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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:パワ・ハラ電磁波はアース役が核反応させうるか?)

パワ・ハラ電磁波のアース役とは?

このQ&Aのポイント
  • パワ・ハラ電磁波について、アース役が核反応させうるかについて考えます。
  • アース役になりうるチカラがあるかどうかについて検討します。
  • パワ・ハラを少なくすることが経済の安定成長につながるのかについても考察します。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.3

こんばんはです。 この問題について、さらに空想を広げて(実は、眠り猫は、こうした空想的な思考は結構苦手)、考えてみました。 ☆☆☆☆☆☆ 色のついたパワハラ電波(セクハラはもろイロもなので論外!!)は駄目ですよ。 原子核(自我)のまわりを回る電子(表層的自己)に影響を与えるだけで、核に影響を与えませんから。一時的には変わって見えるかもしれませんが、その変化は電子の状態の変化であって、すぐに元の状態に戻ってしまうので。 核を変えよう、変質させようとしたら、正負・偏りのない中性子か何かが必要ではないのでしょうか。でないと、核までは届かない。すぐに、電子などによって弾かれてしまう。 と書いて思ったのですけれども、表面的な自分である電子は、自己や自我といった核的な部分を回っていますけれども、自己を取り巻く社会や世界を考えるとき、これは極めて重要な役割を果たします。物質を結びつける化学結合をはじめに、原子や分子は、基本的にこの表面的な電子によって結びついていますから。化学的な結合は、すべて電子によって結びついていると言っても過言ではないので。核を飛び回る電子が、原子間の接着剤を果たす。社会という有機的な結合は、電子の共有化によって成り立っている。表層的・交渉的な自分、電子の共有化などによって、社会という巨大な有機体は成り立っている(笑い)。 でも、それは同時に自己を縛り付けるもの、シガラミともなります。 その中を忙しく飛び回る電子もやがて、シガラミなどに窮屈さを感じます。自由を失っている核は、なおさら孤立化します。息苦しさを感じて、窒息しそうになる。その束縛から逃れるように、宗教や哲学などに救いを求める。あるいは、その苦しさから逃れるために、有機的結合と徹底的に同化することを目指す。埋没する。そして、息苦しさを忘れたふりをする。。。。。。。 電子という観点から、社会と真の自己との関係性を考えてみました。 社会との関係性を考えるとき、原子核ではなく、交渉性のある、しかし、浮気性の電子に注目すべきなんでしょう。共有結合などの場合、それまで自分に属していた電子は相手の核を回ることも可能で、区別はできなくなってしまう。金属の自由電子などは、それまで自分が属していた核が誰であったのかすら忘れて、勝手気ままにどこまでも勝手に金属内を飛び回る(笑い)。 というわけで、このアナロジーにしたがうと、 ~~~~~~  この《核》にかんしては日本は 先進国で大国になる使命を帯びていましょう。  あたらしい社会力学の理論と実践を! ~~~~~~ の社会力学や行動心理学といったものは、核ではなく、電子の理論になると思います。 この手の理論では、見た目の振る舞いは変わるかもしれないけれど、原子核はほとんど変わらないじゃないかと。もっと、核の構造にまで踏み込んだ理論が必要になるのではあるまいかと。 じゃ、核の構造を変えるインパクトのあるものはないか。 電荷を持たない、正負のバイアスのかかっていない中性子や、陽子といった核を構成していたもの、あるいは核を構成しうるものを直接ぶつけるしかないのでは。 でないと、核は分裂したりはしないと思うんですよ。 では、愛はこれになりうるのか。 電荷を持った(プラスのバイアスのかかった)愛だと、原子核に到達する前に電気的な反発力で弾かれてしまいます。この電気的な反発力に打ち勝とうと、光速ちかくにまで加速させてからぶつけると、今度は、核が壊れるどころか、素粒子レベルまでに分解してしまうかもしれない。(他者の)愛といっても所詮は、原子核本来の強い相互作用・核力である自己愛とは異質なもの、他所者ですから。自我そのものや、自我を構成しものそのものが崩壊しかねない。 バイアスのかかっていない中性的な愛、厳しさと優しさを同時に兼ね備えて、結果的にプラスマイナス・ゼロの愛でないと、駄目ということになりますかね。 こうした一連の考察からすると。。。。。。。

