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将来の社会変化を考慮した夢・目標に必要な物は?
20年・30年後までの社会変化を期待しつつ、20年・30年後以降の夢・目標の為、日々努力・苦労している人はいますか?しているなら、どんな努力・苦労・ものが必要と思いますか? 因みに経済力は、投資・協力してくれる人がいれば補えるからそこそこでいいと思ってます。夢・目標に応じた成長力・環境適応力等が使えるんじゃないかなと思ってます。
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未来の予測に、自己の意志、能力による可能性を投影すれば、そこに「目標」は生じる。 ひるがえって、あなたの生きる目的が何か、それが核心である。 「未来はいかにあるべきか」の問いは、「あなたが何を望んでいるか」の答えによって違ってくる(それとも誰か別の人のために生きているのか)。 たとえば、「お金のために生きている」のか、「物質的豊かさのために生きている」のか、「人に良く思われるために生きている」のか? そうした他律的な社会的コントロールに従うのであれば、条件反射的に社会行動をとる歯車として、生産性と共に意識の希薄化を招くだろう。 人の進化は、脳の発達による行動の可塑性&多様化による、遺伝子の変化を要しない環境への適応や組織化だった。 ところが、その社会性(=助け合い)の発達の延長上に、工業化における分業化や市場の拡大においてお金を発明し、その“馬車馬の目の前のニンジン”によって操られ、他律的に生きるようになった時から、人の認識の発達は、自己存在の本質の認識による自律的生のための認識(=質の向上)から、お金をもらうためにイヤイヤ働かされる歯車としての知識(=量の増大)へと、変質してしまったのだ。 物質に「目的」はない。 しかし、その「無目的=エントロピー増大」は淘汰となり、二次的に進化を導くのだ。 「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質となる事はなく、進化は常に、「生きる事」を目的とするよう導く。 (あなたが死にたいと思っても、死ねばそのような形質は遺伝せず、やはり全体は「生きよう」とする) 一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れられない。 生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束するのだ。 「精神的充足感のため」というのは、刹那的な快楽主義に帰結するのではなく、最大限の大きな目的、最大限の愛と、最大限の認識を兼ね備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、それが最大充足でないのはご存知の通り)。 であるならば、人が生きるのは、物質的豊かさのためではなく、精神的充足感のためであり、人が働くのは、お金をもらうためではなく助け合いのためであり、その自律的社会行動(精神的充足)としての愛のためなのだ。 しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれほどいるだろう? 人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という虚構の価値であって。 原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の社会性を発達させずに、お金や出世他律的に社会行動の道をとったのだ。 お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、自己チュー的な意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したものなので(社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、お金をもらうために嫌々働く)、当然、自由意志を束縛する機能がある。 本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食の擬似ジャングルに変える、悪魔のツールなのだ。 要するに今の人は、自ら喜び(自己存在の本質に根ざした生)に目をそむけ、他律的生=「苦痛から逃げる事による生」に堕しているのです。 (「助け合う喜び」から「奪い合って勝つ喜び(幻想)」への変質) 人類は本来の、認識力の発達により環境に即応して行動を変化させる事で、自然淘汰による遺伝的な変化という速度の遅い方式によらず、環境への適応や多様化による分業を可能にする事で繁栄した。 