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「玉の緒」のイメージ
国文学詳しい方いらしたら教えてください 「玉の緒」っていう言葉なのですが「玉を貫きとおした細紐、または首飾り」から派生して「魂」にひっかけて「命」という意味がありますよね イメージ的には、玉をつなぐひもそのものが命で、命がたえるとはひもがプツンと切れることなのでしょうか。 それとも、玉(=魂)のほうが命で、死ぬとは命の玉と現世をつなぐ紐が切れる、という意味なのでしょうか。
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イメージを持つのにおすすめの和歌を二首ほど。 玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることのよわりもぞする ~私のこの命よ、絶えてしまうのなら絶えてしまえ。 このまま生き長らえていると、堪え忍ぶ心が弱ってしまうから。 百人一首にも撰られた、式子内親王の歌です。 今までひた隠しに耐え忍んできた恋心、 その思いが堰を切って流れ出してしまいそうでつらい いっそのこと、この命の緒が切れてしまえば楽なのに・・ と言う、激しい切ない恋の歌ですね。 ぬきもあへずもろき涙の玉の緒に 長き契りをいかがむすばむ ~つなぎとめることも出来ない涙のような儚い命なのに 末長い契りなど結ぶことがどうしてできましょうか。 源氏物語の中に見える、大君の歌です。 「あげまきに長き契りを結びこめ おなじ所によりもあはなむ」 (固いあげまき結びに、末長く固く結ばれるように契りをこめて あなたと一緒に暮らしたいものです。) と言って迫る薫の求婚を断る歌です。 命を「こらえきれない流れ落ちる涙のような」と比喩しています。 このように、 「儚い命」を表現するときに「玉の緒」と言い回すことが多いように思います。 決して詳しい者ではありませんが、 ご参考までにどうぞ。
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- shirokuro1533
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「玉の緒の」とすれば「長し」「短し」「絶ゆ」「乱る」「継ぐ」「現し心」などにかかる枕詞です。どれも玉を貫く緒の状態に関連しています。 ですから特に上代文学の世界などでは、実際の運用として、「玉の緒」といった表現に注目するより、まずは「玉」に重点を置いて、古代人の死生観や霊魂観などを明らかにする場合が多いですよね。 では古代人にとっての「玉」とは何なのか?ということですが、具体的に海辺の貝や小石などを指して「玉」と表現する例など、『万葉集』では多いですよね。 妹がためわれ玉拾ふ 沖辺なる玉寄せ持ち来 沖つ白波(9・1665) などですよね。なぜ貝や小石は「玉」と呼ばれたのか?については、海のかなたに思い描かれた「常世」の国からもたらされたと、信じられたからなのでしょう。不老不死の国である常世という理想郷。そこから波によってもたらされた「玉」は常世の霊力がこもる神聖な存在だったんですね。 そういった意識の中で、生命力豊かな「玉」を身に帯びるなどして感染させることにより、自身の霊魂をも充足させる営み。特にそのような行動を「タマフリ」と呼んだりもしますよね。 ですから、「玉」≒「霊魂」ということであり、それは生命の象徴であった。ようは玉(霊魂)が離れてゆくから生命も勢いをなくし、外部などから新たなる霊魂が取り込まれれば、命もまた活性化してゆくという死生観なんですね。ですから、ご質問の >玉(=魂)のほうが命で、死ぬとは命の玉と現世をつなぐ紐が切れる、という意味なのでしょうか。 については、むしろ命と現生をつなぐ紐というのは、比喩であり、あくまでも生命の根源にかかわる玉(霊魂)をひきとめる営みにこそ、真意があったんじゃないですか? 「玉と現生」をつなぎとめるのではなく、離れ行く玉(霊魂)を肉体などにつなぎとめる。といった思想を基に、そのような営みを、具体的に紐という道具に仮託して表現しているという事ではないんですかね?
