こんばんは。
《太陽崇拝》にかんしては 太陽をふくむ自然界のものと人間の機能(器官)との対応がとらえられているのだという説を 次の書物が紹介しています。
▼ (服部正明:大宇宙と小宇宙の対応) ~~~~
・・・たとえば 『チャーンドーキヤ・ウパニシャッド』3・18には 《ブラフマンの四足》が考察されているが
《個体に関して》は 語(発語機能)・気息・眼・耳が
《神格に関して》は 火・風・太陽・方位が
ブラフマンの四足であると述べられている。
このような対置の基礎には 神格として表象される自然界の諸要素と 人間の諸機能との間には対応関係がある という考え方がある。諸機能の集まりである人間は 諸神格によって構成される大宇宙に対する小宇宙と考えられているのである。
大宇宙と小宇宙の対応の思想は 『リグ・ヴェーダ』の中にすでにあらわれている。《葬送の歌》(10・16)に次の一節がある。
眼は太陽に赴け 生気(アートマン)は風に。
規範(自然との関連)に従いて天に行け また地に。・・・
人が死ぬと 彼を構成していた諸機能は それぞれ対応する自然界の要素の中に 解消すると考えられているのである。
『リグ・ヴェーダ』第十巻に収められている哲学的讃歌の一つである《原人(プルシャ)の歌》(10・90)には 太初に神々が巨大な原人を供物として祭祀を行なったとき そこにも同じ対応の思想があらわれている。
神々が原人を祭供として祭祀を執行したるとき・・・
月は意(思考器官)より生じたり。
眼より太陽生じたり。
口よりインドラとアグニ(火神)と
気息より風生じたり。・・・
(服部正明:『古代インドの神秘思想 初期ウパニシャドの世界』 1979)
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広く見渡してどうなのか? そこまで行き届いていませんので その点おことわりいたします。
お礼
回答ありがとうございます。 たくさん紹介していただき感謝します。