bragelonne
質問者

お礼

 お早うございます。ご回答をありがとうございます。  まづ印象つよく入って来たところは 次のふたつです。  (あ)★ こうした空想的な思考  (い)★ バイアスのかかっていない中性的な愛、厳しさと優しさを同時に兼ね備えて、結果的にプラスマイナス・ゼロの愛でないと、駄目ということになりますかね。    ☆ 後者は うまいことおっしゃると思いました。基本的にそうだと思いました。  前者は 考えるに自然科学の認識内容を人文や社会にかかわる現実のことがらに当てはめることが《空想的》なのかと思いますが ですが扱っている内容は じっさいの現実の問題ですので いやそれはおかしいとも思いました。  【1】 愛は 基本的に中性的なふるまいである。  命題(い)にかんしてです。  なぜなら いかにその人が必要としているモノやコトであっても 言ってみれば相手にはたらきかける要素を持つ愛は 大きくは押しつけの部類に入る行為であると思われるからです。  たぶん サマリアの男が隣人となったという事例のように半死半生の状態にある――つまり精神的にもそのような状態にある――場合にこそ 《押しつけ》はゆるされ有効だという見方に片向きます。  ふつうにおこなうボランティアは 相手の了解を取って 押しつけですが受け容れてもらえますか?と確認することさえ大事ではないかと考えます。  【1-1】 ただし言論においては 愛はどういう行為か?  一般に自己表現としては 愛は あくまで対等の立ち場にある二者のあいだで成り立つ。これが命題(い)の基本的な視点だと見ます。  (ゆえにこそ――いいわるいは別にして――新潟の人びとは 往年の政治家 T 氏が批判を浴びることになろうと 恩返しで支持しつづけました。今回の後継者についての選挙結果は もう貸し借りがチャラになっていたのだと受け取られます。へんな形であろうと 対等の立ち場でこそ愛なるほどこしは成り立ちます)。  ただし言論としての自己表現については どういうことになるか?   つまりこの場合は特にはパワ・ハラ行為がおこなわれているといった場面において どういう愛としての自己表現が考えられるか? に集中しています。  【1-2】 やはり《核心》をつくことは 必要ではないか? まづハラスメントの起きる場について。  命題(あ)とも関連するはずですが まづそのハラスメントの起こる場としては 次のように確かに捉えられます。  ★ ~~~~  社会という有機的な結合は、〔表面的な自分としての互いの〕電子の共有化によって成り立っている。表層的・交渉的な自分、電子の共有化などによって、社会という巨大な有機体は成り立っている(笑い)。  でも、それは同時に自己を縛り付けるもの、シガラミともなります。  その中を忙しく飛び回る電子もやがて、シガラミなどに窮屈さを感じます。自由を失っている核は、なおさら孤立化します。  ~~~~~~  このような社会としての具体的な特定の場で起こる問題についてです。  【1-3】 やはり《核心》をつくことは 必要ではないか?  くわしい議論を端折ることがゆるされるならば けっきょくそのパワ・ハラ氏の自由電子にのみうったえかけても あまり効果はない。つまりそのガミガミ氏の原子核にまでとどく表現が欠かせない。となるのではあるまいか。  おそらく飛び回る電子の流れなどを変えようとしたり押さえつけようとしたりしても埒は開かない。核心をついて 自己の核にかかわるような再編成をせまる必要がある。のではあるまいか。    