• 締切済み

武装解除せよ!

スレッドを開いて頂きありがとうございます。 今から皆様に問いたいのは、次のような事です。 囚人のジレンマという言葉がありますよね。互いに協力すれば双方恩恵を受けられるのに、一方(あるいは双方)が相手を信用しないで、相手を訝しがってしまう。結果、お互いの気分が悪くなってしまう。 これって、都会における私たちの日常生活に当てはまりませんか? 電車の中で初対面の人とちょっと話しただけで、周囲の非常に訝し気な視線を集める… 牛丼屋で店員さんとマニュアル以外の会話をすると、向かいの客がそろってこちらの顔をジッと凝視してくる… 見知らぬ他者には、絶対にうわべだけの関係を越えないような態度で接する… 都会人が他者によそよそしいのは、都会人は他者に無関心だから、という意見がありますが私はそうは考えません。明らかにあの視線は、他者を疑うものでしょう。 この平和な日本で、他者を疑いながら生活しても神経をすり減らすだけでメリットは無いと思います。 ヤマアラシのジレンマという言葉もありますよね。お互い近づきたいけど、近づけないという。 本当はみんな、もっと他者とフランクに接したいのではないですか?それとも、あの無意味にピリピリした空気を、本当に好き好んでいるのですか? 面白い回答お待ちしております!

みんなの回答

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.9

Ano.7です。 「本当に「平和」であれば、武装解除にも応じ易い」という意味です。 「無意味にピリピリは達観」というのは、「お互い、ヤマアラシであれば、止むを得ない」という感じですかね。

foosun
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 平和じゃないんでしょうかねえ… でもたしかに世の中の4割くらいの人は傲慢だと思います。気のきく人もたくさん居ますけどね。

  • yasuto07
  • ベストアンサー率12% (1344/10625)
回答No.8

質問が面白いよね、昔トムキャットの歌に、レィディ武装解除せよ、素直な心で、いてくれ、みたいな歌がありました。 今でも、完全無欠のロックンローラー、好きなんです。 まずは、あなたから、始めて、いつも、仙人のようなお顔でいれば、相手にも伝わるのでは、それが、可能な心理状態なら、 いつも、平静で朗らかにいてください。 私は特養で、ケアマネしています。始めてあったかなりいっちゃってる、自分の名前も、わからず、ここはどこの人に、 思わず言われた言葉、あんた人が良さそうだね、認知症でも、わかるんです。私に笑顔は、でも、勤務者には、名に、その顔は、やる気のない力が抜けた、間抜けがお、だと。 所詮世の中はこんなもんでは、この違いをあなたにもわかって欲しくて、マヌケタシツモンニ真面目に答えています、さあ、朗らかに笑いましょう、、、、、。でも誰に向けて?。不倫したいと思う女性に、コンビニの店員に、息子や妻に。 誰に、わかってもらえたら、嬉しいですか?。大都会の見知らぬ店員に、、、。本当に、心がキオイモノニシカ伝わらないのでは、意味わかるかな。あなたは、清い人間ですか、誰にでも、隠さず魅せられますか?、仙人の道を目指しましょう。 ドラゴンボールへの道は険しく遠いものです。

foosun
質問者

お礼

僕が言いたいのはそんな仰々しいことじゃないですよw仙人なんてハードル高すぎです でも目標は高い方がいいかもしれませんね 回答ありがとうございました!

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.7

「無意味にピリピリ」は、達観と思います。 「他者を疑う」は、実は、自分を疑っていると思います。 (心理的に、「あらゆる攻撃は、「SOS」である」) (仰る通り、)メリットは、ありません。 問題は、本当に「平和」なのかどうか?でしょうか?

