• ベストアンサー

古代インドの太陽崇拝

古代インドの太陽崇拝はどのようなもの だったのでしょうか。 ヴェーダ賛歌などに該当箇所はありますか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.2

スーリヤ(Surya)は、インド神話に伝わる太陽神。天空神ディヤウスの息子とも、闘神インドラの息子ともされる。(インドラと並ぶ実力を持つ)また、原初の巨人プルシャの目から生まれたとも言われる。妻にサンジュニヤーがいる。 スーリヤは太陽神故に全身から高熱を発しており、生まれた時に母親に放り出されたとされる。 スーリヤは古代の 「ヴェーダ」 時代からの重要な神で、その信仰はカシュミール地方に始まった元々遊牧騎馬民族の神で、ブーツを履き、馬が引く戦車に乗る スーリヤは一般的に、金髪に三つの目、そして四本の腕を持つ姿で現される。7頭の馬が引く戦車に乗り、天を翔るという ヒンドゥ教の時代になるとその地位はヴィシュヌ神に取って代わられる 春分、秋分の日に、夜明けの陽光さす瞬間に、太陽神スーリヤは御者アルナと 7頭の馬に引かれて天翔 (あまが) ける、一日の天空の旅へと出発する ヴェーダでスーリヤは「ミトラ、ヴァルナ、アグニの目」として頻繁に言及され、ゾロアスター教では太陽が「アフラ・マズダーの目」と表現される。現代のサンスクリット語では「アーディティヤ」が単数形で「スーリヤ(太陽)」の同意語  叙事詩『マハーバーラタ』でスーリヤは、クル王パーンドゥの妃クンティーの若い頃の過ちにより、英雄カルナの父となる 叙事詩『ラーマーヤナ』でスーリヤは、猿王スグリーヴァの父となる http://ganisa.com/kamisama/blog/2010/12/15/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%A4surya/ http://www.gregorius.jp/presentation/page_59.html http://sunandmoon.blog.so-net.ne.jp/2012-03-01 http://www.kamit.jp/02_unesco/09_konarak/konarak.htm ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ サヴィトリ(Savitr)は、インド神話における太陽神の1つ。「鼓舞者」、「激励者」、「刺激者」などの意で、太陽が陽光によって万物を刺激、鼓舞し、活動を促す1側面を神格化したもの。そのためバラモン階級の人間が最も神聖視し、毎朝唱える讃歌ガーヤトリーはサーヴィトリーとも呼ばれる。 『リグ・ヴェーダ』では10篇ないし11篇の讃歌を持ち、ヴァルナやアリヤマン、バガといった神々と結びつけられている。サヴィトリは黄金の眼と、黄金の両腕を持ち、黄金の車に乗る。サヴィトリは生物、無生物を問わず万物を刺激し、それによって宇宙を維持するが、1日の終わりには人々に眠りをもたらす。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%88%E3%83%AA ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ インドの太陽神 概説 『スーリヤ』『サヴィトリ』『ヴィローチャナ』 http://homepage2.nifty.com/nihonshingaku/page016.html http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A4%E7%A5%9E%E7%BE%A4 太陽は多く場合、馬に引かれた戦車に乗って天空を駆ける インドのスーリヤ、ギリシャのヘリオース、北欧神話のソール 仏教では日天とされる

noname#195588
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 たくさん紹介していただき感謝します。

その他の回答 (1)

回答No.1

 こんばんは。  《太陽崇拝》にかんしては 太陽をふくむ自然界のものと人間の機能(器官)との対応がとらえられているのだという説を 次の書物が紹介しています。  ▼ (服部正明:大宇宙と小宇宙の対応) ~~~~  ・・・たとえば 『チャーンドーキヤ・ウパニシャッド』3・18には 《ブラフマンの四足》が考察されているが  《個体に関して》は 語(発語機能)・気息・眼・耳が  《神格に関して》は 火・風・太陽・方位が  ブラフマンの四足であると述べられている。  このような対置の基礎には 神格として表象される自然界の諸要素と 人間の諸機能との間には対応関係がある という考え方がある。諸機能の集まりである人間は 諸神格によって構成される大宇宙に対する小宇宙と考えられているのである。  大宇宙と小宇宙の対応の思想は 『リグ・ヴェーダ』の中にすでにあらわれている。《葬送の歌》(10・16)に次の一節がある。    眼は太陽に赴け 生気(アートマン)は風に。    規範(自然との関連)に従いて天に行け また地に。・・・  人が死ぬと 彼を構成していた諸機能は それぞれ対応する自然界の要素の中に 解消すると考えられているのである。  『リグ・ヴェーダ』第十巻に収められている哲学的讃歌の一つである《原人(プルシャ)の歌》(10・90)には 太初に神々が巨大な原人を供物として祭祀を行なったとき そこにも同じ対応の思想があらわれている。    神々が原人を祭供として祭祀を執行したるとき・・・    月は意(思考器官)より生じたり。    眼より太陽生じたり。    口よりインドラとアグニ(火神)と    気息より風生じたり。・・・  (服部正明:『古代インドの神秘思想 初期ウパニシャドの世界』 1979)  ~~~~~~~~~~~~~~~  広く見渡してどうなのか? そこまで行き届いていませんので その点おことわりいたします。

noname#195588
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 自然と人間の対応関係という思想があるのですね

関連するQ&A