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目上の人を立てる理由、意味は何でしょうか?
- 目上の人を立てるとは、年齢や経験に基づいて尊重し、敬意を払うことです。相手の意見や考え方に耳を傾け、共同生活や共同作業を円滑に行うためのルールを守りながら、お互いを尊重することが求められます。
- 目上の人には、より豊富な知識や経験があり、より広い視野を持っていることが期待されます。彼らの意見や考え方には価値があり、それを認めることで自分自身の成長や学びにもつながります。
- しかし、目上の人を立てることが常に理想的な状態であるとは限りません。説明力や相手を納得させる力、適切な説明やコミュニケーション方法を考える余裕が失われ、無理強いや孤立感を生み出すこともあります。したがって、目上の人を立てることは一方的な服従ではなく、お互いに尊重しながら意見を交わし、より良い関係を築いていくことが重要です。
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かつては社会全体が納得していたルールだったと思います。 当然立てられる「目上」側もそれなりに知識、教養を身に着けるべく、目上としての自己研さんに努める人が多かったと思いますし、何より下の者の手本になるという自負があったと思います。ですから、下のものも付き従い、敬ったわけですが。明治、大正、昭和初期までの生まれの方々でしょうか。今や絶滅危惧種です。 最近の「目上」の人はどーも取り違えている人が多いのではないでしょうか。手本になるどころか、自分の失敗は部下のせいにするような輩も多いし。 年寄り連中に至っては今やルール無視の老害連中が街中で交通ルール無視や事故、万引きなどの犯罪多発、などの原因になり、世代間格差も広がるばかりですよね。若いころに勉強しなかったんだろうな、なんでこの年になってもこんなことも知らないの的なじじ、ばばは多数です。敬われるどころか、掃き捨てられそうな老齢人口の爆発的増加を背負わせられる若い世代が不憫でなりません。 目上を立てるとは、下のものが自然に相手に対して尊敬の念を込めていう言葉で、自分から言うことではありません。立ててほしければ、それなりの努力というものが必要です。
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- naNakami
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確かに、理不尽なころを主張する方はいらっしゃいますよね。 目上(年上)を立てる理由、それは、年下の者たちをそれまで生きてきた経験と知恵でリーダーシップをとり、何か問題が起こったときに責任をとる。 昔は、それが多くのところで成り立っており、敬われていたのだと思います。 しかし、時代と共にその考えは無くなってきました。年配の方々の価値が低くなった社会になってきたのです。 でも、人間は皆自分の価値、考えが正しい、尊重されたいと思いたいのです。なので、年配の方の中には年上を敬うべきという理由を探し出してきて自分は正しい!尊重されるべきと考えて、「目上を立てろ」と言う場合があるのではないでしょうか。 しかし、若い人も同じ人間なので、年寄りなんて邪魔しかしない!とかいうことを引き出して自分たちが正しい。だから若い人に価値があるんだと考えることが多いように思います。 年寄りなんて役立たず!などと言っている方に限って年をとって最近の若者は~ となるように思えます。若者という正当性が無くなったら今度は別の正当性を探してくるのです。 つまり、現代では自分が正しい、価値があると言うことの理由付けとして年配の方なら「目上を立てる」ということが用いられているのだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >人間は皆自分の価値、考えが正しい、尊重されたいと思いたいのです。 確かにそうですね。 自分に迷いや不安がある人ほど >自分が正しい、価値があると言うことの理由付け を探す様に言葉を使っている様にも見えます。 自分に迷いや不安がある人ほど 自分の主張に反論が来ないと それが正しい事だと自分で自分を騙しはじめ 何度も何度もそれを使う様になったりもしますし。 本来自分から言う言葉ではない言葉を 自ら言ってしまう人の心中も察する事が 本来人としてあるべき姿なのでしょうね。 ありがとうございました。
