり古くなったところの交換など、仕事を探して回ったでしょう。今も昔も仕事が無い時は取りに行かないとね。 ただ職人の文化として、仕事が無い時はのんびりしてる人も多そうです。

yakunosyui
質問者

お礼

回答有り難うございました!お礼が遅くなりましてすみません。 足で探す…確かに大事ですね。参考になりました!

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