※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:プリントの解答が無いので、教えてください2)
「教える-学ぶ」関係とは?
このQ&Aのポイント
「教える-学ぶ」関係は共通の規則を必要とするものであり、互いによりよく理解する関係でもある。
「非対称」な関係は、言語ゲームを共有しない者と自分、および言語を獲得する過程にある子どもと親の関係である。
筆者が考えている「対話」は非対称な関係にある他者との対話であり、モノローグやプラトンの弁証法における対話とは異なる。
【問3】外国人や子供に教えると言うことは言い換えれば共通の規則を持たない者に教えるということである。逆に共通の規則をもたない他社とのコミュニケーションは「教える-学ぶ」関係になるだろう。通例のコミュニケーション論では共通の規則が前提されている。だが、外国人と子供の対話においてはそのような規則はさしあたって成立していないか、または成立することが困難である。これは得意なケースだろうか。
我々が誰でも子供として生まれ、親から言語を習得してきたということは決して特異的ではなく、一般的な条件である。また我々が他社との対話においていつもどこかで通じ合わない領域をもつのは一般的に言えることだ。その場合、よりよく互いに理解しようとするならば相手に問いたださねばならず、あるいは相手に教えなければならない。言い換えればそれは「教える-学ぶ」関係に立つということである。共通の規則があるとしたら、それは「教える-学ぶ」関係のあとにしかない。
「教える-学ぶ」という非対称な関係がコミュニケーションの基礎的事実である。これは決してアブノーマルではない。ノーマルなケース、すなわち同一の規則をもつような対話の方が例外的なのである。だが、それが例外的に見えないのはそのような対話が自分と同一の他者との対話、すなわち自己対話(モノローグ)を規範として考えられているからである。
しかし私は自己対話あるいは自分と同じ規則を共有する方との対話を対話と呼ばない。対話は言語ゲームを共有しない者との間にのみある。そして他者とは自分と言語ゲームを共有しない者のことでなければならない。そのような他者との関係は非対称である。教え立場に立つということは言い換えると他者の他社性を前提することである。
哲学は内省から始まる。と言うことは自己対話からはじまるということである。それは他者が自分と同質であることを前提することだ。このことはプラトンの弁証法において典型的に見られる。そこではソクラテスは相手と「共同で真理を追究する」ように呼びかける。プラトンの弁証法は対話の体裁をとっているけども対話ではない。そこに他者がいない。
他者の他者性を捨象したところでは他者との対話は自己対話となり、自己対話(内省)が他者との対話と同一視される。哲学が内省から始まるということはそれが同一の言語ゲームの内部で始まるというのと同義である。私が独我論と呼ぶのは決して私一人しかないという考えではない。私に言えることは万人に言えるという考えこそが独我論である。独我論を批判するためには他者をあるいは異質な言語ゲームに属する他者とのコミュニケーションを導入するほかない。
(1)「教える-学ぶ」関係について述べられているのはア~ウのどれか。複数正しい場合はすべて答えよ。
ア 共通の規則を必要とするものである
イ 互いによりよく理解する関係である
ウ コミュニケーションのアブノーマルなケースである
(2)文中の「非対称」な関係にあてはまるのはア~ウのどれか。複数正しい場合はすべて答えよ。
ア 他社性を捨象した他者と自分
イ 言語ゲームを共有しない者と自分
ウ 言語を獲得する過程にある子どもと親
(3)筆者が考えている「対話」にあてはまるのはア~ウのどれか。複数正しい場合はすべて答えよ。
ア モノローグ
イ プラトンの弁証法における対話
ウ 非対称な関係にある他者との対話
(4)文中の「独我論」についてあてはまるのはア~ウのどれか。複数正しい場合はすべて答えよ。
ア 私ひとりしかないという考え
イ 他者が自分と同質であることを前提とする考え
ウ 「教える-学ぶ」関係から真理を追究するという考え
(5) 文中で述べられているものと合致するものはア~ウのどれか。複数正しい場合はすべて答えよ。
ア 哲学は他者の他社性を前提としている。
イ 自分と同一の他者との対話はコミュニケーションの基礎的事態である
ウ 独我論を批判するには他者とのコニュニケーションの導入が必要である。
お礼
解答くださいまして、誠にありがとうございました。 勉強になりました。