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ベトナム傷病兵を日本へ運んだルート
ベトナム戦争時、日本の王子や朝霞に米軍の野戦病院があり、 多くの傷病兵が立川や横田からヘリで運ばれてきました。 では、ベトナムから日本への飛行ルートはどうだったのでしょうか? いったん沖縄などに運ばれたのか、それとも直接立川基地に運ばれたのか? 当時の反戦パンフに、負傷兵はベトナムから日本へ2時間と少しで運ばれたとあり、気になりました。 よろしくお願いします。
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兵士の移送には輸送機を使いますから、旅客機とそれほど時間は変わらないだろう、と考えて時刻表を調べてみました。 全日空の時刻表によると、成田-ホーチミンの所要時間は 4時間15分、成田-那覇は 2時間50分です(羽田-ホーチミンが無いので成田発で) タキシングの時間を差し引いても、2時間で立川まではとても無理ですね。沖縄経由と考えるのが妥当でしょう。
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- kouki-koureisya
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回答No.2
こんなサイトがあります。 「検定ごっこ」 http://kentei.cc/q/3340531/ ベトナム戦争時には、傷病兵治療のための野戦病院「米陸軍第249総合病院」を北キャンプ内に建設し、それに伴うヘリポートも併設される。正午と午後5時の一日2回ヘリ2機により交互運行された。傷病兵は沖縄から立川基地へ運ばれ、立川から朝霞へと搬送された。