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この文章、どこかおかしい気がするのですが。。

「子供のころから心にきめていたのは、国際線のCA。 当時は大変な高嶺の花で、競争倍率も今と違って大変高いものでした。 でも私には(前述の別の職業に比べ)こちらのほうが肌に合っていたように思えます。」 ”肌に合っていた”からには筆者が国際線のCAだったと 伺えますが、自分が(最終的に)就いた職業について ”大変な高嶺の花”と表現するでしょうか?

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回答No.3

しないでしょうね「高嶺の花」は付加価値ある意味金額です。そしてその後の文章で競争倍率が大変高いと書いて有るわけですからなおさら「高嶺の花」は全く意味をなさないもの、「自分が高嶺の花だと主張したい」のだと取られてもおかしくない文章です、まあそういう意味で書いたのならおかしくないのかも知れませんが。

noname#188303
質問者

お礼

>「自分が高嶺の花だと主張したい」のだと取られてもおかしくない文章です 正に同じ印象を持ちました。  「国際線CAになるのは並大抵のことではないと解っていたのですが、どうしても夢が捨てきれず、高い倍率をくぐりぬけ~」としないと、どうもイヤミな感じです。(笑) 回答ありがとうございます。

noname#188303
質問者

補足

この筆者の心理を見抜いていらっしゃるような、簡潔な回答と感じました。 筆者はふだんは国語力のある方なのですが、これは「国際線CAにはなりたくない」という意見に対して、その直後に書かれたもののだったので、”プライドを誇示”する方に意識が集中しているような文章になってしまったかもしれません。 皆様の回答に感謝申し上げます。 (一回答しか選べず恐縮です)

その他の回答 (6)

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.7

たしかに、これは自慢と受け止められる危険性を孕んだ構文になっています。 しかし、それは「高嶺の花」という言葉自体ではなく、作者の国語表現力の不足がなせる業だと思います。仮に、以下のような構文であれば、さほど違和感は覚えないのではないでしょうか。 「子供のころから心にきめていたのは、国際線のCA。 当時は大変な高嶺の花で、競争倍率も今と違って大変高いものでした。 でも私は(前述の別の職業に比べ)こちらの【職業にどうしてもつきたかったのです。それで・・・】」 原文の表現が自慢めいて聞こえてしまうのは、「高嶺の花が私の肌に合っていた=私は高嶺の花と同等だ」という解釈を許してしまっているからです。防御策として3つほど思い浮かびます。 a. 「競争倍率も」ではなく「競争倍率が」とする。 「別の職業」というのはおそらくCA より競争倍率は低かったはずで、筆者の意図もそこにあったと推測できるからです。 b. a と同様の理由からですが、競争倍率に重点を置いていることを明確にするため関連表現を挿入する。 「当時は大変な高嶺の花で、競争倍率が今と違って大変高いものでした。【比較的楽に就くことのできる[別の職業]にしようか、という弱気が頭をもたげたこともあります。両親からも無茶なことはやめろと言われたりしました。】でも【いくら倍率が高くても】私には(前述の別の職業に比べ)【お客様と機上で触れ合いながらその安全を守るという】こちらの【仕事内容の】ほうが肌に合っていたように思えます。」 c. 「高嶺の花」が筆者自身も含めた印象であったことを強調するために、『当時の女性にとっては高嶺の花で』とする。 あるいは、その表現を使わずに『当時の女性が憧れる職業の筆頭で』などとする。 あと、細かい点ですが、大変遠いところにあるのが高嶺の花なので、「大変な高嶺の花で」は厳密に言えば重複表現として違和感を与えます。 また、「競争倍率も今と違って大変高いものでした」も不自然です。 『競争倍率も今と違って非常に高いものでした』とするのが妥当でしょう。 さらに、前後の文脈が不明なのではっきりとはわかりませんが、倍率が高いにも拘わらず CA を選択した理由を述べている箇所であれば、「肌に合っていたように思えます」ではなく「肌に合っているように思いました」とすべきでしょう。 全体的にまとめると、 「子供のころから心にきめていたのは、国際線のCA。 当時の女性が憧れる職業の筆頭で、競争倍率が今と違って非常に高いものでした。 でも私には(前述の別の職業に比べ)こちらのほうが肌に合っているように思いました。」 あるいは、 「子供のころから心にきめていたのは、国際線のCA。 当時の女性にとっては高嶺の花で、競争倍率が今と違って非常に高いものでした。 でも、いくら倍率が高くても、私には(前述の別の職業に比べ)こちらのほうが肌に合っているように思いました。」 などとなります。 「高嶺の花」は無いほうが無難かもしれませんが、さほど違和感のない表現も可能であることがご理解いただけると思います。   

noname#188303
質問者

お礼

>これは自慢と受け止められる危険性を孕んだ構文になっています。 結果的にそう受け止められてもおかしくない文だと思いました。 なぜなら、筆者のふだんの文章は国語表現力が不足しているどころか、秀でていたのですから。。 仰るように、また先の方へのコメントにも書きましたとおり、”大変な高嶺の花”という表現には私も違和感をもちました。 ”高根の花”という表現がこの文章に含まれるだけでも奇妙なのに、”大変な高根の花”と誇張してしまったのは、「いかに私が素晴らしいか」を表現したい心理が働いていた、と取られてしまうような構文になったという気がしました。 例文をもご提示いただきありがとうございます。

