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泣くじゃないか・・・

タイトルは一例ですが、この「泣くじゃないか」あるいは「泣くではないか」の「ではないか」という語尾は文法的にどう解釈したらよいのでしょうか。 外国の方が「『ない』は基本的に否定を表わすのに、どうしてここでは(二重否定でもないのに)否定にならないんだ」としきりに悩んでいらっしゃいました。私も考えましたけれど解釈できません。 よろしくお願いいたします。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.2

全く自分流な考えです。 ~ではないか を使う前には 必ず自分の思惑があって (この場合 泣くと思っていた) それを泣く本人は否定している 結局 泣く ほら、やっぱり泣くじゃないか ~ではない の時のないは 否定で使い ~ではないか と、『か』が 付くと全く別物になると 思います。 かをひとつ付けただけで その前に隠れている 言葉が現れるとでもいうか… 責めの言葉ですよね う~日本語の解釈は他の国の 方には難しいことしきりですよね。 泣くのであろう!って意味ですかネ 一緒に買い物行かないって 行ったのにぃ 行くのじゃないか! などは その人に 一応意思確認してるって訳ですよね スミマセン ますます混乱ですよね やっぱり何の参考にもならない こと連ねてごめんなさい  

naqik
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 いえいえ、失礼かもしれませんがとても楽しく拝見させて頂きました。 そういう考えは浮かんでこなかったのでなるほど、となにともなしに納得してしまいました(笑。 おっしゃられている事も解答の一つとして伝えてみたいと思います。 本当にどうもありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • kimosabe
  • ベストアンサー率59% (137/230)
回答No.4

このような日本語についての専門的な問題をここで質問なさっても満足な回答は期待できないでしょう。ぜひ以下に挙げる文献をお読みになってください。きっと何かが見えてくるはずです。 1、森田良行『基礎日本語1』(角川書店、1977年、339ページ~) 2、山口尭二「疑問表現の否定」(「国語と国文学」第61巻第7号、1977年) 3、仁田義雄「日本語疑問表現の諸相」(『言語学の視界 -小泉保教授還暦記念論文集-』(大学書林、1987年) 4、田野村忠温「否定疑問文小考」(「国語学」152集、1988年) 5、安達太郎『日本語疑問文における判断の諸相 』(くろしお出版 、1999年)  http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4874241751.html 2と4は雑誌論文ですから、国会図書館とか大学の図書館でないと閲覧できないかもしれません。しかし参考URLの質問者氏のような熱心な方もいらっしゃいます。

参考URL:
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=593046
naqik
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 現在海外在住ですのでご推挙された文献はすぐには読むことはできませんが、折りを見て手に入れてみようと思います。 わざわざありがとうございました。

naqik
質問者

補足

kimosabe様の補足欄をお借りして皆様に再度お礼申し上げます。 皆様のご意見を知人に述べ、納得されたようです。 よかった(^^ 皆様にそれぞれお礼を申し上げたいのはやまやまなのですが、そういう訳にも参りませんので、いろんな意味でまた新たに柔軟な考えをくださったNo.2様と英語での解釈をつけてくださったNo.3様に差し上げたいと思います。ご了承ください。 本当にどうもありがとうございました。