こういう意味での《(い) バイアスのかかっていない中性的な愛》としての自己表現がのぞまれる。こう考えます。  ニュートリノのごとく相手の原子核を通り過ぎてゆく言葉であってよいのではないでしょうか。気づきは おそらく本人の問題だと考えられるからです。そうでなければほんとうの・つまりふつうの核反応は起こらないというようにも見られます。  【1-4】 もし本人の本気の自由電子が ガミガミ電波として飛んで来たときには?  ☆☆(No.2お礼欄) ~~~   ガミガミ中性子を照射するのではなく つまりただしそのように先に能動性の放射能行為があった場合に 例によってアース役は これを自分が巨大な反射鏡のごとき存在となって その能動行為者に向けてガミガミ中性子の撥ね返りを誘導する。ということです。  ~~~~~~~~~~  この場合は ニュートリノのごとくにではなく じっさいに本人の原子核をまで照射することもありうる。こう見られます。カウンターパンチはあり。だと見られます。    【2】 シガラミを部分的にふくむ自由電子の錯綜関係の場としての社会において その縁起過程の逆観は いかに成し遂げるのか?  命題(あ)の空想ということではない理論と実践が問い求められています。という見方から どういう現実の把握と処方箋が得られるか? です。  【2-1】 おそらく灰身滅智としてのニルワーナは要らない。    《さとり》とは何か? という問題なのですが まづニルワーナは要らない。  自由電子を押さえつけることに意味は無く 原子核の自然本性の芯を消滅させることは無用である。よく用いよくそのチカラを発揮させることが肝要である。  シガラミは《苦》ですが――つまり自分のたとえ良いと思われる内容の行為や考えであっても 世間には通らないことがあるし思うようにならないところの苦ですが―― では そこからの覚醒とは いったいどういう事態か?  【2-2】 《さとり》は ボディサトワとしての自己表現にあり それは 動態であり死ぬまでつづく愛(=自己の自治)の過程である。  完全なるさとりを得たと言われるような状態としてのブッダは 要らない。ない。たえず自己生成しているはずである。だから ブッダの神格化は無用である。    原子核の運動としての自己 これを表現して活き動きする存在する人間は 自己自身の自治および社会の共同自治としての《愛》に生きる。これは 一般にボディサトワと呼ばれる。  【2-3】 では ボディサトワの愛とは どういう経験現実か?  さとりが空想でないということは どういう経験行為か?  シガラミが 世の中にただよっているといった認識に終わるものなのか?  その認識を 無明つまり煩悩から明知へ転回するという愛は どういう現実か?   ・【1-4】のカウンターパンチは 愛か? 慈悲か?   ・【1-3】のニュートリノのごとき中性的な愛は 実現可能か?  【2-4】 シガラミに絡まった自由電子をかかえる原子核ないし《自己》は 現実に《自己組織化》しうるか?  パワ・ハラには及ばない《自己》を 人びとは築き得るか?  シガラミを自分たちの共同自治のチカラのもとにおさめうるか?  ★ 自我そのものや、自我を構成するものそのものが崩壊しかねない。  ☆ と たとえ しても ひとは中性子等の照射によって他者に対してその再自己組織化をうながしうるか?  《火の中をくぐり抜けて来た者のように》 たとえ炉心溶融が起きたとしても 自己組織化を果たしておのれのおのれである存在に立ち還るべきか そうでないか?  あたらしい社会力学は いかなる内容として捉えられるか?

