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ドンと腰を下ろしている人の関係

2011.3.11 東日本大震災発生 1年後、自宅前がれきの上にて、60代男性談 「私がね、『オヤジ、早く逃げろ!』と言ってもオヤジは居間にドンと構えて動こうとしなかったんですよ。おふくろはオヤジに付いて行くつもりなので、連れ出すことは出来なかったですね。女房はオヤジとおふくろを説得しようとして、最後まで粘っていました。結局みんな津波に飲まれて、生き残ったのは私だけです。家族を助けられなかったのが残念でなりません・・・」 この、ドンと居間に腰を下ろして動こうとしなかった、頑固一徹じいさんと、 パソコンの前にドンと腰を下ろし、 「何か面白い質問は無いのか」 とOKWAVEで待ち構え、微動だにしない人は、 どういう関係にありますか?

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みんなの回答

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.7

>「ドンと居間に腰を下ろして動こうとしなかった、頑固一徹じいさんと、 パソコンの前にドンと腰を下ろし、「何か面白い質問は無いのか」とOKWAVEで待ち構え、 微動だにしない人は、 どういう関係にありますか? 」 ・・・見るからに滑稽なご質問ですね。

noname#189246
質問者

お礼

この質問はね、「本当に自分は正しいのか」を自己分析されるが良いだろう、という目論みで立てたのですよ。そう言う人も中にはいらっしゃるでしょうから。それが第1。 第2には、教訓を活かせない日本、だとか、肉体年齢と魂の年齢は関係ないのではないのか?という訴え、死後の世界はあるのではないか?という問題がありますね。 作品は震災前のものです。 私が打ち立てた話もNHKでやっていた本物の話で、創作ではないし、作品も、村の書きつけに残っているくらいだから創作ではないでしょう。 他にも考察点を探そうと思えばあるでしょう。 なにが滑稽なのでしょうか?

  • cxe28284
  • ベストアンサー率21% (932/4336)
回答No.6

待ってたら何とかなる楽天的思考回路の持ち主 うちの旦那そういう人です。私が引きずって逃げるしかない。 質問を待ってないで自分が質問したら、まあ面倒くさがり屋 という共通点です。

noname#189246
質問者

お礼

頑固一徹なのではなく、めんどくさがり「過ぎちゃった」のが高じて、死をも厭わなかった。めんどくさいくらいなら、死んだ方がマシだった。だから、じいさんは動かなかった。 そうすると、OKWAVEの前で質問を探している人が、動きたくないめんどくさがりの可能性があるため、そこに共通点が発生する。 だから、両者にはめんどくさがり、という共通点がある、という関係がある。ということですね。 ありがとございました。

noname#189246
質問者

補足

ここらで、ひとつ、突然ですが、私としての意見の樹立をご紹介してみたいと思います。フェイントで。 両者の関係は、確かに、「共通性」に着目すべきでしょう。この質問自体が、「ドンと座っている人の関係」なのであり、両者には「ドンと座っている共通性」があるのだから。 その共通性を、共通性たらしめているものはいったい何なのか、をひも解くことで、両者の本当の関係を位置づけることが出来るのです。 まず、OKWAVEにドンと居座って質問を探している人は、暇な年寄りのイメージが付きまとい、前者の頑固じいさんとは、年齢的共通性があるのだ、という短絡的イメージに捉えやすいですが、それは罠です。暇なのが年寄りとは限りません。大学生やニート、既に成功して若くて隠居しちゃった(アリとキリギリスにおける)キリギリス的な人物だって居るかも知れないからです。 私は、両者を共通性たらしめているものは、結局、「意地」だと思うのです。 作中に登場したおばあさんは、体力的に逃げるのが無理だから津波にのまれたのでしょうか? いずれにしても、彼女には、「もうだめじゃな」という潔さがあった。若いの(60代)が、何を言っても「もうだめじゃな」という「意地」はあった。だから、無様に無駄な抵抗をすることが無かったであろう、と思われるのです。頑固じいさん、またはめんどくさがりじいさんは、若いの(60代)が何を言っても、「わしはここから動かんのだ」という「意地」はあった。理由が何であれ、若いものの言うことなど聞かん、という「意地」があった。OKWAVEに大した質問も上がってこず、「いまどきのやつはくだらんな~」と思っている人は、それでもOKWAVEで質問に答えてやる、という「意地」がある。強いて言えば「OKWAVE魂」がある。 彼らはしばしば死よりも意地を選ぶ。それは、生い先長くない認識が「意地」のウェイトを勝らせているのか。OKWAVEユーザーだって、ピタゴラスの死に方のように、OKWAVEに熱中していたら敵兵が上がりこんできて、「OKWAVEの邪魔をするな」と言いながら斬られる可能性が無いわけではない。 結論 意地はしばしば死をも乗り越えるのだ。数々の犠牲的精神がそれを証明しているではないか。 では、こうしましょう。この結論に対する感想が真の質問の意図なのだ、とね。

