- 締切済み
織田軍の前に逃げ出した長尾喜平次(上杉景勝)
織田軍の前に逃げ出した長尾喜平次(上杉景勝)を知っていますか? ??????????? 織田軍の前に逃げ出した長尾喜平次(上杉景勝)を知っていますか? 以下、訳を載せます。原文とは多少違います。信長公記巻十四天正九年 馬揃の後の3月6日、神保長住・佐々成政及び越中国衆が上国の途についた。 これにより加賀・越前・越中三ヶ国の大名衆が馬揃のために在京することと なったが、ここで変事が起こった。敵方の河田豊前がこの隙に兵を催し、 郷の刀を作ることで知られる松倉(16)という地に籠り、さらに才略をもって 越後より長尾喜平次(上杉景勝)を大将に招いて一軍を形成したのである。 そして3月9日に佐々成政が人数を入れ置いていた小出城(17)を包囲したの だった。 3月15日の朝、信長公は安土城下松原町の馬場で馬を責めた。このとき 越中衆が顔をそろえて御礼に訪れたが、信長公はその者たちへかたじけなく も一々言葉をかけてやった。しかし上杉景勝が越中へ侵入して小出城を 取り巻いたとの報がもたらされると、信長公はただちに「越前衆の不破・ 前田・原・金森・柴田勝家の人数は、先手として時日を移さず出陣すべし」 と命じ、彼らに暇を出したのだった。軍勢はこののち夜を日に接いで行軍し、 越中に入って着陣した。 そして3月24日になり、佐々成政は神通川・六道寺川を越えて越中中郡(19)の うちの中田という地へ入った。すると上方の軍勢が参着したと知った 敵勢の長尾喜平次(上杉景勝)・河田豊前は同日卯刻に陣払いをはじめ、 小出表から兵を引き上げていった。その退陣の火の手を三里ほど先に見た 佐々勢はただちに常願寺川・小出川を越えて追撃にかかったが、すでに 敵勢は全軍撤退を終えており戦果は挙がらなかった。しかしこれにより 小出籠城の兵は運を開いたのだった。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
みんなの回答
- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1963/11745)
知ってますけど 笑 こんなの小学校で習うでしょ 笑