その他の回答 (3)

noname#215306
noname#215306
回答No.4

不思議な表現の質問ですね 慈悲?という物だけでは、結果がもたらされても 酷く消極的で(効果は余りにも小さいだろうと)、、 根本的理解・認識(ただし確信・断定という陥りではなく) があり、またその発現の素養が与えられていないと、 自らではなかなか難しいだろうと 理解・認識がないと、、ただ耐える苦しみになるだけだろうと これは実際多くの観察からもそのように感じます > アース役はつらいよの合唱でパワ・ハラを少なくして行けば 経済の安定成長にまでさえつながるのではないか? 人という存在の品種改良?に取り組めば、1つの有効な手段 にはなるかもしれませんけど?、、物理的にも? 現実的ではないでしょうね ただ、私はその辺に付いて、少しは試行しています そうせざるを得ないという状況で 無限に壮大な経緯の中で、充満の天界という存在は、 あらゆる可能な限りの表現を望んでいるようで、、 私達の現在・社会の様々も、それはそれで在るべきに在り という事ではあるようなのですが、、ただし、人には 在るべきに在りという状況に、変化を与える能力・方法 は与えられてはいるようなのですけど、残念な事に 人はそれを理解出来ず、関心を持てない意識体を 与えられているようです なので、更にそれを超える方法が求められるのですが、 これはかなり慎重さが求められるだろうと感じます

bragelonne
質問者

お礼

 みよんよんさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。  ★ ~~~  理解・認識がないと、、ただ耐える苦しみになるだけだろうと  これは実際多くの観察からもそのように感じます  ~~~~~~  ☆ おっしゃるようにこの不条理な事態を打開したい。  また ガミガミ電波は けっきょくおのれの心の中におさまり切らない〔ほとんどつねに根拠のない逆恨みのごとき〕憤慨をみづからの意識にのぼせてこの意識をアース役に向けて排泄する。だけのことです。  この勝手な振る舞いをみんなで思想的にも――あるいは例のクウキを逆用して――無害なかたちでアース(廃棄処分)させたい。  これが 出発点です。  ★ ~~~~  ただ、私はその辺に付いて、少しは試行しています  そうせざるを得ないという状況で  ~~~~~~  ☆ とおっしゃる事態が 出発点です。  アース役はつらいよとは 意識のウン子をばら撒き散らすなということです。  おそらくまじめなアース役は これからもその〔中間職として板挟みのガミガミ人なる〕人を――その意識がなくても――守ろうとし延いては社会をささえつづけるでしょう。  けれども これを放っておく手はないでしょう。  おそらく社会的動物であり互いに関係性があるという一生物としては 連帯責任を 単に消極的に負わざるを得ないなどというのではなく そうではなく 積極的にそれがむしろわれにもありと言って主張して行ってもよいのではないでしょうか。  もし言うとすれば これが ブッダター(仏性)です。葬式仏教に批判的である人も これには うなづく場合が多いはずです。  ★ ~~~~~    > アース役はつらいよの合唱でパワ・ハラを少なくして行けば    経済の安定成長にまでさえつながるのではないか?  人という存在の品種改良?に取り組めば、1つの有効な手段  にはなるかもしれませんけど?、、物理的にも?  現実的ではないでしょうね  ~~~~~~~~~  ☆ なぜでしょう? なぜ現実的ではないのでしょう?  二言目には 仏性とか慈悲だとかというくせに その思想を具体的に現実化しようとすると それには待ったがかかるのでしょうか? ブディズムは ただただあたまの中だけの現実離れした阿呆な思想であってこそ ありがたいのでしょうか? ただ看板をかかげているだけにしておかねばならないのでしょうか?  おかしかありませんか?  何も《人間の品種改良》など要りません。ただひとこと《アース役》という言葉を知り自覚するだけです。 その電波は 意識の排泄なのだと知り心に省みるだけです。おカネも一銭もかかりません。  人びとのあたまのモヤモヤが取れたら 経済活動についても元気になるでしょう。  社会生活の全般において その余裕が出れば互いにたすけあって行けましょう。  ★ ~~~~~  ただし、人には  在るべきに在りという状況に、変化を与える能力・方法  は与えられてはいるようなのですけど、残念な事に  人はそれを理解出来ず、関心を持てない意識体を  与えられているようです  ~~~~~~~  ☆ いえ。《関心を持てない意識体》であっても まづはすでに《理解でき》たはずです。  《アース役》なる造語も そろそろあんがい浸透して来たようです。  ガミガミ電波をうけたときには    ただいまわたしの中でミラーニューロン活動中  と言えばよいだけです。往来での小便は無用と言えばよいだけです。  《人という存在》は すでにじゅうぶん《品種改良》しあって来ています。機は熟しているのではありませんか? 災害によってさえ促されているのではありませんか? 国家の財政状態によっても構造的に人びとは促されているのでは? ときは来たりではありませんか?  ★ これはかなり慎重さが求められるだろうと感じます  ☆ たしかにたとえば《生体電気信号》などという現象について――つまりガミガミ電波について―― 科学的にきちんと実証することも必要です。ですが パワ・ハラという事態については すでに一般にみとめられています。ですから 両方で――つまり科学的な検証とすでに社会思潮としてもすすめることとの両方で―― 推し進めて行ってもだいじょうぶなのではないでしょうか?  すでに一方では 無縁社会というような言い方もされています。  ですが 慈悲は 同情をさそってたすけあう段階(衆生慈悲)とオシエをとおして啓蒙する段階(法縁慈悲)とそして 何の因縁もなく見ず知らずの人であっても ブッダターの発現によって 元気かい? と声をかけあう段階(無縁慈悲)があります。  つまり まさにどんぴしゃり 無縁慈悲が要請されています。よね?  まづは日本から住みよい社会に成って行っても バチはあたらないでしょう。ですよね?  たぶん世界広しと言えども この使命を帯びているのは 日本人くらいでしょう。  幸か不幸か 日本人の存在様式としては 家族のあいだがらさえ崩壊している場合があります。言いかえると ほかの国の社会の実存情況としては まだまだ家族や身内のあいだの衆生慈悲としてのたすけあいという段階がつよい。公共性よりも身内性がつよい。その点 日本人社会は よい意味でも(つまり公共性なる観念がないわけではない)わるい意味でも(その公共性をになうアマテラス公民は ついに自信をなくし(?)スサノヲ市民も中でもそれに悪態をつくだけの姿を呈している(?)) 先進的であります。・・・  ★ 不思議な表現の質問で  ☆ しょう?  維新とか立ち上がれ日本とか言ってますけど。・・・