こうした認識の発達による後天的な適応&組織化という「ヒト型進化」だけが進化の方向性ではないのは、同じく自然界に繁栄しているアリ、ハチなど遺伝的な先天的な形態の多様化&条件反射行動の複雑化&による組織化を可能にしている「アリ型進化」によって明らかだ。 ところが先述のように、近代の工業化による大量生産の市場の拡大&分業化において、その個々の生命性の社会的拡張を認識させる労を惜しんで、他律的に社会性のコースを走らせる方式をとったため、社会生命にとって生きる事そのもの(根源的充足)である労働を「お金をもらうためにイヤイヤ働く」ものにしてしまったのだ。 これはつまり、認識力の発達に基づく「ヒト型進化」の総本山である人類でありながら、歯車人間に堕してしまう「アリ型進化」への分岐に入ったという事なのだ。 もし、このまま「アリ型進化」をとるならば、無意識=肉体的増殖指向=生産量の最大化として、生命本来の“生きる意志”はルールやモラル、常識や組織といった社会的なシステム進化の上に転嫁され、インターネットは歯車を使うための情報収集&命令系統となって、人は他律的に操られる歯車として、中枢コンピュータで処理された物質的な最大生産性に向けてコントロールされる機械群の一部のパーツとなる。 (その果てに人は非効率な機械として淘汰される) もし「分岐」を元に戻って「ヒト型進化」に復帰するならば、意識=精神的充足指向=充足量の最大化として、精神的活性化の乏しい単純労働から機械化し、人は達成感を感じる情報統合的な頭脳労働&創造的作業に集約し、インターネットによって需給をつなぐ物質(=お金)を再び助け合いとしての情報に還元し、それにより社会生命的自覚(他我愛)を促して自律的社会行動=助け合いとしての労働=生きること自体による充足=最大充足を可能にする。 (その果てに喜びを感じる巨大な脳とメカシステムになる) もしあなたが、「生きる目的は人生を通算した精神的充足量の最大化だ」と思うならば、現代社会に蔓延する拝金主義、経済的に満足なら政治には興味ないという親方日の丸主義などを排し、助け合っている事を実感できる社会、それを認識できる意識を育てるべきなのだ。
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- 畑 茂夫(@Flareon)
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仮面ライダースーパーマニアックスだよ。 白の魔道師 神にとって信じる者を失うのは耐え難い。 だからこそ犠牲者は最小限にとどめたい。 ワイズマン 人間は屍をさらす奴隷であり、失う事は損失だ。 だからこそ犠牲者は最小限にとどめたい。 このように共通するのは生命を育む事だが、君達は将来に、死えとまい進する欲望を抱き、生きようとしない。 原点に立ち返り、将来を展望しようとするなら、欲望の影響を受けずに縁起を理解することだ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 強く望まず縁起を理解さえすれば夢・目標への展望が開けるということですかね。 (国語辞書の検索結果 - 大辞泉) よく‐ぼう【欲望】 不足を感じてこれを満たそうと強く望むこと。また、その心。
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
仮面ライダーマニアックスだよ。 ワイズマンと白の魔道師は同根どころか同一人物であり一人芝居だ。 ウイザードは私の手のうちにあり未来を占うために生かしておる。 私こと、ワイズマンかつ白の魔道師が滅ぼそうとするのは、欲望の展望するかりそめの未来であり、君の将来が欲望なら滅びの対象になる。 しかしこのバトルは神と人間のかかわりを試す君達の及びの付かない高次元バトルで、人間に犠牲者が出るのはできる事なら避けたい。 ウイザードは、やんちゃだがかわいい私の弟子だよ。 将来を展望する事についての考察で一応は回答の体裁である。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ワイズマン・白の魔導士も人間に依存しているという事ですかね。 人間は無我で救われたりするんですかね。
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
