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泉屋のクッキーとパーラーカー
正月に帰省した折に泉屋のクッキーを持ち帰ったのですが、母はそれを感慨深げに見ていました。 聞きますと母の幼少期(昭和39年ごろ)、近所の名士が東京主張の帰りに東海道線の特急列車の中で配られた泉屋のクッキーを惜しげもなく母にくれたそうです。 当時はクッキーなどの洋菓子はまして地方では貴重で珍しくそのおいしさが忘れられないそうです。 父所有の鉄道書を調べてみますと、当時東海道山陽線特急151系のパーラーカーでは泉屋かユーハイムかコロンバンのクッキーの袋詰めとコーヒーか紅茶が振舞われたそうです。 当時の時刻表を見ますと東京⇔大阪の運賃,料金は 2等乗車券 1,180円 2等特急料金 800円(合計1,980円) 2等急行料金自由席 300円(合計1,480円) 1等乗車券 2,170円 1等特急料金 1,760円(合計3,930円) 1等特別座席料金 1,650円(合計5,580円) 1等急行料金 660円(合計2,830円) 1等急行指定席料金 200円(合計3,030円) 航空料金 6,000円 となっており、パーラーカー利用金がいかに当時高嶺の花であったかがわかります。 当時と現在を比べようもないと思いますが、もし強いて比べるならば現在で言うと当時のパーラーカーは下記のどれくらいのグレードでしょうか? 1.国際線のビジネスクラス 2.国際線のファーストクラス 3.国際線のファーストクラス以上 また151系は東海道線東京新大阪間から撤退後、山陽線に転じてセノハチ対策等から181系に出力増強され、パーラーカーの利用者減から特別座席の半室化を経て昭和44年5月に全廃となっています。 当時の新大阪以西においてもかつてのようにコーヒーや紅茶,クッキー,車内電話やラジオ等のサービスは行われていたのでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
多分質問者さんと同年代で、現物は見たことがないのですが、パーラーカーは面白い車両なので原型となったアメリカの車両の情報も含めてあれこれ調べた経験があります。 東海道線・山陽線のパーラーカーのグレードは 3.国際線のファーストクラス以上 に該当するでしょう。現代の国際線のファーストクラスは金を出せば誰でも乗れますが、パーラーカーについてはそうはいかなかったと思います。 勿論、誰にでも席は売ってくれたと思いますが、名士ばかりの車両ですから、それなりの格好をして乗り込まなくてはいけなかったであろうし、給仕への対応の仕方とか、そういった世界を知らない人にはどうしたらいいか分からないようなことが結構あって、そんな事で緊張させられる位だったら、金があっても1等の普通座席のほうが気楽と考えて敬遠した成金は沢山いたんじゃないかと思います。 こういったグレートは座席構造やサービスの質というよりは、当時の社会や、鉄道を利用する乗客が作りだしていた品格とでもいうものでしょうか?昔の鉄道の威厳や栄光を感じさせるものですが、なれない利用者は緊張して大変だったかなとも思います。 ちなみに、パーラーカーは当時のアメリカの列車に連結されていた優等車両を真似たもの(URL参照 1960年代にはこれを近代的にしたような車内になっていました 王室専用車両のように見えますが、普通車の3~5割増しの運賃で利用できました)ですが、豊かだったアメリカでは、普通車が日本のグリーン車並の水準で、パーラーカーは普通車を少しだけ立派にした車両と言う位置付けでした。食事のシートサービスも受けられるなど、サービス自体は日本のそれと同等以上でしたが、ずっと庶民的で、普通のビジネスマンがよく利用していたそうです。今日本で昔のパーラーカーと同じ車両、サービスを提供しても同じような感じになると考えられます。
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- ultraCS
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記憶は全くないのですが、4歳の時にパーラーカーに乗ったようです(父母の話とクロ151の前で撮ったブローニーの写真が残っている)。 名古屋で県会議員をしていた本家の伯父の所での法事の時、かわいがられていた私だけ東京出張帰りの伯父に連れられて一緒に乗ったようです。当時の東京駅での写真を見ると、半ズボンに革靴、ジャケットに蝶ネクタイという、まさにお坊ちゃまが休日にデパートに向かう服装そのものです(当時、デパートは盛装して出かけるところだった)。わざわざそんな格好で乗ったのですから、それなりに格式はあったのでしょう。父母は多分、週末に急行東海で来名したのでしょう。帰路は家族で東海の二等だったはずです。 その後、本家の曾祖母を招待して熱海に行ったときに一等車に乗りましたが、このときも蝶ネクタイをしていました(こちらは記憶有り)。 パーラーカーは厳密にはクロですから旧来の一等ではなく、三等級時代の二等です。旧来の一等車のスイテなどと比べれば格は落ちるでしょう、本来の一等は皇族や華族、高級役人と一部の資産家しか乗れなかったようです。それにくらべれば名古屋郊外の田舎地主だった伯父(それでも、羽振りの良い県会議員でしたが)が普段使っていたのですから、ファースト以上というクラシファイドされたものとは違うでしょう。ファーストクラス程度といったところだと思います。旧一等は間違いなくファースト以上でしょうが。 自分が乗ってしまったために、そこまで高級とは思えないです(笑)。
お礼
ご回答ありがとうございます。 実際に乗られた方と乗ったことのない方では捉え方もかなり違うのですね。 パーラーカーは活躍期間が短いながら国鉄が生んだ名車だと思います。 絶対無理と思いますが、鉄道博物館のとき181系をクロ151に改造してもらいたい気がします。
- 風車の 弥七(@t87300)
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こんにちは。 質問者様のお母様とほぼ同年代のようです。 3.国際線のファーストクラス以上でしょう。 昔の特急は高嶺の花で一般庶民は良くて急行、大抵は準急に乗っていたものです。 特急に乗る事じたいがステータスでした。 それがパーラーカーになると金持ち!凄い!でした。 山陽線転属後は茶菓のサービス等は行われていたが、利用者減で廃止になったと思いました。 この辺はうろ覚えです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 当時の国鉄の特急列車の数は現在とは比べ物にならないほど少なく、料金等を見ても高嶺の花だったのでしょうね。 当時の特急停車駅の少なさからもそれは伺えます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 やはり当時の特別車両には一般人には近寄りがたいもの,無言の敷居のようなものが有ったのでしょうね。 今某航空会社のマイレージを利用すれば、日米線のファーストクラスも利用できるのですが、金さえ出せばというところは有ります。