回答No.2

あっ、思いついた。やっぱ、眠り猫は、根っからの理系人間だな(ポリポリ)。 【ガミガミ中性子高速増殖炉理論】 原子炉で発電に使えるウランはウラン235なのですが、天然ウランの殆どはウラン238なんですよ。そして、このウラン238は、そのままでは原子炉の燃料には使えない。 じゃぁどうするか。 ウラン235が核分裂した際に発生する中性子を、ウラン238にぶつけて、原子炉の燃料になるプルトニウムに変えればよい。 発電をしながら、燃料を新たに作ることができる。 すごくいいアイデアじゃんということで始められたのが、高速増殖炉・《もんじゅ》!! これを人に応用すれば、いいんですよ。 上司は、多くの人の前で、有能な部下にガミガミ中性子を浴びせる。 有能な部下は、たまらず自己分裂し、中性子を放出。 その中性子を浴びて、それまで使えなかった部下が、恐怖心から有用な部下(しかし、プルトニウム同様に扱いは難しいかも。その毒性は、元の有能な部下よりもずっと強いに違いない!!)に変化。 でも、これは高速増殖炉《もんじゅ》同様に、非常に危険な理論。 使える燃料(部下)は増え、会社や社会にとっては有用な理論かもしれないけれど、人間軽視の思想。基本的に見せしめの理論ですから。 【ガミガミ・レーザー核融合理論】 一人の人間を多数の人間で取り囲み、いっせいに高出力のガミガミ・レーザービームを照射して、核融合・自己変革を起こさせる理論。 これは洗脳、マインドコントロールだな。カルトの手法なので、没。 毒性の強いプルトニウム型の人間を混ぜて使うという、プルサーマル方式も結構危なそうだし、こうやって考えてみると、原子力に関わる理論を人に応用するのは、結構、無理があるのかもしれませんね。 放射性物質の処理と言っても、基本的に、濃縮や移し替えですし。しかも、その処理によって、低レベルといえ、新たな放射性物質を大量に作りつづけることになるので。 未だ、人間は、原子力エネルギーを安全に使える段階には達していないというところでしょうか。