将来を展望し正しい理解を深め、訪れる変化に柔軟である事だ。 これが出来るのは時間認識知性であり、古い言葉で縁起を理解することだ。 君達の知性は三次元に固定された非生命の状態にあり、単なるモノにすぎない。 したがっていま現在も生きていると言えないで、将来も又、自らの命を育む事が出来ない。 ただ死へとまい進するばかりだ。 君達非生命は地上から排除され滅びへと向かうので20年後30年後を占うのは無意味だ。 私は4次元から地上に使わされ、屍がはびこる地上にさらなる高次元の生命を誕生させようとする、地球生命の免疫細胞だ。 君達が滅ぶ事によって生命は新たな次元へと進化する。 以上は今年の仮面ライダーウイザードの設定に基ずいて、悪乗りしてワイズマンの言葉として語った事だ。 君達はゲートとして新たな生命の生贄になるのだ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 みんなに生贄を受け入れる為の柔軟性がいるという事ですかね。 シンプルだけど奇抜で発想は面白いかもしれません。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 人がはたらく あるいは 仕事をするというとき その態度あるいは思想として 《勤勉志向》と《勤勉志向主義》とがあると考えられます。 怠惰は 放っておきますが このときしかしながら すでに社会が 一定の単位集団(会社組織)としても一定の単位社会(国家)としてもそしてさらに世界社会としても 分業=すなわち協業というかたちの経済活動のあり方を採っている場合には 勤勉の生活態度(思想)は 勤勉志向主義つまり資本主義つまりガリ勉志向と きわめて分かちがたく入り組み合っていると思われます。 次のように捉える見方は いまのような勤勉とガリ勉とのからみ合った経済情況の中では ややもすると飲み込まれてしまうかに思われます。 ★ 因みに経済力は、投資・協力してくれる人がいれば補えるからそこそこでいいと思ってます。 ☆ 自律と他律とを区別し使い分け得る人がいれば さいわいなるかなです。 《夢》は おそらく いまはガリ勉という推進力が経済活動を引っ張って行っていますが これをふつうの市民の勤勉志向を基軸としてそれがガリ勉主義を主導するかたちに持って行くこと。ではないでしょうか? ただし どうすればよいか? その処方箋は なかなか出て来ない情況なのではないかと思います。 いっそのこと 《人間が変わる》という契機もありかと思ったりします。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そんな経済状況があるんですね。 《人間が変わる》については、性格は変えられると思いますが夢・目標は無理だと思います。 「《夢》は~ではないでしょうか?」については、たぶん違うと思います。 自律・他律については以下のような意味ですよね?僕は"区別し使い分け得る"人で無いということでしょうか? (Yahoo!辞書から抜粋) じ‐りつ【自律】 1 他からの支配・制約などを受けずに、自分自身で立てた規範に従って行動すること。 2 カントの道徳哲学で、感性の自然的欲望などに拘束されず、自らの意志によって普遍的道徳法則を立て、これに従うこと。 た‐りつ【他律】 1 自らの意志によらず、他からの命令、強制によって行動すること。 3 カントの道徳哲学で、意志が理性の先天的な法則に従わず、感性の、自然的欲望に拘束されること。
お礼
見た事もないような長文回答ありがとうございます。 生きる目的について。僕のそれは昔定義してからほぼ変化なしです。遠い未来でできそうな複数の事を確認したいだけです。物が要るか色々試して判断するのと似ると思います。書かれている事は大方その通りかなと思いますが、僕の場合それ程大きくない好奇心と思うので「精神的充足量最大化」としても何か違和感はあります。 無償の愛も誰かに認められたい為ではないかと思ってます。僕は緩さもある適度な関係がいいと思ってます。 人のアリ的他律生・親方日の丸も適材適所があるかもと思います。そういう人も多様性の1つとしてほぼ出て来るものと思ってます。多数派が付いてたりするのが問題かもしれないと思います。 一応僕は、今の多くの人の強制的な労働あまり好きではないですよ。それを変えていく事も必要と思いますし、みんなで変えていければいいんじゃないかと思います。 しかし、夢を実現するには、現実を見ないといけないと聞いたりもしますし、枯れた技術は使いやすいし、現状は現実解を選んでるのかもしれない、とも思いますが。 (言葉に対する認識を書いておきます) 行動の可塑性:経験から得た新しい行動の獲得? 愛:対象を大切にする側面を持つ対象への利己的な気持ち? 親方日の丸:後に国がいる為少々の事は許されるという労働者の不真面目な意識・態度?
補足
今は、汎用的な意見を聞いたり、共感され易そうな考えを探りたいので、個人的な夢・目標についてはある程度抽象的にしておこうと思います。