foosun
質問者

お礼

どういう意味でしょうか

回答No.6

囚人のジレンマと実社会の大きく違うところは、 囚人のジレンマは、単発的なイベントであるのに対し、 実社会では、イベントが連続的に生起する点です。 たとえば、『自分一人ぐらいゴミを捨てても大した事ない』 と考えてゴミを捨てても、その場は確かに「大した事ない」 かも知れないが、皆んなそう考えれば、世の中ゴミだらけ になり皆んな不快な思いをする、という話で。 「捨てても誰かが掃除するから大丈夫。捨てたもん勝ち」 という考えもあるが、そうして「捨てた者が楽をし、拾う者 (社会性の高い者)が損をする」状況では、社会全体が 劣化し、あるいは公的に清掃すると社会コストがかさみ、 全体として淘汰されるものとなります。 そもそも日本は、集約農法のジャポニカ米稲作農耕文化の 集団主義、固定的コミュニティの島国文化の日和見主義 により、高い協調性を有しており、それが近代工業化に おいて威力を発揮したのです。 ところが、戦後教育の点取り競争と高度経済成長での核 家族化による地域コミュニティの希薄化による世代間伝承 の劣化、さらにトドメを刺した小泉アメリカ傀儡政権による 労働者派遣法による終身雇用&年功序列の家族的経営 の崩壊という一連の“日本文化骨抜き作戦(by米国)”は 大成功をおさめて、自己チュー化の真っ盛りなのです。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.5

”本当はみんな、もっと他者とフランクに接したいのではないですか?  それとも、あの無意味にピリピリした空気を、本当に好き好んでいるのですか?”      ↑ 本当は、無関係の第三者と気楽に接することが できたらなあ、と思っています。 しかし、警戒心がそれを許しません。 これが田舎で、皆が顔見知りのような社会ならそれが 可能でしょう。 しかし都会は違います。 隣に座っている人間が、凶悪な犯罪者かも知れないのです。 精神異常者かも知れません。 暴力はともかく、精神に異常がある人は、1/20 の 確率で存在しているという話もあります。 へんに話しかけて、それでいきなり、てことにもなりかねません。 それが都会です。 電車内でおかしなやつに絡まれて困っているひとを 何回も目撃した私としては、ぴりぴりした空気を愛するしか 無いのです。

foosun
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 たしかにプライドだけ高いおっさんとか、多いですよねー。

noname#181697
noname#181697
回答No.4

警戒心というものに理解を示せば良いと思うんですよ。私なんかは無防備な人を見ると、そんなんで大丈夫か?と心配になります。よそよそしさは警戒心のあらわれだと思えば、いちいち他人の心配をしなくて良い訳ですから、私としては安心しますね。 世の中は良い奴も悪い奴もごった煮状態で、誰との関係を断ち、誰に心を開くべきか、分かったものではありません。でも、そんな世の中だからこそ、心を許せる仲間との出会いが貴重になる訳ですよ。 まあ、都会で過ごすメリットには、近所付き合いの面倒が無いから、比較的自由になる時間が増えるというのもあるので、あまり神経質にならずにシティライフ(笑)を楽しめば良いのではないでしょうか。 あと、牛丼屋の向かいの客は、単に「オレ様がメシ食ってん時にベラベラくっちゃべってんじゃねー」とか「オレが貧困と孤独に耐えているのが分からねーのか、空気読めや」とかの、スゲー身勝手な事を考えていただけかも知れません。何せ、都会には変なのも多いですから。

foosun
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なるほどー。たしかに無防備というのも、問題ありですよね。 ただ、防備はありつつフランクに振る舞うこともできるような。関西人とか。

回答No.3

貴方が他人の反応に過剰反応しているだけではないですか。 第三者の他人が何を思おうと、何を感じようと、どんな視線を投げかけようと、貴方は貴方の好きなように貴方の対面の人間に話しかけてもよいし、話しかけなくても良い。 それだけ。 ヤマアラシは登場しなくても良い。 何か問題ありますか?

foosun
質問者

お礼

モクゾウさんがおっしゃる事も一理あると思います。 しかし、全ての問題を「人それぞれ」で済ませようとするモクゾウさんの主張はいささか乱暴であるように感じます。 回答ありがとうございました。