  • Tefu_Tefu
  • ベストアンサー率27% (87/322)
回答No.5

こんにちは。 居間にドンと構えて動こうとしない頑固爺さんは 自宅は動かせないので津波に飲まれた。パソコンは軽量化していてノートパソコンあるいは携帯電話で代用できるので 爺さんは津波には飲まれない。  逆に 携帯電話が頑固爺さんのようにドンと構えて人間から離れない。携帯電話が人間に飲まれているの?いやいや 人間が携帯電話に飲まれている。・・・ん なんか可笑しい

noname#189246
質問者

お礼

確かに。 ありがとうございました。

noname#189246
質問者

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新考察ソース用意しました。

回答No.4

 こんにちは。  ★ ~~~  パソコンの前にドンと腰を下ろし、  「何か面白い質問は無いのか」  とOKWAVEで待ち構え、微動だにしない人  ~~~~~~  ☆ にも やがてツナミが起こり押し寄せて来る。こういう予言でしょうか 質問の趣旨は?    と見たところで 八割の人は 無意味だと見做しましょう。  仮りにツナミが――比喩としてのツナミが――押し寄せて来たとしても そのときパソコン人は 臨機応変に対処しましょう。そこは 《ドンと腰をおろしている》以外における異同性でしょう。たぶん《異》のほうが多いはずです。被災者には残念ながら。

noname#189246
質問者

お礼

設定では、☆にはツナミは押し寄せてきません。 ありがとうございました。

noname#189246
質問者

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新考察ソース用意しました。

noname#164203
noname#164203
回答No.3

同一人物?

noname#189246
質問者

お礼

別人の設定です。 ありがとうございました。

noname#189246
質問者

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  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.2

>この、ドンと居間に腰を下ろして動こうとしなかった、頑固一徹じいさんと、 パソコンの前にドンと腰を下ろし、 「何か面白い質問は無いのか」 とOKWAVEで待ち構え、微動だにしない人は、 どういう関係にありますか? ○孔子の論語の関係ですね。 頑固一徹じいさん:七十にして心の欲する所に従がい、矩をこえず。 OKWAVEで待ち構え、微動だにしない人:六十にして耳順う。 で説明がつくでしょう。 孔子の論語(為政第二) 「吾れ十五にして学を志す。 三十にして立つ。 四十にして惑わず。 五十にして天命を知る。 六十にして耳順う。 七十にして心の欲する所に従がい、矩をこえず。」

noname#189246
質問者

お礼

頑固一徹じいさんは、欲が無く、自然と共に生き、死を覚悟していたからドンと居間に座っていたのか。それとも、頑なに津波など来ないと思っていたのか。はたまた、戦艦の艦長のように、家と共に沈むつもりだったのか・・・ 六十にして耳従う人は、死よりも知的欲求を求めるのか。それとも、そもそも津波が来るという設定ではないのか・・・ ありがとうございました。

noname#189246
質問者

補足

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  • foosun
  • ベストアンサー率12% (13/104)
回答No.1

無という関係

noname#189246
質問者

お礼

やはり。 ありがとうございました。

noname#189246
質問者

補足

新考察ソース用意しました。

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