インドで仏教が衰退したのはグプタ朝(320頃~550頃)期からであり、イスラム教がインドに伝来したのは一番早く考えたとしてもガズナ朝(962~1186)の時ですから、イスラム教の流入は関係ありません。もっとも、13世紀初め,仏教の教団根拠地であったビクラマシラー寺院というのがイスラム勢力に破壊されてインドの仏教は完全に消えるのでその意味ではとどめを刺したのはイスラム教徒であると言えるかもしれませんが・・。
さて、仏教の成立後、マウルヤ朝のアショーカ王、クシャーナ朝のカニシカ王などが仏教を保護し、このクシャーナ朝時代に大乗仏教が成立していくわけです。ここで注意しなければならないのはクシャーナ朝というのはイラン系の民族が建てた王朝でアフガニスタンにその主要部があり、インド西北部も支配した国家で純粋なインドの政権ではないということです。
次のグプタ朝期になると、外国人を追い払ったという意識から「インド人のインド」という感情が芽生え、インドでは古典復興ともいうべき動きが生じます。例えば「マハーバラータ」「ラーマーヤナ」などの古典文学(ヒンドゥー教関連の重要書でもあります)やカーリダーサが「シャクンタラー」を書いたのもこの時期で「いにしえのインドに戻れ」という気持ちを盛り上げていきます。
どうやらこのことが原因となって仏教が急速にすたれ、バラモン教の発展した形のヒンドゥー教が隆盛と成っていくようです。
もちろん、グプタ朝期ではまだ仏教の勢力も残存し、グプタ様式と呼ばれる文化が栄えたことも事実ですが、この時期に民衆の間では仏教からヒンドゥー教へという信仰の変化が起こり、仏教の開祖である仏陀もビシュヌ神の化身の一つであるとされてヒンドゥー教に取り込まれていきます。
その理由として、ヒンドゥー教が人々の生活に密接に結びついていたのに対し、仏教の寺院は僧侶の修行の場であり、教義の研究の場であって、民衆との結びつきがほとんどなかったことが大きな原因
とされています。
仏教の最後の保護者と言えるのはヴァルダナ朝(606~647)のハルシャ=ヴァルダナですが、この王にしても初めヒンドゥーの信者であったのが仏教に改宗したと言われています。また上にも述べたように仏教寺院が民衆の信仰により成立していたとは言いにくい側面から、ナーランダ寺院などもこうした後援者がいなくなれば必然的に衰退していくわけです(玄奘がインドにきた時にはすでに玄奘に勝る仏教僧はいなかったといわれています)。そして、上に述べたように仏教の最後の拠点が破壊されてインドから仏教が消えていくのです。
最後に念のためですが「坊さんが私腹をこやした」からではありません。
お礼
非常に分かりやすいご説明ありがとうございました。 参考にさせていただきます^^