  • wiz0621
  • ベストアンサー率42% (182/430)
回答No.2

そんなことより牛丼屋はもっと殺伐としているべき場所で、Uの字テーブルの 向かいに座った奴といつケンカが始まってもおかしくない、 刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーかなと思います。 さあ言いたいことは終わったので以下は蛇足ですが、 囚人のジレンマが何を言っているのかというと、協力を選択した場合に他方が損をする場合は、 何を選択しても相手を裏切ることになるよ、というたとえ話です。 どういうことか。 ゲーム理論にのっとって牛丼屋のジレンマを再構築すると・・・・ ・誰も牛丼屋の店員と話さなければ、提供スピードは30秒だ。 ・牛丼屋の店員と話した人は気分が良くなる。(おまけで提供スピードも30秒より早くなるかもしれない。) ・牛丼屋の店員と話した分、店員は拘束されるため、もし全員が話しかければ60秒後に提供される。 さあ、この場合協力して双方恩恵を得られる最適解は?というのが囚人のジレンマ。 当然「協力」を正解とおく考え方では、取るべき行動は 「牛丼屋で店員さんとマニュアル以外の会話をする不心得者をにらみつける」 なのです。もちろん現実にはにらみつけるという穏健な方法に留まらず 牛丼屋という戦場においては、もはや刺されても文句は言えないでしょう。 協力すればうまくいく、と言えば聞こえはいいのですが、 人間の愚かさであるとか、不信であるとか、そういったものの外側として 自分が協力を選択しても、裏切りを選択しても、どちらの場合でも 相手を裏切ってしまうという話なのです。 一方で、「利」はいずこにあるか。ここが重要です。 私が牛丼屋を利用するのは、他の戦士達と同様、スピードを重視しているわけです。 そして他方、例外的にごくわずかな、少数の特殊な人が丸腰で戦場に迷い込んだとして、 店員との会話を重視するかもしれない。 この場合、前者との間で利は相反し、分配が最適化できなくなります。 つまり、社会において、利が一致するとは限らないのです。 この場合の分配方法の最適化が、囚人のジレンマを分析したゲーム理論などの経済理論なわけです。

foosun
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 もちろん込んでるときに世間話はしませんw

noname#194996
noname#194996
回答No.1

>見知らぬ他者には、絶対にうわべだけの関係を越えないような態度で接する… なぜなのか? 理由はいくつかありますが一般的には、 一番無難な結果が得られる。 ではないでしょうか。 行きずりの人間同士が必要以上に友愛を交換するのは無駄以外のものではない。 という経済的な合理性をみんなが心得ているということだと私は思います。 時は金なり。みんなが自分の時間の中で無難に、効率的にすごしたいと思っている。 それを破ろうとしている異端者を見ると、好奇心が涌く。 なぜ彼はことさらに無用な行為を始めたのか? 無関係な人間に近づこうとしているのか? ひょっとして不純な動悸があるのではないだろうか?きっとそうだ! そんないぶかしげな視線なのでしょう。そして、 そんな異端者はうっとおしい。 今のわれわれの平安を勝手に破ってもらいたくはない。 更には 彼だけにいい思いをさせたくはない。 そんな気分なのでしょう。 >この平和な日本で、他者を疑いながら生活しても神経をすり減らすだけでメリットは無いと思います。 基本的に貴方の考えに賛成します。 しかし、今の日本人にすぐそういったラテン的なコミュニケーションの雰囲気を要求しても無理でしょう。 >はみんな、もっと他者とフランクに接したいのではないですか? 多分それは当たっていると思います。でもそのためにはもっと時間が必要だと思います。 日本人は基本的にシャイな民族です。自信がないし、倫理性が高く、誤解を恐れます。 >それとも、あの無意味にピリピリした空気を、本当に好き好んでいるのですか? そうかもしれません。かなりの確率で衆目の中でひとり恥をかくよりは。

foosun
質問者

お礼

時間が必要、ですか。 ならばとりあえず当座は、私が積極的にラテン気質を発揮して周りに影響を与えていきたいと思いますw 回答ありがとうございました。

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