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謙譲語についての質問です。
AがBへと行為を及ぼす状況をCが言語描写する際に、 Bの述語動詞を謙譲語に置き換えますと、 CからAへの間接的な表敬が叶うだろう、 と私には思われますが、此の謙譲表現は、 BからAへの直接的な表敬をも意図させているのでしょうか? 近代の前後で変化が有ったのかも知れませんが、 それをも踏まえた解説を賜れますと、非常に助かります。
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源氏物語(少女)に 「(内大臣ハ)(夕霧ヲ)あなづり聞こえ給ふ」 という例があります。これはとある女房の発言です。 内大臣は夕霧を侮っているわけで、敬意は持っていないと考えてよいでしょう。 したがって、謙譲の補助動詞「聞こえ」が「BからAへの直接的な表敬をも意図」しているとは言えません。話し手であるC(女房)から動作客体B(夕霧)への表敬」です。 ちなみに尊敬の補助動詞「給ふ」は、「話し手であるC(女房)から動作主体A(内大臣)への表敬」となります。 現代語での謙譲表現は、動作主体Aが話し手Cと同一人物、または動作主体Aが話し手C側の人物であることが多いため、 「部長には私が報告いたします」 のような例では「BからAへの直接的な表敬」と錯覚してしまうのではないでしょうか。 「部長には一課の○○が報告いたします」 も同様です。 しかし、先の源氏の例でおわかりの通り、謙譲語に限らず、敬語表現における敬意の出所は常に「話し手」と考えて問題ないと思われます。「BからAへの直接的な表敬」ならば、 「BはAを敬っている」 と言えばいいわけですから。
補足
有り難う御座います。 たとえ話し手と動作主とがwe(一人称複数)の関係になっていませんでしても、第三者の話し手だけからの表敬が可能になっているのですね。