noname#188303
質問者

補足

皆様の回答に感謝申し上げます。

  • mota_miho
  • ベストアンサー率16% (396/2453)
回答No.6

特におかしいところはないと思います。 あと、こまかいことですが、変換ミスがあるようです。 》伺えますが、   ↓ 「窺えますが」  

noname#188303
質問者

お礼

そこに視点を置かれましたか。。(笑) ありがとうございます。

  • bakansky
  • ベストアンサー率48% (3502/7245)
回答No.5

ご質問のタイトルに 「どこかおかしい」 とあったので、どこがおかしいのか指摘してもらいたいというものかと思ったら、そうではなくて 「自分が(最終的に)就いた職業について ”大変な高嶺の花”と表現するでしょうか?」 というのがご質問なのですね。 > ”肌に合っていた”からには筆者が国際線のCAだったと伺えますが  これは既に指摘された方がおられますが、お示しの引用からは得られない情報です。  ついでに記しておくと、「伺う」 を 「推察する」 の意味で用いておられますが、「伺う」 は 「聞く、たずねる、問う」 の謙譲語ですので、うるさいことをいえば、正しい用法ではありません。 > 自分が(最終的に)就いた職業について ”大変な高嶺の花”と表現するでしょうか?  私は、不自然には思いません。筆者がまだその仕事に従事していない時点において、「高嶺の花」 という言い方をされてもおかしくない仕事の1つだった、という事実を述べているだけです。  別の職業を志すという選択肢もあったのだが、自分が選んだのはCAという仕事の方だった。しかし、結果的には 「こちらのほうが肌に合っていた」 という実感を感じる、という内容です。  現在の視点から現在の自分の仕事について 「高嶺の花」 と称しているのなら、それは不遜のそしりを免れないかもしれませんが、過去の事実を述べるにあたって用いられており、当時の筆者はその仕事に就いていたわけではありません。周囲の者たちからは、「競争の倍率」 を根拠に、「CAなんて無理じゃないの?」 という声があったのかもしれません。  「不適切な表現であるとすることは当たらないと思います。

noname#188303
質問者

補足

(以下、No.2の方への補足のコピーです) 前文は載せませんが、下記のように補足します; 「競争倍率も今と違って大変高いものでしたが、私には(父が私に期待した医師になるよりも)こちらのほうが肌に合っていたように思えます。」 実際、筆者はCAだったようです。

noname#182038
noname#182038
回答No.4

こんにちは。 手に入らない、見ているだけのモノ、の意ですから使用場所はチグハグです。 この言葉の前に自分以外の手にしたい人が書かれるべきでしたね。 が自慢したい気持ちが勝ちすぎますと誤りに気付かない可能性が有ります。

noname#188303
質問者

お礼

>自慢したい気持ちが勝ちすぎますと誤りに気付かない可能性が有ります。 正にそんな印象を与えてしまう文だと感じました。 >手に入らない、見ているだけのモノ、の意 >この言葉の前に自分以外の手にしたい人が書かれるべきでしたね。 私も「高嶺の花」とは「自分に(自分の力量で)は届かないので、ほぼ諦めている対象」のように思っていたので、実際その職に就いた筆者が使うには妙な気がしたのです。 また用いるならば、”一般には””まわりでは”と自分以外の主語を補うなりした方がいいのではないかと思いました。 回答ありがとうございます。

  • marbleshit
  • ベストアンサー率49% (5033/10253)
回答No.2

〔高嶺の花〕であったCAよりも、現在の職業が〔肌に合っている〕と言っています。 従って過去においてCAに就業していたかどうかを、この文章だけで判断することは出来ません。

noname#188303
質問者

補足

前文は載せませんが、下記のように補足します; 「競争倍率も今と違って大変高いものでしたが、私には(父が私に期待した医師になるよりも)こちらのほうが肌に合っていたように思えます。」 実際、筆者はCAだったようです。

  • FEX2053
  • ベストアンサー率37% (7991/21371)
回答No.1

微妙に用法が間違ってると思いますよ。 「高嶺の花」は「モノ」に対して使う言葉で、基本的に「手に 入れたいが手に入らない"モノ"」を言います。 ですので「CAの資格」なら「手に入るもの」で「高嶺の花」と 言っても間違いじゃないと言えますが、「CAという仕事」は 手に入れるものじゃないので、「高嶺の花」とは言えません。 むしろ「CAやってる人を恋人にする」のが「高嶺の花」だったん ですけどね・・・昔は(苦笑)

noname#188303
質問者

お礼

そうですね。 (国際線CAというのは)”高嶺の花のような存在で”とでも言うのでしょうか・・? また”大変な高嶺の花”という表現も聞いたことがありません。 ”高嶺の花”で”手に届かない”を説明しているので、「クドイ」というのでしょうか。。 回答ありがとうございます。