- 締切済み
白黒テレビ・カラーテレビ初期の思い出について
過去に何度も質問しましたが、また新たな回答を募りたいと思いますので(以前の質問に気が付かれなかった方や、当方が以前の質問を締め切った後新たに登録された方など)、改めて質問します。 当方は白黒テレビやカラーテレビ初期は生まれていなかったので、その頃の思い出があまりない状態です。当方の地元が4系列出揃っていなかった時代(出生~1990年代初頭)すらロクに記憶がないほどですので、テレビが高根の花だった時代など全く知らないのが実情です(以前の質問で見られた「魔法使いサリー」の場合、当方は平成版開始当時ですらまだ小学校に入っていませんでした)。 なので、概ね白黒テレビすら高根の花だった時代から、カラーテレビへの移行がほぼ完了する頃まで(概ね1950年代前半~1970年代半ば)のテレビの思い出を聞かせてください。
- みんなの回答 (13)
- 専門家の回答
みんなの回答
- 19800923d
- ベストアンサー率17% (44/250)
母の実家に、白黒テレビがありました。 新しくカラーテレビに買い替えた時に、 カラーが茶の間に来たので、 子供部屋に白黒が移動されて、 叔父や叔母が大人になってからも ずっとそのまま繋いであり、私も見ました。 泊まりに行った時は、 妹と、白黒を見ながら、 本当の色は何色なのか、当てっこして遊びました。 白黒で見て、洋服の色とかを予想して、 カラーテレビで確認したりして、楽しかったです。
- smi2270
- ベストアンサー率34% (1640/4699)
こんばんわーー ☆ 昭和42年生まれです。子供の頃は食卓のTVが白黒で・・・ チャンネルがよく取れましたねーー。 今は「リモコン」ですが 未だに「あれ?チャンネル何処いった?」と、言ってしまいます・・・汗 懐かしい思いが込み上げてきました 有難う御座います。
お礼
ありがとうございました。 「チャンネル=リモコン」という考えは、いまだにあるようですね。
- 2012tth
- ベストアンサー率19% (1893/9468)
50代♂ 白黒テレビの思い出は、旧鉄腕アトム (途中でカラー化)、旧鉄人28号 遊星少年パピイ、スーパージェッター (途中でカラー化)、宇宙少年ソラン 旧魔法使いサリー (途中でカラー化)、 丁度…白黒~カラーの中間だったので?番組に寄り異なる仕様だった。 カラーテレビの思い出、旧仮面の忍者赤影 (実写版) [戦隊物の原点]、 第1期~3期まで作られて、第2期で最大8人に成り、影支配・猿飛役が 当時デビューしたての里見浩太朗だった。[司令官役] 白黒、カラー間で思い出に残るモノは、NHK の少年ドラマ・シリーズ、 映像の殆どは失われています。1期~6期まで作られた。 後は、NHK で放送されていた。国際救助隊サンダーバード [新作が10月より] キャプテン・スカーレッド、スーパー少年ジョー90 [旧作は人形劇]、 新キャプテン・スカーレッド (新作) [3D.CG アニメ]、 来月より NHK で放送される新国際救助隊サンダーバード (新作) [3D.CG アニメ] どちらも、米国制作。
お礼
回答ありがとうございました。 昔の番組は、VTRのテープもデッキも高級車~高級住宅並みの価格で、しかも法律も厳しくて、安易に残せなかったのが実情のようです。
- 1951715
- ベストアンサー率20% (124/609)
家のブラウン管のテレビ(白黒)は、テレビの前に映画館の緞帳のように幕が下りていて、チャンネルを入れる前にこの幕を上へあげて見ました。又、スイッチを切ると、すぐ切れずに、水平に光の線が残り、やがて真ん中に光の点になってしばらく残っていましたね。 民放のCMも、初期は動画ではなく、紙芝居のようで、文字と絵とが画面に出て、説明は、声と音楽とで、していました。NHKテレビは、番組の開始の時、バラの花が、開き、始まりました。終わる時は、バラの花が閉じて終わりました。(番組が、次から次へと続くのではなく、何も映らない休憩の時が多かったです。)番組開始前には「テストパターン」と言って白黒の濃度の調節をする画面が映りました。
お礼
ありがとうございました。 白黒テレビも、初期は今の値段で300~500万円はしていましたね。
- 芙蓉の華(@purimuro-zu)
- ベストアンサー率13% (1225/8755)