bragelonne
質問者

お礼

 つづいてです。  ううーむ。No.1のお礼欄を書いてから このNo.2を読みましたが やはり難問は難問であるようですね。  ★ 【ガミガミ中性子高速増殖炉理論】  ☆ これは 世に言うモーレツ社員の増殖理論のようです。  出発点が はたらきかけるチカラかそれとも受け身のチカラかで 異なって来るのではないでしょうか?  受け身のチカラというのは 弁証法過程として言えば否定の否定ですから もとの姿に立ち帰ることが出来るし そのことを目指すかたちである。だから 積極的に問い求めてもよいのだと考えます。  ★ 【ガミガミ・レーザー核融合理論】 ~~~  一人の人間を多数の人間で取り囲み、いっせいに高出力のガミガミ・レーザービームを照射して、核融合・自己変革を起こさせる理論。  これは洗脳、マインドコントロールだな。カルトの手法なので、没。  ~~~~~~~~~~~~~  ☆ これなどもまさに高度成長の過程で 一部であっても 歴史的に《実践応用》がなされました。  S 学会がそれで 或る程度成功したと来ていますから――アマテラス公民になって政権与党になるまでにアマアガリを果たしていますから―― これの自己解体と再生のしごとは なまやさしくはないでしょう。  核融合にみちびくなら ほんとうに炉心溶融してしまうかも分からないとさえ思われます。  いまひとつヒラメキました。  ガミガミ中性子を照射するのではなく つまりただしそのように先に能動性の放射能行為があった場合に 例によってアース役は これを自分が巨大な反射鏡のごとき存在となって その能動行為者に向けてガミガミ中性子の撥ね返りを誘導する。ということです。  あとは ガミガミ放射能人が 自分の内面においてすべてを処理する。自己の前史を整理しあたらしい後史に入る。  このときアース役はまさに触媒としてあるだけであって 自分は何ら変化しない。ミラーニューロンというようなハタラキが起こったかも知れません。それによってこそ《反射鏡》の役割りを果たすことが出来たということかも分かりません。  これは あれですね 合気道のようなわざでしょうか。そのようにも思われます。  こういう談義をもう少しつづけて行ってもよいようですね。何らかの理論に到るかも分かりません。