お礼
ありがとうございます! 3,4番の方にも申し上げましたが生死観についても理解しておく必要があったのですね。現代語の「命」に単純に置き換えようとするからこんがらがってしまったのですね… 上代のころから考えていただきありがとうございました☆とても参考になりました。
- TANUHACHI
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失礼。 >ここに表された「緒」には二つの意味が重なっていて、一つは「あの人と私を結ぶ恋の糸」そしてもう一つがこの世に生まれ出でてきた時に結ばれていた命の絆としての臍の緒、つまり「」との解釈です。 との文中にある「」の内容を書き落としていました。正しくは >ここに表された「緒」には二つの意味が重なっていて、一つは「あの人と私を結ぶ恋の糸」そしてもう一つがこの世に生まれ出でてきた時に結ばれていた命の絆としての臍の緒、つまり「二つの縁(えにし)、結び付き」との解釈です。
お礼
ありがとうございます。私の表現がわかりにくかったにもかかわらずご解説くださりありがとうございます。 そうか、「死」の概念について先に深く理解しておく必要があったのですね!! 私的には、もし玉=魂でつなぐ紐が切れるのであれば、死ぬとは霊魂が自由になってふらふら、で、紐自体が命なのであれば、死ぬとは命自体ががちぎれるのだから、痛い!そしてちぎれたらそれっきり、というイメージの区別がありました。 言葉を理解するには、裏にある宗教観への理解も必要ですね。勉強になりました。
- TANUHACHI
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こんにちは。僕も百人一首の「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする」式子内親王の作を思い浮かべました。 とはいえ、玉の緒はネックレスやペンダントヘッドを通すチェーンの様な糸紐状のものとは少し意味も異なってきます。紐である緒は「何かと何かを結び付ける」もの、つまり紐帯の意味があります。 この作は恋の歌です。それも「叶わぬ恋の歌」であり、そうした背景を踏まえて読んでみますと「このまま生きながらえていると、今まで堪え忍んできたあの人への恋心の堰が破れてしまい、恋心が他人に知られるかもしれません。ならばいっそのこと、この命よ絶えるのならば今この場で切れてしまっておくれ。恋を忍ぶ気持ちが弱くなっても困るから」との壮絶な恋心が伝わってきます。 これは僕の印象ですが、ここに表された「緒」には二つの意味が重なっていて、一つは「あの人と私を結ぶ恋の糸」そしてもう一つがこの世に生まれ出でてきた時に結ばれていた命の絆としての臍の緒、つまり「」との解釈です。 ご指摘のように「玉」が「魂」の意味を示すことは様々な先学の言葉にも見て取ることができます。それは「今ここに在る・居るもの」との意味であり、「緒」は「端緒」や「舫い綱」のように「端と端」「誰かと誰か」を結び付ける橋渡しに相当する。そこから転じて「時間としての一人の人間の生涯」を示すに至ったともいえましょう。 端と端を結ぶと一つの輪の形になります。それはグルグルと同じ場所を回り続けるかのようにも見えますが、一方では仏教やキリスト教に見られる「循環構造としての時間」の考え方や志を継承する者などのような「使命のリレー」のモチーフも感じることができます。どこに行き着くともわからない、誰も知らない問いの答えを求めて彷徨い続けてトボトボと歩く姿をイメージするならば、そこを歩く旅人が「玉」であり、その旅路が「緒」であると感じます。 「言葉の性質」から考えた時、辞書的な言葉の使い方と文脈から読みとる言葉の使い方があって、辞書的な使い方にしっくり来ない時には、文脈から読みとった言葉の意味を僕は使うとの考え方を持っています。ですので式子内親王の作を読む時には、僕は「縁(えにし)としての紐」と解釈します。 【追記】 「玉(=魂)のほうが命で、死ぬとは命の玉と現世をつなぐ紐が切れる」。結局のところこの文章は「玉は魂であり命と同義である。そして死ぬとはこの世からその紐帯が消えることである」との意味ですよね?。であるならば、 (1)「玉をつなぐひもそのものが命で、命がたえるとはひもがプツンと切れること」 (2)「玉(=魂)のほうが命で、死ぬとは命の玉と現世をつなぐ紐が切れる」 の文章は同じ意味になりませんか?。 もし質問をお立てでしたら、「玉の緒」の解釈について、そこで人生に終止符が打たれることの比喩であるとの解釈に立つならば、「緒が切れる」ことを表現しているのか、それとも「玉(魂)が失われる」ことを表現しているのか、との単純な形になさった方が適切かと存じます。それにしてもわかりにくい文章ですね。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
僕でも知っている「玉の緒」で始まる歌と言えば、式子内親王の 玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする ですが、「我が命よ、絶えてしまうのなら絶えてしまえ。このまま生き長らえていると、堪え忍ぶ心が弱ってしまうと困るから」という意味ですから、「イメージ的には、玉をつなぐひもそのものが命で、命がたえるとはひもがプツンと切れること」という前者の意味でしょう。
お礼
ありがとうございます★ そうですね。紐が命の意見のほうが多いみたいです☆
お礼
ありがとうございますっ☆ 百人一首のほうしか思いつかなかったのでとても参考になりました! 「むすばむ」だからやっぱり「命」は紐のほうかな…