自分の得(出世や優遇)のために、上に媚びること。 それが本来の意味だろ? あなたが知りたいのは起源か? それなら、もっとひどいぞ。 孔子が言った儒教の精神だ。 あれは、国民を権力者の奴隷にするための洗脳だ。 孔子は政府側の人間だからな。 思考停止にするためのひとつとして、 「年上には絶対服従」と言ったわけだ。
お礼
ご回答ありがとうございました。 儒教に関して知ればもう少し違う側面も知れるのですね。
- rainbow_lizard
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「目上の人」と「年上の人」は違います。 「目上の人を立てる」も「年長者を敬う(お年よりは大事に)」も、背景には日本に根付いている儒教的思想があると思います。 私は詳しくありませんが、いわゆる「忠」だったり「孝」だったりします。 「目上の人を立てる」とは組織において立場が上の者を持ち上げるということです。 組織は上意下達が基本であり、上の者の言うことを下の者が聞かないと成り立ちません。 そのために上の者の威厳を守る必要があり、相手を立てる必要があります。 昔は立場の違いが身分の違いでしたから、それは絶対だったでしょう。 今は「目上の人を立てる」なんて言葉が出てくるのは会社組織くらいのもので、それすら欧米化で緩くなりつつあります。 身分の違いは疾うにないわけですから、組織秩序を守るためだけの言葉です。 「目上の人を立てる」こと自体は悪いことではありませんが、「目上である」ことをいいことに横暴を働く者もいます。 身分が違えば横暴も通ったのでしょうが、今は違います。 選択肢は、戦うか、我慢するか、組織を去るかの3つです。 立てる必要のない人間を立てる必要はありません。 しかし目上を立てないことが一人よがりになれば、周りに味方がいなくなるでしょう。 組織とはそういうものです。 村(ムラ)という場合は地域社会も組織ですし、家父長制だったころは家族も組織だったでしょう。 今は地域社会も家族も組織ではなくただの共同体ですので、「目上の人を立てる」という言葉はそもそも成立しません。 年齢は違えど、皆立場は同じです。 「年上を立てる必要があるか」、についても前述と同じです。 自分に正義があると思うなら、戦えばいいでしょう。 それが本物なら周りがついてきます。
お礼
時代と共に暮らしの形が変わり、 >村(ムラ)という場合は地域社会も組織ですし、 >家父長制だったころは家族も組織だったでしょう。 こうしたものが失われ、 その頃の言葉が人の心に残っているのでしょうか。 年齢による上下意識は学生時代からやけにある面 からすると、人の自尊心にも関係するのでしょうね。 年齢を問わず自分より若い人も直視し敬意を持つ事。 そうした姿勢で生きた方が 年齢という自分の自尊心を守る為に 心まで傷だらけになる事は減らせるのかもしれませんが、 年齢は人にできる事できない事、人の見る目も変える。 暮らしが変わり価値観が変わり始めたのでしょうね。 だからこの言葉に違和感を感じるのやも。 ご回答ありがとうございました。 色々考えさせられます。
>本来どういう双方のあり方を唱えるものなのでしょうか? 現代風にいえば、なんだかんだいっても、 経験者の言うことを聞いておけば、 失敗が少ない。ということです。 いい子ちゃんには、 黙っていれば教えてくれるかもしれないけど、 悪い子には、教える義理はありませんので、 失敗するのがわかっていても 知らんぷりをされる。ということ。 本来の意味は儒教から来ています。 年長を敬う長幼の序が世の中の平和な秩序を 守る5つのルールの一つという感じです。 http://kotobank.jp/word/%E4%BA%94%E5%80%AB?dic=daijisen
お礼
人に生きる余裕が乏しく、 複合家族で助け合ってぎりぎり生きて行ける。 その中で秩序を保つにはメリットがあった。 そういうものであったのかもしれませんね。 現代でも結局孤立した個人は 井の中でどんなに血反吐を吐くほど努力しようが 井の中の自己満足程度しか得られなかったりしますし 秩序だけではない、 社会に受け入れら成長する意味でも 有益な言葉だったのでしょうね。 ご回答ありがとうございました。