回答No.1

こんにちはです。 よもや哲学カテで原子核の反応について語ることになるとは(笑い)。 さてさて、話を円滑に進めるために、 まずは、核分裂と核融合について簡単な説明から始めます。 ☆☆☆☆☆☆ 【核分裂】 核分裂の代表例は、原子炉などで使われるウランの核分裂なので、ウラン235を例に説明します。 ウラン235 + 遅い中性子 → X + Y + 2~3個の中性子 + エネルギー ウラン235に遅い中性子が衝突すると、ウラン235の原子核がX(たとえばクリプトンやイットリウム)とY(バリウムやヨウ素)に分裂し、その際、2~3個の中性子と膨大なエネルギーを放出します。で、原子炉などでは、核分裂の際に放出された中性子がさらに燃料であるウラン235に衝突し、核分裂の連鎖反応が起こります。 なのですが、原子炉などで核分裂に使える中性子は速度の遅い中性子なので、核分裂の際に発生した高速度の中性子を水や黒鉛などの減速剤を使って、減速させま~す。この減速された中性子を熱中性子と呼んだりもします。 【核融合】 核融合の代表例は、重水素D(原子核が陽子1個と中性子1個の水素原子)とトリウムT(原子核が陽子1個と中性子2個の水素)の核融合なので、これを元に説明します。 D + T → ヘリウム(陽子2個と中性子2個) + 中性子 + エネルギー 重水素DとトリウムTが衝突すると、それぞれの原子核が融合し、ヘリウムに変化します。この時、左辺の中性子の数は3、ヘリウムの中性子の数は2なので、余った中性子が放出されま~す。 なのですが、プラスとプラスの電荷を持っているわけですから、原子核が一人で勝手に融合するはずがありません。電気的な反発力に打ち勝つだけの高いエネルギーをDとTに与えないと、この核融合反応は起こりません。なので、温度を非常に高くして(熱で運動を活発にさせるため)、原子が電子と原子核に分かれるプラズマ状態にして、その熱運動で核融合をさせて、発電に利用しようと、人類は目論んでいます。 しか~し、これには立ちはだかる大きな問題が一つありま~す。 DやTをプラズマ状態にまで高温にすると、核融合炉その物がその熱で溶けてしまう。 じゃっ、どうすればよいのか。強い磁場、磁石の力で、プラズマを閉じ込めてしまおう!! 電荷を持ったものは、磁場でその運動をコントロールができるので。 申し遅れましたが、核分裂や核融合でエネルギーが発生するのは、その反応の前と比較して反応後の質量が減るためで、その質量の減少分がエネルギーに変わるためです。 発生エネルギー = 減った質量 × 光速 × 光速 で計算できます。 有名なE = mc^2(エム・シー2乗)ですよ。 ☆☆☆☆☆☆ さて、本題。 理性や自制心と言った強い相互作用を持つ自己を(核)分裂をさせるためには、ガミガミ電波ではなく、ガミガミ中性子(電気的にプラス・マイナスゼロ。これは中性・中立でなければ)が必要です。 そして、このガミガミ中性子が部下や他人の自己という核に運良く衝突すると、分裂を誘発することができます。 しか~し、この分裂は非常に危険です。強い放射能やエネルギーをまき散らし、他の人間に被害を及ぼしますから。おそらく、これが《キレる》という現象です。なので、これは非常に危険です。 しかし、毒も使いようによっては薬となります。それと同じように、この自己分裂エネルギーをうまく使えばいいんですよ。 他者に向かうはずであった自己分裂エネルギーを、その本人に還流させる。そして、その膨大なエネルギーで、分裂した自己や、それまで他の原子核と融合しなかったアイデアや考えをプラズマ状態にさせて、熱運動で新しい自己を構成させま~す。 しかし、プラズマは高温なので、そのままでは自分を傷つけてしまう恐れがあります。 そこで、その人を取り巻く周囲の人たちが、思いやりや愛情、ときには暖かく黙って見守るという行為などの強くて強固な磁石の力によって、その危険な状態のプラズマを閉じ込めてあげます。そして、安全な状態で自己や新しい考え、アイデアといった核融合を起こさせてあげる。 というわけで、アース役は、その人を取り巻く同僚や友人、家族。 核融合を行う本人は、パトス的な状態で、新しい自己や考え、アイデアを構成できる。 なんて、如何がでしょう(笑い)。 ガミガミ中性子は、自己分裂→自己融合のトリガーにはなれるでしょうが、これだけでは駄目なんじゃないでしょうか。

