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虐待が連鎖してしまう合理的な理由とは?

世間的には虐待が連鎖してしまう傾向があるそうですが、それは本当ですか? 理屈的に考えれば、暴力への痛みを知っているからこそ、暴力を否定する側になってしまいそうですが、その理屈をぶっ飛ばす理屈があるという事ですよね? それはどんな理屈でしょうか?

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回答No.7

「理屈的に考えれば、暴力への痛みを知っているからこそ、暴力を否定する側になってしまいそうです」 もう少し、具体的に状況を想像してみてください。 「他人から自分に加えられた暴力で自分に感じられた痛みを知っている」ので、イヤダと思うのは「他人から自分に加えられる暴力」でしょう。 「自分が他人に暴力を加えても自分には痛みが起きないことも知っている」とすれば、「自分が他人に加える暴力はイヤダ」とするロジックが生まれる理由はありません。 「暴力による痛みを知っている」ということが「暴力を否定する」という一般論を導きだす理屈はないです。   ホラー映画や泣けてしまう映画などが作られるという事実を知っているのでしたら、そのような映画が企画制作される理屈を考えてみてください。   ‘連鎖’は“鎖が繋がっているように”という意味の言葉です。食物連鎖に理屈はないです。虐待の連鎖も、ただつながっているという例を取り上げて、そう表現しているのに過ぎません。虐待があれば必ず続いて虐待が起きると決まっているのでもないし、前に虐待がなくても虐待が始まる場合もあります。   「世間的には虐待が連鎖してしまう傾向があるそう」ならば、次のような例を考えてはいかがでしょうか。 ファッションや髪型、化粧、サプリメントやテレビドラマにも、流行のようなものがあります。言葉遣いにも、方言や若者言葉、携帯メールの言い回しのようなものがあります。人間の行動スタイルにも、上昇志向、まじめ、草食系、自分主義などがあります。 ヒトは自立しているようでいて、けっこう経験や流行、時代に影響されるものです。 虐待を悪いことと思わずに、行動スタイルと考えれば、自分が繰り返し経験したこと、強く印象づけられた経験と考えれば、そうした行動スタイルを学習しているのですから、その学習の成果が活かされた場合には、他人に虐待をするということになります。 マイナス思考、プラス思考、攻撃は最大の防御なども、そうした経験を繰り返してしまうと、そうした学習の成果は、(不当なほどに変な具合に)発揮されてしまうことはあります。 くってかかる、怒鳴り散らす、わめき立てる、直接関係のないことまで言い立てる、周囲のものを投げる・蹴飛ばす・殴りかかるなどの行為をするヒトを身近に見て育てば、そうした行動を学習し、自分でも同じような行動をするようになるというのは、さほど不思議なことではなくて、人間の成長発達で経験学習が果たす役割を知れば、ある程度、さもありなんということになると思います。

その他の回答 (6)

  • zebura23
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回答No.6

虐待というのは外からは非常にわかりやすい行為ですが、それだけでなく、 実際にはそのほかの多くのことが連鎖していると考えられます。 私たちは自分が属する家系的な遺伝という連鎖だけでははなく、 国民的、社会的な連鎖という遺伝をも免れられないものです。 それは 私たちが当たり前と思っている共通したような考え方も、無意識のうちに、 実際には連鎖によって受け継いだものであることが多いものです。 「その理屈をぶっとばす理屈」があれば、ことは簡単なのですが、 無意識のうちに意識に刷り込まれた感覚は潜在意識になります。 そして 潜在意識になったものを「顕在意識」のステージに上げるのは大変なのです。 つまり私たちが無意識にやってしまうことを意識することだからです。 意識はよく、氷山にたとえられます。 私たちは十分意識的に生きていると思っていますが、 実際には私の生活、存在の在り方を決めているのは、氷山の水面下にある 7割の部分の潜在意識なのです。 「なぜ自分はこうなのか」、原因はどこにあるのかと意識し始めるとき、 初めて潜在意識に光が当たり始めます。 そして 無意識に取り込んだ感情の、その時点に戻ることで解決の糸口が得られます。 しかし多くの場合、私たちは多かれ少なかれ潜在意識に翻弄される者です。 その結果、わかりやすいところでは、 父親のようなアル中の男とは絶対結婚しないと思っていたのに、 結婚後に相手がアル中になってしまったり、 絶対暴力をふるわない男と決めていたのに、結婚後に暴力男に変貌したり、 付き合う異性は、いつも同じような傾向を持つ人を引き寄せたりします。 結局、自分が嫌うものをその感情で引き寄せるからで、 嫌って遠ざければ遠ざけるほど その強い感情が引き金となって、望まないことを呼ぶということのようです。