テレビが古くなり 映りが悪くなったり 映らなくなったりすると テレビをたたくのですよ。こら!!映れ・・ すると又 普通に観えてくるのです。 叩いてみればって よく言っていましたよ。 ちょっと違うかもしれませんが パソコンの調子が悪くなって 電源を切って入れなおすと直りますよね。 その代わりにテレビをたたく。だいぶ違うか。 それから近所の子供が 好きな番組になると見に来ていました。 私は スパイ大作戦 ニュ-ヨ-ク捜査網 木下恵介劇場 等が好きでした。
お礼
ありがとうございました。 調子が悪くなればたたくというのは昔の常とう手段でしたが、今は…
白黒テレビの時代は、民放1局、NHK(総合・教育)2局でした。 ケペル先生・フィリックス君・ひょっこりひょうたん島・不思議な少年 民放では月光仮面(大瀬康一)七色仮面、少年ケニアとか 力道山のプロレス(ブラッシー、ルーテーズも覚えてますが、豊登や 吉村道明が好きでした) スーパーカーというのは、ランボルギーニではなく、水陸空を移動できる 自動車の物語。 ウルトラQ 恐怖のミイラ あの時代にめずらしいホラードラマ 名犬ラッシー コンバット 歌番組では シャボン玉ホリデー クイズ番組では ずばりあてましょう あと ソニーが提供していたお洒落なクイズ番組がありましたが 思い出せません あとは11PM 松岡きつこ とか色っぽかった
お礼
回答ありがとうございました。 1940年代頃までは、首都圏でもラジオがNHKしかありませんでしたので、それからすれば民放1局でも当時は局が増えたほうですが…
団塊の世代ですから、小学生の時には白黒テレビが普及していました。 小学校男子の一番の思い出は、プロレス中継という回答が定番ですが、実はそれ以上に強烈な思い出があります。 それは、新東宝系のセクシー映画が、毎週午後3時ごろから放映されていたことです。 三原葉子さんの「海女シリーズ」「女王蜂シリーズ」とか、前田通子さん、三ツ矢歌子さんの「女真珠王」などで、バストトップもアンダーヘアーも見えませんが、豊満な胸と尻、太ももが見えるだけで、小学生は大興奮しました。1年以上にわたって、放映されていました。 周りに家族のいないことを確認してから、一人で悦に入ってました。
お礼
ありがとうございました。 規制が緩かったということは、それだけ昔は悪影響に対する資料が少なかったということになりますが…
- KGS
- ベストアンサー率24% (1324/5321)
最初に白黒テレビを購入したのが確か昭和36年くらいだと思います。 そんなに早くない購入時期だと思いますが、近所の家はまだ購入していなくて隣のおばあちゃんやおじいさんが相撲が始まったり、名犬ラッシーが始まるとよく見に来ていました。 当時は畳の上に置いていたのでテレビ台で穴があくのを防止するため、お皿のようなものの上に脚を置いていました。 魔法使いサリーは最初は白黒で見ていましたけど、途中からカラーになったように記憶しています。 当時は寝ぐせが付いたままの頭で学校に行くと「サリーちゃんのパパ」と呼ばれて冷やかされたりもしました。 カラーになったのは小学校の高学年くらいだったかな、家を新築したのでその記念に奮発して父親が買ったと記憶しています。 それまで画面の右下にカラー放送だと、「カラー」と出るんですよ。 カラーで見たらどんなに綺麗だろうかと期待していただけに、新築の家の床の間にでーんト置かれた立派なテレビに子供ながら優越感がありましたね(笑 今のフルハイビジョンや4Kなど比べるまでもありませんが、当時としては驚異の高画質で女性たちはシワが映るから嫌だとか、テレビカメラが来たら逃げていました。 このころのカラーテレビは画面に蓋が付いていたりビロードのような緞帳がついてイカニモ金持ち感を感じさせるものだったのかもしれません。 うちは、普通の地方公務員の家だったので無理して買ったのだと思います。 何故かこのころのテレビの上には「熊が鮭をくわえた彫刻」と博多人形が置かれているのがお約束みたいな感じでしたね。 チャンネルは今のようなリモコンも無く直接チャンネルを回すだけで、あと訳の分からないアンテナの切り替えみたいなのが付いていていまだにその構造は不明のままです。 チャンネルの取り合いというものがあって、本当にチャンネルが取れるというか外れるんです。 最初はびっくりして今でいう車のハンドルが外れたような衝撃を受けたものです。 でも、慣れというものは怖いもので兄弟で喧嘩をするとチャンネルを取っておくんですが、取られた方も慣れたものでペンチでチャンネルを回していましたね。 今となってはよき思い出ですが、当時のテレビを保存しておけばよかったのにと、それだけは残念です。