bragelonne
質問者

お礼

 まるで ねこさんに振るために考えついた質問だったみたい。  こんにちは。まづはご回答をありがとうございます。  高温のプラズマを閉じ込めるためにアース役を初めとするまわりのあたたかい磁力が欠かせないのだと。  できそうですが まだむつかしいようにも感じました。  というのも あたかもプロジェクト・チームをつくって その核分裂反応を起こす一定期間だけでも協力しあい緊密な連携プレーが必要であるようです。  またゴミ処理と言いますか 前史〔の自己〕の清浄化工程というのは アース役がやるのではなく パワ・ハラの本人がおこなうのですか。  これは 基本的に言ってうなづけます。精神のシガラミは すべて本人の問題だと考えられます。  ただしアース役も 何らかの影響を受けると思いますので そのへんはどうなっているか。これは気になります。  それとも アース役は たぶんそういう比喩でよいのだと思いますが 触媒のごとくであって 自分は何ら変化を起こすものではない。ということでしょうか?    でも アース役は たいへんですよね。単純に考えてみて ハラスメントについてその行為を――心の中でにしろ――批判し叱責し非難しつつも 相手の人間という存在についてはこれを受け留めている。ので かなりの困難な作業をともなっていると思われます。  受け留めるチカラを発揮していると思います。  そうしますと それこそが 高温のプラズマを閉じ込めることが出来ずに 否が応でもともかくそれをかぶっている。ということが起こるのかも知れません。強い放射能をまき散らすプラズマを分かち合っているのかも分かりません。《キレタ》ときにも 何らかのかたちで庇ってやっていることもあるかに思われます。  ★ ~~~~~~~~  そして、このガミガミ中性子が部下や他人の自己という核に運良く衝突すると、分裂を誘発することができます。  しか~し、この分裂は非常に危険です。強い放射能やエネルギーをまき散らし、他の人間に被害を及ぼしますから。おそらく、これが《キレる》という現象です。なので、これは非常に危険です。  ~~~~~~~~~  ☆ わたしの自己はけっして《ガミガミ》ではないと思っていますが――知のあり方としてまさに中性的であると思っていますが―― 相手にとってはこのガミガミ中性子となって受け取られ相手の自己という核に衝突する場合がなきにしもあらず。というより 哲学としての問答は むしろつねにそういうかたちでやり取りをしているとさえ考えられます。  的をはづすということは そういう必要があって意図的にする以外には ないようにしているのが ふつうですから。まさにお互いに自己の核から発出し相手の自己の核へと届けられるのが ふつうなのだと思います。  ううーん。おもしろいようで こわいようで。    どうなんでしょう。けっきょく放出されるエネルギーを閉じ込め自己の清浄化ないしゴミ処理として正常にはたらくようにさせるのは こうなるとやっぱりアース役〔や周りの人たち〕がいわば原子炉のごとくになる必要がある。ということでしょうか?  いや まだ分かりません。まだわたしに整理がついていないかも分かりません。  この問題できちんとした方程式が分かって来るなら いわば ねむりねこの定理になるでしょうね。わたしは きっかけとしてのアシストで 名前が入れてもらえるかどうか。・・・  核分裂は ふと出会う人というような場合にあてはまり 生活日常では 核融合の場合のほうが当てはまるのではないかとも思われます。  しかしそれにしても だれがこんなことを考え出したのでしょう。  わたしは ふつうに質疑応答をしていて その流れに乗って必然性のごとく表現を打ち出しただけですから。  ★ ~~~~~~~~  しかし、プラズマは高温なので、そのままでは自分を傷つけてしまう恐れがあります。  そこで、その人を取り巻く周囲の人たちが、思いやりや愛情、ときには暖かく黙って見守るという行為などの強くて強固な磁石の力によって、その危険な状態のプラズマを閉じ込めてあげます。そして、安全な状態で自己や新しい考え、アイデアといった核融合を起こさせてあげる。  というわけで、アース役は、その人を取り巻く同僚や友人、家族。  核融合を行う本人は、パトス的な状態で、新しい自己や考え、アイデアを構成できる。  ~~~~~~~~~~~  ☆ ハラスメント人間に対しては そのハラスメントが始まりそうになったときには このような核融合反応が待っていますよと言ってやればよいのかも。それだけで効果があるようにも思われます。  この《核》にかんしては日本は 先進国で大国になる使命を帯びていましょう。  あたらしい社会力学の理論と実践を!  おあとがよろしいようで。(あと一度ふたたびのご投稿で締めてくださいませ)。