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親は

親は、 こどものいうことを、きけ(傾聴せよ)。 こどものことをわかれ(受け止めよ)。 子どもが、親の言うことをきかされ、親のことを判らなくてはならないのは、 「30歳を過ぎてから」でも早いということは無いと思いますが、いかがでしょうか。

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回答No.5

この質問の底に有るのは、普通の表現をすれば子の親への“不信感”。 その原因は親の子に対する姿勢の間違いに有り。 子供が親の保護の下で育まれる段階で必要なのは、愛情と教育。 親は愛情を通して、子供の総てを“我が子”として受け入れて、その“人格”を認めていることを知らせる必要があります。 これが親子間の絆となるのでしょうが、そこを飛ばして教育しようとするから、子供にとっては“強要”でしかなく、それは親の、子供への否定につながり、だから質問文にあるような子供の立場からの訴えとなるのだと思います。 ★ 敢えて、親に原因有り、と言っておきます。

kurinal
質問者

お礼

yy8yy8az様、ありがとうございます。

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回答No.7

 鏡音リンで「パンツ脱げるもん!」が楽しく聴けますね。

kurinal
質問者

お礼

子どもが、「着脱」が出来て「自分が一人前」という満足感に浸るのは、3歳児のことね。 それから本当の一人前になるのに、まだ、どれだけ大変か。

noname#194996
noname#194996
回答No.6

>親は、 こどものいうことを、きけ(傾聴せよ)。 こどものことをわかれ(受け止めよ)。 これは理解できます。子供の願望でしょう。子供も人格を持っていますからそういう意見が出るというのは(よしあしは別として)当然、というか自然なことです。もちろん真理ではありません。親の責任において選択するべき問題でしょう。 >子どもが、親の言うことをきかされ、親のことを判らなくてはならないのは、 「30歳を過ぎてから」でも早いということは無いと思います 理解に苦しむ言葉です。 まず”早いということはない”という部分です。 …を過ぎてからでも遅くはない、なら判ります。…まではしなくてもいいということです。 …を過ぎてからでも早くはない、とは普通言いません。 …を過ぎてからでは遅い、というのが一般です。 …を過ぎてからでも悪くはない、という肯定が来るのが普通です。 >早いということは無いと思います 早いか遅いか、どっちでもいいけれど、悪くはない、ということでしょうか。 世間では「早いよ」といわれていることだけれど、「私は、ちょうどいい、悪くはないと思いますよ」といっておられるようにも取れます。 それとも、早いということはない、遅くてもいい、ずーっともっと遅くてもいい、つまり 子どもが、親の言うことをきかされ、親のことを判らなくてはならないのは、 「30歳を過ぎてからでもいい、もーっと遅くてもいいし、一生そうでなくてもいい」、ということでしょうか。ぶっちゃけ 子供は親の言うことを聞く必要はないし、親のことを理解しなくてもいい、ということなのでしょうか。 そういう解釈も容易にできます。それ以外の解釈は難しいともいえますが、それならば、私は承諾できませんね。親は自身にとって一番血の濃い人間ですから、人間一般を理解するためには最適のサンプルだと思いますし。 たとえば、私は親(父親)がどんな考えをもって生きていたのか、ということを自身の老境に至ってある程度実感しましたが、あまり会話のなかった親子でした。若い頃にもっと腹を割って親密に話し合っていたらよかったと思うことがあります。まあそういう人生観を親とある程度共有できる年代というのは、やはり自分が自分の人生をしっかり歩み始めた30歳以後ということになるのかもしれませんが。 そういったことを仰っておられるのならそれはそうかもしれません。 それともこの「30歳…」は親の年齢なのでしょうか。 それなら多少理解できます。 親が30歳では子供はまだ未熟な年齢ですから、親とともに子供も成熟していくという関係でしょう。じっくりと親子が話し会えるのはずっとあとになるでしょう。

kurinal
質問者

補足

komaas88様、ありがとうございます。 >「親は自身にとって一番血の濃い人間ですから、人間一般を理解するためには最適のサンプルだと思います」 それでは、いったい、幾つまでには、親の事を判らなくてはならないのでしょうか?

回答No.4

20歳25歳・・・30歳を過ぎてからは早いです。どんどん早くなりますね。 最近はあまり歳に関係なく早くなっているような感覚があって、 これは子供にも共通するのではないでしょうか、とするなら、 親も子も早いほうがいいと思うんですね。 もうのんびりしている余裕はないののちゃいますか。

kurinal
質問者

お礼

ukiyotonbo様、御回答ありがとうございます。 >「もうのんびりしている余裕はないののちゃいますか。」 それは、「目的」によるでしょうか。

回答No.3

前段は親に対する子供の言い分で、後段は子供に対する親の言い分(?)ですかね。 私が子供の頃、「どうして親って物わかりが悪いんだ!」と思ったことが多々ありました。 小学生時代は泣きじゃくりながらわめいていましたが、中学生時代からは反抗期にはいったためか、逆に冷めた視点で見始め、「親ってそんなものなんだ」と、半ば諦念感から受け入れることになりました。 逆説的には「人間というものは本質的には分かり合えない部分がある」ということを、知った(いや、教わった)ということになりますでしょうか。 いまの時代、「子供を褒めて伸ばす」というのが主流らしいですが、家族であるからこそ、表面的な部分で終わってしまうのではなく、分かり合えないということを分かる程度まで、相互にとことんまで論じ合うことも大切なのだろうと思ったりします。 そういった「分かり合えない」をも乗り越えて繋がり合おうとするところに、何かが生み出されていくのだろうと思っております。

kurinal
質問者

お礼

k_jinen様、ありがとうございます。

回答No.2

 「子を持って知る親の恩」なんてことわざがあるけれど、昔から子供とはそういうもんだと思います。  早いか早くないかはともかく、それで良いのではないでしょうか。  現代は、親が“子供っぽく”なってしまっているので、こうした疑問が発生するのでしょう。  開国と敗戦による親子関係の“伝統”の断線が原因かと思いますが。

kurinal
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 「教育、教育、教育」だそうでございます。

  • Korasho
  • ベストアンサー率27% (81/299)
回答No.1

おっしゃりたいことが全然わかりません。困っているご様子では無いと思いますし、貴方の見解と一般の解釈と比較されたいのだと思いますが、親と子で意思の疎通がなされていない事について意見を求めるにはあまりにも言葉が少なく、回答する側の気持ちを考えずにご自分のことのみ述べているようです。ご批判お好きなだけお書きください。とてもコミュニティーサイトの書き込みとは思えません。2ちゃんねるレヴェルだと考えます。

kurinal
質問者

お礼

>「おっしゃりたいことが全然わかりません」 御回答、ありがとうございます。

kurinal
質問者

補足

こころないご批判をお好きなだけお書き下さって、それでも「ありがとうございます」と応答しなければならないのが、コミュニティーサイトの、、、「哲学板の」とでもお書き下されば、まだ合点が行ったでしょうに?

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