お礼
回答ありがとうございました。 カラーテレビは、出始めは間の物価に直せば後のハイビジョンテレビよりも高額でした。 ハイビジョンテレビも初期は150万円ぐらいしてましたが、カラー初期は今の値段でいえば300~500万円だとか。
- SPROCKETER
- ベストアンサー率26% (2125/7982)
1950~1970年代半ばと言えば、テレビ黄金期ですが、得体の知れない番組が多かった時期でもあります。初期のテレビ放送は白黒だったこともあって、放送倫理基準が甘く、真夜中に丸裸のお姉さんが出る番組がありましたし、昼間でも深夜の大人向け番組の再放送がおこなわれていた時代でした。 当時はテレビ機材が真空管を使用していたこともあって、放送が不安定で、たびたび放送中断や映像の乱れが多かった時期でした。生放送番組が多く、とんでもない放送内容が流れたり、政治家が暴言を吐いた内容がそのまま放送されて、視聴者からの苦情が殺到したり、今から考えると、面白かった時代でした。 1970年代半ばまでがアニメ絶頂期で、その頃のアニメ番組は全年齢層を狙って制作されていたせいか、家族全員で見られる面白かった番組が多かったように思います。当時は、茶の間で家族揃ってテレビを見るのが通例でした。 原色系の発色が良いブラウン管テレビ受像機が主流だった70年代は、アニメ番組の人気が高く、ドラマ、バラエティー、時代劇なども、馬鹿馬鹿しく、くだらないものが娯楽として好まれる時代でした。 白黒テレビもカラーテレビもブラウン管方式の受像機は、誘蛾灯効果と呼ばれて、脳が躁状態になるせいか、真面目な番組よりも、お笑いや恐怖物のような娯楽に人気があったように思います。 現在、放送されているテレビ番組でも、ブラウン管テレビで見ると、面白く感じる番組が多いだろうと思います。液晶テレビでは脳が躁状態の快感を覚えないので、視聴率が伸びないのですね。 そういう技術的な時代背景もあって、テレビ番組はドキュメンタリーやニュースを含めて、現実離れした感じで視聴していたように思います。今のようにリアリティーがある高解像度画像が見られない時代でしたからね。 液晶テレビ主流となった現在から、過去のテレビ番組を考えると、あんな番組のどこが面白かったのだろうと首を傾げるものが多いです。 80年代半ばに終了した「8時だよ、全員集合」や時代劇のような人気番組は、テレビ受像機の技術革新が進むほど、視聴率が落ちる結果を招き、打ち切りに至っていますが、画像品質が高くなり過ぎた結果だったのかもしれません。 アニメ番組の打ち切りが増えたのも、フルHD液晶テレビの普及と無縁ではないようで、4Kテレビになれば、ほとんどの娯楽番組は視聴率を維持出来ないだろうと思います。 ブラウン管テレビは観念的な映像表現が人気を呼ぶのに対して、液晶テレビは観念的な映像表現は敬遠される傾向があるように思います。
お礼
ありがとうございました。 技術の進歩が番組の質を低下させているとすれば、板挟みといえそうです。
- kohichiro
- ベストアンサー率21% (306/1447)
私の地方はNHKしか映らなかったので、子供の教育にはいい環境だったと思います。今の天皇が成婚した次の年に14インチの白黒TVを父が買いました(貧乏でしたので)。なので私が家を出るまでの3~4年は白黒テレビでしたね。NHKは2チャンネルあったので、その間をがちゃがちゃいわせてチャンネルダイアルを回すのが好きでした。早くgachagachagachagachagachagacha! とまわして、こわれるじゃないかっ、もっとゆっくりまわせ! とよく怒られていました。それと画面はかなり丸っこかったので、4隅に近い部分は見えませんでした。よく画面がずれてゆっくり全体が上へ上がっていったり下がったりすることがありましたね。 JFケネディ大統領が初めての衛星中継放送をするというので、母は楽しみにして速く起きていましたが、私がおきたら、ケネディさんが暗殺されたそうだけれど、どうなうんかな、と心配そうにしていたのを思い出しました。これはあまり質問とは関係ないかな。 家を出てから十年以上TVというものを見なかったのでそれ以降は思い出はありません。あっ、寮でだったかイレブンPMという結構アダルトな番組で水着のお姉さんを見た記憶もありました。これも白黒だったか?
お礼
ありがとうございました。 民放すら映らないとは…開局が遅れたのでしょうか?
- 1
- 2
お礼
回答ありがとうございました。 色のあてっこは自分からすれば、むなしさが…