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不老不死と精神崩壊
不老不死と精神崩壊 ふと気になったのですが、私が今突然不老不死になったとします。 そのまま何の変化もない空間に閉じ込められたとしたら、きっと私は精神崩壊を起こすでしょう。 そこで質問なのですが、この状況で精神崩壊した後というのは苦しみがずっと続いているものなのでしょうか?苦しみを感じる事もできない状態なのでしょうか?突然自我を取り戻した後現実に直面し、再び精神崩壊を起こす負の連鎖の様な状況になるのでしょうか? 下らない質問ですみません。 (推測でも構いません)回答お待ちしております。
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- strbegger-po
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>>不老不死と精神崩壊 少なくとも言える事は、この世に生を受け、幼児期・幼少期・と成長過程に於いて、両親やその家族 との係わりで、人(人間)として“形成”が成されていく事になりますよね。 勿論、性格的な面では育てられ方にあると言えましょう。 そして、例を挙げて言えば、やがて自分と言うものの意思を持ち、周りの変化を感じたり読み取ったりとして行く中で近しい祖父母の死・等から『死』と言うものを知る事なるでしょうね。 『死と生』とは同じ値にあるという事を悟ると言えますよね・・・。 >>・・・私が今突然不老不死になったとします。 そのまま何の変化もない空間に閉じ込められたとしたら、きっと私は精神崩壊を起こすでしょう。 とした質問なので、少しニュアンスが異なってしまいますよね。 相談者さんの場合は、突然にそうした現実状態に置かれた場合を想定されているので、平常心とは 程遠い別の感情(脳内整理不能)が支配する事になり障害を伴うことはいうまでもないですよね。 同級生だった人達がみんなこの世を去り、産まれたばかりの新生児も軈て大人となり、『生老病死』 をを迎え、同じ“サイクル”を映像の様に見続けることになると思われます。 “生”はあるものの“死”と言うものは存在しない世界での“生”であるなら『精神崩壊』は有り得ないと考えられます。 しかし、生は永遠ではない常識とした観念意識の人間(者)が突然、永遠の生を受けたとしたら、死ぬより辛い宣告を受けたも同然だと思われます。(苦笑 ただ、心臓が停止していないだけの“喜怒哀楽”も何もない廃人と化した“物”となってしまうと思われますね。こうした状態での永遠は“トリ肌もの”ですよね・・・。
- Obuchininja
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これは「不老不死」とは少し違いますが、私なりの解釈を説明いたします。まず「不老不死」になった人には年老いたり、死んだりすることに対する心配や恐怖はなくなりますよね。実は「不老不死」でなくても同じように年老いたり、死んだりすることに対する心配や恐怖を持たなくてもすまなくなるような状況にはなりえます。これは私のことですから理屈だけの「机上の空論」ではありません。私は脊髄小脳変性症を患っています。年齢は53歳で、私の父は59歳、そして私の叔父にあたる父の2人の兄はどちらも62歳で他界いたしました。この3名の死因はその当時には脊髄小脳変性症という言葉がなかったのでしょうか「若年性小脳萎縮症」という病名でした。間違いなく遺伝性の疾患です。ですから私は父が他界した24年前から自分も同じ病気(?)で死んでしまうことは予想していました。そして先日の11月2日に東大付属病院神経内科で10月5日に取ったMRIの結果を知らされた時には特に驚きもしなかったし、ショックを受けることもありませんでした。実は私がMRIを撮った理由は10年あまり前に始まり、どんどん酷くなってきた原因不明の足の痛みを究明するためでした。それまで私が住んでいる埼玉県の独協医大附属病院、越谷市立病院などでも診察を受けてきましたが、どこでも足の痛みの原因は分かりませんでした。そして、MRIの結果で判明した脊髄小脳変性症が足の痛みとは関係ないことまで分かりました。私は結婚もしなかったし、子供もいません。もしかしたら、脊髄小脳変性症が遅かれ早かれ発症することを予測していたために、結婚をしなかったのかもしれません。ですから私には自分の死後に心配を残す妻や子孫はいません。話が少し長くなりましたが、私が正常に物事の判断ができるのは、これから4~5年、おそらくその前の3以降は話がまともにできなくなっていることがよそうできます。