  • usagisan
  • ベストアンサー率71% (105/146)
回答No.3

 言葉の意味は言葉の順序や形によって違う場合もありますが、同じ言い方でも、その言葉が使われる場というか、文脈というか、前後の話の流れによって異なってくる場合があると思います。  順序の違いは例えば、  「きれいに咲いた花を摘む。」と「咲いた花をきれいに摘む」とでは、「きれいに」の位置(言葉の順序)が異なることで、どの動作がきれいに行われたかが違います。  形の違いの例は、「そうだ」という助動詞を例にとると、  「雨が降りそうだ。」と動詞の連用形の「降り」に付いた場合は、そういう状態や様子であるという「様態」を意味します。  「雨が降るそうだ。」と動詞の終止形の「降る」に付いた場合は、人から聞いたことであるという「伝聞」を意味します。  これらに対し、文脈の違いというのは、次のような例です。  「社長が食べられた。」という文には「られる」という受身・可能・自発・尊敬の四つの意味をもつ助動詞が用いられています。  この文を、「大食い競争をしたら、社員は次々と途中で脱落した。」という話の後で用いると、可能の意味になります。(昨今は「ら抜き言葉」の「食べれた」が一般化しつつありますが。)  また、「航空機がアフリカの草原に不時着し、乗客がライオンに襲われた。」という話の後で用いると、受身になります。  前日行われた宴会の様子を説明している時なら、「社長が食べられた。それで社員達も次々と箸をつけた。」という感じで、尊敬になります。(もちろん、「召し上がった」か「お食べになった」の方が好ましい言い方です。)  ともかく「食べられた」という部分だけ抜き出したのでは、いずれの意味かは決定できないと思います。  「ではないか」がNo.1さんがおっしゃるように「疑問・反問・詰問」の意味があるというのも、「ではないか」が文脈に応じて、それぞれの意味をとるということだと思います。  「社員に怪しいものはいない。犯人は【社長ではないか】。可能性はある。」の場合は、疑問ですよね。  詰問というのは、「君は真実を知っているんだろう。犯人は【社長ではない(の)か】。白状したまえ。」というような場合でしょうか。(ちょっと自信なし。)  反語とか反問というのは、「何を弱気なことを考えてるんだ。君は(あるいは「俺は」)【社長ではないか】〔=社長なのである。〕。こんな時こそ指導力を発揮しなければ。」というような場合でしょうか。(この「でしょうか」は自信のなさを表すのでなく、提案の気持ちだとお考え下さい。)  No.2さんは、どんな「文脈」の時に反語になるか、を分析なさろうとしているのだと思います。  「君は(あるいは「俺は」)【社長ではないか】〔=社長なのである。〕」は、この人物が社長であることを自明であることを前提の発言だと思います。  「こんなばかなことを誰がするのか(誰もしない)」も肯定・否定は逆ですが、反語の例ですよね。この場合も「こんなことをする人はめったにない、君ぐらいしかいない」こと、もしくはは「行われたことが、きわめてばかなことである」ということが自明あることを前提として話者が話していると考えられます。  つまり、  「これを誰が食べるのか(いや、こんなもの誰も食べない)。」  「誰が食事をしないのか(いや、人間だれでも食事をする)。」 のように、( )内が話者にとって自明のことであるときに、その自明の事実を強調していうのが反語ではないかと思うのです。  英語でも、「肯定の修辞疑問文が、強い否定の意味を表す」場合がありますよね。     Can I ever forget it? = I can never forget it. という場合です。この場合も話者にとって「it」が忘れられない出来事であるということが前提になってないでしょうか。  英語は苦手なのでよく分からないのですが、「それを忘れることができようか」という日本語は、忘れられない出来事であることを前提にすれば「それを忘れることができようか、(いや、できない)」だし、早く忘れたい出来事だという場合は、「それを忘れることができようか、(何かいい方法はないか、いつになったら忘れられるだろう、etc.)になって、反語にはならないと思うのです。  「外国の方」には、先の英語の例などを用いて説明なされば、いくらかは納得してもらえるのではないでしょうか。  

naqik
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 どの外国語も一癖も二癖もありますけれど日本語もかなりややこしいものだと思います。 もう少し考えさせて頂きます。 あの、日本語についてお詳しいようなので、もしよろしければ先のNo.1様の補足に述べました他の事柄についてもご意見いただけませんでしょうか。 お時間があれば、の話ですのでいただけなくても構いません。 どうもありがとうございました。

noname#9284
noname#9284
回答No.1

Goo辞典で調べてみたんですよね。 そうしたら「ではないか」へ導かれました。 では+ないか=ではないか→じゃないか 簡単ではありますが、意味の一番目に疑問・反問・詰問と書かれていました。

参考URL:
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?id=1348620-0000&kind=jn&mode=5
naqik
質問者

補足

ご回答、ありがとうございます。 すみません、質問の仕方が悪かったでしょうか。 おっしゃられていることはわかっております。 ただ、その「ではないか」あるいは「じゃないか」が、どうして反語的・詰問的な意味になるのか、そこのところを詳しく知りたくて質問させていただきました。 もともと一般的に文末の「か」は日本語の疑問符だと承知しております。 私の例文を使わせて頂きますと、もし、語尾の一番最後に「か」がなければ: 「泣くではない」→「泣くんじゃない」 で、これは「泣く」の否定形になりますよね。 なのに、そこへ疑問符である「か」が付くと、否定は消え、反語としての意味になる、そこのところがわからないのです。この文法の成り立ちとして、「ではないか」、この一語がどこからきたのか、どういう構造上の問題で反語的な意味合いを持つにいたったのか、特に外国の方で「ない」は基本的に否定の意味をもつ、と教えられてる方たちに、「ではないか」、区切ることなくこれで一つの正式な文法だ(要するにこのまま考えずに覚えなさい)、と教えていいのかどうか迷っているのです。 ややこしい、細かい質問で、せっかくお時間を割いてお答えいただいたのに申し訳ありません。

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