  • naclav
  • ベストアンサー率48% (237/484)
回答No.5

人は何かをする時、他人のやり方を参考にします。 「実際に、何度も見たことのあるやり方」ほど参考にするでしょう。 「親として、子供にどのように接するか」を考える時、多くの人は 「自分の親が、子供の頃の自分に接した時」を参考にします。 それが虐待と呼ばれるほど不適切なものだったと知っていても、 「よその健全な家庭の親子関係がどのようだったか」を 自分の家庭ほど詳しく知る機会はまずありません。

  • suzuko
  • ベストアンサー率38% (1112/2922)
回答No.4

支援学校教員です。 虐待を受けた子どもって「自分は親から愛されていない」とは感じないで「親がこんなひどいことをするのは、自分がいけないからだ」と思うのです。 論理的にはおかしいんですが、子どもにとって「自分は愛されていない」と言うのは、絶対受け入れたくない「考え」になります。 また、子どもは自己中心的な思考をしますから、全ての原因は「自分にある」と考えます。幼ければ幼いほど。親の離婚の理由も「自分のせいだ」と感じる幼児は多いです。 そして、虐待を受け続けた子どもの脳は、発育不全を起こしやすく、人に対する「愛着行動」がいがみやすくなります。(全員ではありません。虐待の状態や時間、他の養育者の存在などにより変わります) この「愛着行動」がいがんでしまった人が、大人になり、うまく自分の子どもに対応できずに、親がしていた「育て方」(見本はそれしかありませんから)をまねてしまう。 というのが、その理屈です。

noname#168383
noname#168383
回答No.3

>世間的には虐待が連鎖してしまう傾向があるそうですが、それは本当ですか?> これはあります。ただし皆が皆虐待受けたらやるという訳ではありません。 他の人と比べて統計取って見ると「やや多い」という受け止め方をして下さい。 >理屈的に考えれば、暴力への痛みを知っているからこそ、暴力を否定する側になってしまいそうですが>  その通りで個人の意見なので専門ではありませんがおそらく真逆に人に優しくなる人も結構いると思います。 つまり虐待の受け方やその人の置かれている環境などがその違いを左右するのだと思います。 >その理屈をぶっ飛ばす理屈があるという事ですよね? それはどんな理屈でしょうか? >  これは多分無意識の内に一番強いのは「暴力」であるという認識に変わった人だと思われます。大抵無意識の人が多いと思います。そうなると「暴力が一番強いのだから躾をするのも暴力が一番効果的だ」と無意識に感じ取ってついつい虐待をしてしまうという心理が働くのだと思われます。    あくまで推測なので信じるか信じないかはsakudrada31さん次第です。

  • ROKABAURA
  • ベストアンサー率35% (513/1452)
回答No.2

大概一度後悔した親はやらないと心に決める。 でも子供に自分の嫌な心やイライラが写って見える。 子供は子供で捨てられる あるいは親を失う恐怖が身に染みて 暴力に反抗できない。 ぶたれても見捨てられるよりはいいから。 互いに似ていて感情の繋がりがあって 愚かさも共有しているからどうにも感情の爆発から逃げられない。 女性に良くある自分が子供を育てるために 前の夫の子供を邪険に扱うこともある。 これは動物としてのDNAがなせる技。 泣きながらぶつ手を止められない母親が 自己肯定のための他者否定と少し違うのは それが自分の弱かったり嫌いな部分の写し身だということ。 連れ子の場合 前の彼と繋がっている自分も含まれている。 と考える。

  • 23tomo-u
  • ベストアンサー率27% (433/1565)
回答No.1

理屈ではなく感覚ですよね、 親も子供のいたずらに怒ることは多々ありますが、 暴力を振るう人は感情の扱い方が苦手なため、 我を忘れて殴ってしまうんだと思います。 また自分がそういう育てられ方をしてるんで、 「周りもこのくらいしているだろう」という思い込みで、 暴力に移るんだと思います。 その際限についても個人差があるので、 げんこつをあげるぐらいは普通と考えている人もいるし、 うちは厳しくしつけたいから柱に縛りつけるって人もいると思います。 ただ実際は周りの人はそんなことはやっていなく、 また他の家族ともそういう込み入った話しもしないので 気づかない場合もあると思います。 特に虐待をする両親って頑なに家のやり方を固持して 他人の話を聞かなかったり、または周りに家族ぐるみの相談をする 友達もいなかったりします。 モンスターペアレントなんていい例だと思います。 ようは親が見境がなくなって自分でまずいことをしてることに 気がついてないんですよ、子供のためといいつつ内心は自分の憂さ晴らしのため、 子供をみていない自己中なんです。 その自分の身勝手な幼児性に「しつけだから」とか理屈をつけるのかも 知れませんね。

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