- D-Carnegie
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自分にとって有益だからというより、全体にとって有益だからという意味だと思います。 双方の在り方というより全体の在り方かと。 目上の方の威厳を保つことによって、全体にとって有益だからそうした方が良い場合があるという意味だと思います。 「目上の人を立てる」とは主に他の人の前で用いられる概念です。 その点からも全体の利益に配慮しているということがうかがえます。 こう理解するならば、全体利益に適しない場合は立てる必要がないということです。 全体利益を無視して目上の人を立てることは、「ごますり・ヨイショ・腰ぎんちゃく・言いなり」などと言います。「目上の人を立てている」とは言いません。
お礼
「目上の人を立てろ」という言葉は 「目下の者は俺の言う事を聞け、服従しろ」 という程度の言葉とも言えるでしょうね。 「目上の人を立てろ」はただの自分のエゴを隠す為 都合良く選び使った言葉に過ぎないなんて事も 結構よくある事なのかもしれませんね。 ご回答ありがとうございました。
- Willyt
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目上の人を立てるということは強制ではありません。別に立てなくてもいいのです。ただ、目上の人には目下の人の言うことを頭ごなしに否定してはいけないという戒めがあり、それが守られていればたぶん貴方は目上の人を立てることにはそんなに目くじらを立てることはないでしょう。これはお互い様のことであり、お互いが相手を尊重することで和が保てるので、まず貴方の方から目上を立ててはどうかという提案だと考えられないでしょうか。先にどちらかが譲らないとなかなか和というのが保ちにくいのです。目上の人のごり押しを黙って我慢することは辛いことですが、もしそれを第三者が見たら貴方は若いのになかなか謙虚で出来た人だという評価が得られ、結構それはワリに合う行動だとも言えますよね。ゴリ押しの程度にもよりますが、多少の事はぐっとこらえっるのが得策なのではないでしょうか。但しこれも目上の人との軋轢は承知の上で私は正しいと考えたことをはっきり主張したいと言われるならばそれは貴方の自由です。それによって起きるトラブルにどう対処するかは貴方自身の問題です。
お礼
そうですね。 表現を抑えつつ客観的に提案しても けっこう頭ごなしに否定されるもので、 それを受け流しつつ根気良く他の視点から説いてみたりと。 なかなか上手く行かない事がありました。 あまり耐え続ければ虐待の連鎖の様に 私自身がそれと同質の事を他者にやらかすか、 自制しようとした結果別の形で他者にやらかす恐れも感じます。 世代間で徐々に薄まりながら継承されている様な 印象を受ける事もありますが。 私もまだまだ相当に未熟ですね。 ご回答ありがとうございます。少し見つめ直さなければ。
お礼
>立てられる「目上」側もそれなりに知識、教養を >身に着けるべく、目上としての自己研さんに >努める人が多かったと思いますし、 >何より下の者の手本になるという自負 >があったと思います。 >ですから、下のものも付き従い、敬った ご回答ありがとうございます。 これが本来あるべき姿だったのでしょうね。 形だけが都合良く模倣され、 自己努力を怠り思い通りに行かない事の言い訳に 少しずつ劣化してそうなったのでしょうか。 ・・・差も大きくあったのでしょうけれど。 交通ルールを無視し、 自分の非は認めず社会や規則の所為にする。 人と人とがバラバラになれば こんな劣化をするのも自然なのでしょうか。 身近に人と居続けられる事で人は人と想いあえる。 >目上を立てるとは、 >下のものが自然に相手に対して >尊敬の念を込めていう言葉で、 >自分から言うことではありません。 そうですね。 しかしその尊敬の念を形にした言葉が 劣化し暴力にまで使われてしまっている。 想いとはどうにも空回りが絶えませんね。 ご回答ありがとうございました。感謝