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国政選挙で国を変えることはできますか。
昭和時代以降の選挙で、国の進むべき方向が決まったとか、国の方針が大きく変わったとか、○年の選挙は特に大きな意味があったとか、の例を教えて下さい。 昭和3年の第16回衆議院議員総選挙は最初の男子普通選挙ですが、普通選挙ゆえに何かをもたらしたと思うのですが、よく分かりません。何かありますか。 なお、小泉政権の「郵政民営化選挙」は除きます。 よろしくお願いします。
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それまでは立憲政友会が国会と内閣を牛耳っていたのです。それが憲政会に政権交代しました。国民が政友会政治に嫌気が差し、改革を求めたのです。 憲政会政権によって普通選挙が決定されました。同時に治安維持法が制定されたのです。 政治改革を求め男子による自由選挙制度ができたけど、言論の自由を失ったのです。
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前回の衆議院選挙じゃないでしょうか。結果的に民主党はとても与党として責任果たしたと言えないでしょうけど、政権交代を選挙でするという意義は国民の意識として少し進んだのでは。 衆議院と参議院でねじれて意思決定をできない制度をどうするかですね。 小泉政権の郵政選挙は私はそんなに国の行く末をかえてないと思いますよ。最近の政治では小泉政権は頑張ったとは思いますが、そもそも日本の政治制度ではそんなにおおきな政治改革はできません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 前回の総選挙で<政権交代を選挙でするという意義は国民の意識として少し進んだのでは>とのご意見ですが、「少し進んだ」という点において、確かにそのとおりだと思います。 郵政選挙を除外するとしたのは、この程度の結果であれば「除外」するという意味です。 >衆議院と参議院でねじれて意思決定をできない制度をどうするかですね。 そうですよね。 衆議院で可決され、参議院で否決された場合は、三日以内に同時に両院を開いて国会議員総数の過半数で決めるとか、なんとかしてほしいものです。
- tanuki4u
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No2のおまけ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E5%8B%99%E5%A4%A7%E8%87%A3_(%E6%97%A5%E6%9C%AC) 警察・土木・衛生・地方自治などを管掌した。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%9F%E5%AE%98%E5%88%B6 日本においては第二次世界大戦前には内務省及び同省が任命した府県知事や警察署長が警察を用いた公然・非公然の選挙干渉をしばしば行った。 それぞれ引用
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 「猟官制」は参考になりました。 アメリカは、今でも大統領が変わると省庁のトップクラスが入れ替わりますが(テレビで観た程度の知識ですが)、日本でもそんなことをした時代があったのですね。
- rabirabi88
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2009年の選挙が特に大きいのでは? 選挙に勝った民主党は日本の国力を削ぐことに全力を尽くしました。 その結果、経済、外交で日本は大きく力を落としました。 副産物としては、その前と後では国民の意識に大きな違いができました。 今では、選挙では国は変わらない、だれが首相になっても同じ、誰が政治家になっても同じ、などという馬鹿が激減したことですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >副産物としては、その前と後では国民の意識に大きな違いができました。 なるほど、前回の総選挙、こういう見方もありますね。
- izuhara
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通観する限り、そこまで大きく方向性を左右するような意義を持った選挙は見当たりません。 右派だろうが左派だろうがある程度の議席を獲得する政党には、国の方向性を大きく転換させるような特色はありません。所詮政争とはコップの中の嵐です。 第16回衆議院議員総選挙にしても、立憲政友会と立憲民政党が大半を占める結果となっており、それ以前・それ以後と大差ありません。 ワンマン会社などと違って、現在の日本の政治は政党による制約があり、個人の主導力が大きく発揮できる構造ではありませんので、既存政党が議席の大半を占める限り、選挙で国が変わることは滅多にないでしょう。その点、小泉さんはうまくやっていましたね。是非は別として。 これまでの歴史を見て思うのは、国が変わるには強烈なカリスマを持つ指導者と、そのカリスマが発揮できる基盤が必要だということです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >通観する限り、そこまで大きく方向性を左右するような意義を持った選挙は見当たりません。 やはり、国政の方向を大きく変えた、そんな選挙はありませんか。 >既存政党が議席の大半を占める限り、選挙で国が変わることは滅多にないでしょう。 細川護煕の日本新党も、そういえば、あまり変化がなかったような気がします。
- tanuki4u
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1924年1月7日 清浦内閣 1924年1月31日 第15回総選挙 1924年(大正13年)6月11日 加藤内閣 1926年(大正15年)1月30日 若槻内閣 1927年4月20日 田中義一内閣発足 1928年(昭和3年)1月21日 第16回総選挙 解散日 1929年7月2日 濱口内閣発足 1930年1月21日 第17回総選挙 1931年(昭和6年)4月14日 若槻(濱口の病状悪化を受け) 1931年(昭和6年)12月13日 犬養 1932年1月21日 第18回選挙 解散日 この辺の時代は現代と違って、議院内閣制ではないので、選挙によって内閣が(政治の方針が)変わるということはない。 首相が天皇から指名を受けて、現状の議会と調整する(あるいは、談合する)うまくいかないと「自派勢力を拡大する」ために、解散する。 解散しても議会の構成が変わらないと、首相は政権を投げ出す。 → 第15回総選挙の清浦内閣とかね あるいは、多数派を取るために解散成功 → 第18回 若槻(憲政会系)から犬養(政友会系)になってから、政友会を多数派にするために解散 第16回に関して言えば、国民は憲政会系の緊縮財政でも政友会系の積極財政でもどっちつかずの判断をした、なんて感じです。 ※ 政権を握っている勢力が内務大臣を出すので、選挙で強かったそうです
お礼
ご回答ありがとうございます。 <この辺の時代は現代と違って、議院内閣制ではない>と、言われて気づきました。 「元老」という憲法外の制度が首相を推薦するのでしたね。 そこで <選挙によって内閣が(政治の方針が)変わるということはない>ということになりますね。 よく解りました。 >政権を握っている勢力が内務大臣を出すので、選挙で強かったそうです 第一回普選では度が過ぎた選挙干渉の責任をとって鈴木喜三郎内相が辞任した、と調べてみて分かりました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 気楽に質問しましたが、ことは「政治史」の範疇に入るようで、私の手に負えないようです。 憲政会も政友会もピンときませんので、慌てています。 >憲政会政権によって普通選挙が決定されました。 >同時に治安維持法が制定されたのです。 >政治改革を求め男子による自由選挙制度ができたけど、言論の自由を失ったのです。 「あめとむち」だったのですね。 原敬は、普選は時期尚早という立場だったと、調べてみて知りました。 もう少し勉強します。