それでは私が現在どういう心境でいるかというと、「不老不死」であるのと殆ど同じで老化や死に対する恐怖や心配はなくなってしまいました。それだけではなく、性欲、金銭欲、出世欲、食欲などの一切の欲望もなくなってしまいました。「死」は今の私にとっては痛みからの救いに他なりませんが、今でも自分の死後に自分の魂がどうなるのかには興味と期待を持っています。私の今の考えは「魂」の存在は永遠で、魂を作り出すことも、壊すこともできないということです。私の魂は宇宙が誕生した時にはすでに存在し、この後もいつまでたってもなくなることはありません。このように考えれば「不老不死」」は単に肉体の問題ですから、それほど深く考える必要もないと思います。 最後に一つ私が今でもきになっていることを説明いたします。自分の死後の心臓や、肝臓等の臓器です。私に死が訪れる時には私の臓器は困っている人に移植可能な状態だと思いますが、現在仕事をしていない私は足の痛みのために殆ど就職ができない状態で現在やっている月に5~6万円の収入がある業務は10年前からお世話になっているお客様との取引ですから、生活保護を受けるために辞めてしまうこと自分の命に替えてでも辞めることはできません。私のこの話で「不老不死」のことがお分かりになったでしょうか。
- nung
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逆に苦しみが無くなって、悟りに近づく様な気がします。 お釈迦様によると、苦しみの元は、欲です。 まず、生老病死をはじめとする、日常的な苦しみの原因が、一切無くなっています。 そして、最後に残るのは、昔の状況に戻りたいという欲です。 それががかなえられない事を納得できるかどうかが問題ですが、結局は、その欲もいつかは捨てる事ができると思います。 すると、一切の欲が無くなるので、それはすなわち、悟った状態ではないでしょうか。 肉体はそこにあるが、心理的には、そこに居るような居ないような、不思議な状態だと思います。 生きているのか、死んでいるのか、が疑問ですが、不老不死なら多分、生きているのでしょう。
- shift-2007
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苦しみが永遠に続くとはないです。 苦しみとはギャップですから。 閉じ込められた直後はそれまでの生活とのギャップで苦しみますが、 それが定常となればギャップが消えてあなたは新しい生物として箱の中で永遠に生き続けます。
こんにちは! あくまで推測でしかないのですが、 不老不死になるというのは時間が今の若いままで 生きることがずっと続くということですよね。 何も変化のない空間に閉じ込められて精神崩壊を起こすというのであれば 精神が崩壊=認知症と似た状態?と思われますでしょうか。 意識はあっても理性はない状態で 苦しみ等はあまり感じないと思われます。 ただ認知症老人でも理性はなくても人からどういう扱いを受けているのか 感情的にはわかりますので、まったく苦しくないかというとそうでもなく苦しそうです。 精神崩壊するだけでも苦しみですから他人にはわからなくても苦しみはあるかもしれません。 あまり参考にならないかもしれませんね^^;
- 18OSX
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テーマがテーマだけに所詮、推測でしか語れませんが 不老不死というのは時間の流れから外れたものだろうと考えます。 言ってみれば素材劣化のない人形になったようなもの。 だとすれば肉体的な変化はもちろん精神的な変化もないのでしょう。 自我を自覚するとか思考するという作業は、例え瞬間的であっても時間を必要としますから。 「生きている」んじゃなくて「死なない=壊れない」だけの存在。 人形だったら苦しみも喜びもなく、当然精神崩壊も起こさないと思います。
- kkkkkoa
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おそらく不老不死というのは、いわゆる脳はだんだん衰えそれは、防ぎようがないような気がします。 体だけ生きていておそらく脳だけは、死にだんだん近づくと思います。 それもなんの変化もない空間でしたら、おそらく三日後くらいに精神錯乱し一週間くらいで精神崩壊、一ヶ月もすれば、意識不明だから苦しみはないです。脳っていうのはそういうふうに苦しみから逃れるふうに出来てますので、老人ボケなんかも苦しみから死の恐怖を徐々に軽減するからだとも言われています。 突然自我を取り戻すというのはおそらく考えられません。 ずっと意識不明のままです。