• 締切済み

英文科御卒業の方々へ

英文科の御卒業の方々、とりわけ英米文学を学ばれた方々にお聞きします。 なにかと英語力を生かしておられると思いますが、お尋ねしたいのは、御卒業後、純粋な趣味、娯楽として、英米の小説をお楽しみの習慣は続いておられますか。 私は、やはり日本語を母語とする日本人ですので、どちらかと問われれば、もちろん日本語の小説の方が、しっくりと理解できます。 月に一冊とかいうペースで英語原書でお読みの方は英語が「しっくり分かる」という感触はありますか。宜しく、教えて下さい。御多忙中、恐れ入ります。

みんなの回答

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.4

    #1です。補足です。 >>「英語を使う」ということと「英語小説」を読むこととは、全く別の二つのことですね。     おっしゃる通りです。 >>日本では夏目漱石が帝国大学の教師になった時代から、英文科という世界では文学は「読むこと」だけをもとめられます。     道理で帝国大学が無くなった理由が分かりました。

noname#163278
質問者

お礼

ありがとうございます。 お考えでは、英文科では文学を読むことより重要なことがあるということでしょうか。 「実用的英語運用能力の養成」などをお考えなのでしょうか。 「実用的英語運用能力の養成」と「英米文学」との両方を学べる大学英文科で、予想以上に「文学」を志向する学生が多く、文学担当の教員がかえって驚くという事例もあるそうです。

noname#202494
noname#202494
回答No.3

James Patterson のAlex Crossシリーズは、楽しみに読んでいました。ワシントンDC警察に奉職するプロファイラーのお話です。サイコ・キラーを追い詰めてゆくのが、面白いです。結構女性向けだと思います。お薦めです。 ベストセラーになるような探偵もの、スパイもの、古代遺跡の発掘ものミステリー、などは、一応試しています。 しばらく前から話題になっている”Fifty Shades of Gray”については、手が出ないです。 日本では、北方謙三、大沢有昌、辺りを読んだこともありますが、断然、アメリカのもののほうが、臨場感があります。 例えば、北朝鮮とイランが計画して、ニューヨーク、ワシントンDC,ロスアンジェルス、サンフランシスコに、同時にコンテナー船から原爆を打ち込むという筋の小説は、題名も作者も忘れてしまったんですが、”こんなこと書くと、また911の二の舞になるんじゃないか”と心配になったものでした。手に汗を握りました。 イギリスの小説では、アガサクリスティで、舞台がアフリカのものなど、今でも読んでいます。ハリー・ポターは、最初の5ページで挫折しました。本棚に全巻そろっているので残念なのですが。 運転ができなくなって、もっと時間ができたら、大学で読まされた古典を、今度は、自発的にもう一度、読んでみたいと思います。 あ、最後に、ドストエフスキーの小説と聖書は、英語で読んだほうが判りやすい、というのが私の持論です。

noname#163278
質問者

お礼

詳しいお答えありがとうございます。 参考になります。 聖書は英語で読んだ方がよいという御判断には95%くらい、同意見です。英語聖書だと多くの「固有名詞」の発音を自分のなかで、いかに整理して行くかに迷います。「ジョン」ではなく「ヨハネ」と覚えたいという好みがございます。 ありがとうございました。

  • --kaze--
  • ベストアンサー率71% (5/7)
回答No.2

英文科を卒業して15年近く経ちますが… 卒業後、1冊も原文で読んでないです 自分の曖昧な訳で読むより、専門家が翻訳した本を読んだ方が楽しく読めますし 仕事で英語を使っているのなら、語学力の維持のために必要かとも思いますが、趣味として原文を読むことはないですね まぁ、全然英語に触れてこなかった今となっては、読めないというのが本当のところですけど 読める英語力があるのなら、趣味の一つに加えておくのも良いと思いますよ

noname#163278
質問者

お礼

ありがとうございます。 たしかに小説は難しいですね。 たとえば、「化粧品名」、「タバコの名」など、いろいろな点で「常識」が違うことなどもネックかと思います。 ありがとうございました。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.1

1。   英語は日常的に使っていますが、他にも趣味がいろいろありますので、英米の小説はまったく読んでおりません。 2。  ですから月に一冊は読んでおりません。むしろ拾い読みを数十冊(数百冊の時も)という方向です。

noname#163278
質問者

お礼

ありがとうございます。 「英語を使う」ということと「英語小説」を読むこととは、全く別の二つのことですね。 日本では夏目漱石が帝国大学の教師になった時代から、英文科という世界では文学は「読むこと」だけをもとめられます。